
心の伊達市民 第一号
毎日のブログ更新がきつくなって来た。そうそうはテーマが無いのである。
「犬も歩けば棒に当る」じゃないが、「ジジイが歩けば、なにかに当る」で話を進めたい。寒い日が続いているので、あまり遠くには出掛けないので、近場の話題である。
行くところが無い時は、とりあえず銀座に出てみる。
するとフォトギャラリーもあるし、なにか珍しい光景にも出会える。
今回はなんの目的も無く、銀座を徘徊した話である。
都バスを「築地」で降りた。そして築地川銀座公園の様子を見に行った。
昨年は70年に一度咲くと言われている「龍舌蘭」が花を咲かせたので、何度も見に来て楽しませてもらった。この日の公園には新しく龍舌蘭の苗が植えられていた。
今年も咲いたら、「70年説はどうなるのか?」と開花を期待した。
公園を出て先に進むと、歌舞伎座の前では入場待ちの人達で溢れていた。
歌舞伎人気は衰えをしらないようだ。
向かい側にあった「群馬ちゃんちの家」というアンテナショップは7丁目に転居したが、そこも振るわず閉店となった。
昭和通りを渡る。2年前くらい前まであったパチンコ屋が無くなった。向かい側のパチンコ屋ももっと前に無くなった。これで銀座からパチンコ屋が無くなった。
銀座4丁目交差点に着いた。
いつもは和光前にいる托鉢僧が、どうしたことか反対側の三越デパートの前にいる。
私は交差点を渡る人達を見やりながら、「なぜなんだろう?」と考えた。
私の直観では「和光前は日影になっているが、三越前は陽が当たっている」からではないか? 或いは「三越前の方が実入りが多いと思った」からだろうか?
通行人でお金を入れる人はいない。外国人観光客が写真を撮っている。
交差点の近くには、もう2年以上も空き店舗となっている場所がある。
この場所は色々な店が入っても、長続きしないで撤退している。そういう場所ってあるんだなー。
長く続いていた大きな店舗の「安藤七宝店」が引き払い、近くの小さな店に転居した。
銀座通りの老舗のオーダーメイド紳士服の「英国屋」も転居して、横丁の小さな店になった。
しばらく空きとなっていたが、1月19日に中古ブランド品販売の「コメ兵」が開店した。たまたまそこを通り掛かった私は驚いた。開店待ちの行列が長く続いていた。
若い頃からブランド品に興味の無かった私は、並んでまで中古品を買う人の気持ちが分からない。
「コメ兵」の先の路地を左に曲がってみた。
そこには小さなアイススケート・リンクがあった。
毎年、この時期になるとオープンする「ラルフローレン」のアイススケート場である。
欧米のブランド品を世界で売る会社は、なによりもイメージを大事にする。
中国やアジアの国々で安く作った品物を高く売るためには、そのブランドのイメージを売る必要がある。イメージは掴みどころのない「空気」のようなものだ。
でも最近は、銀座で本物の「酸素」を売る会社もあるから驚きだ。
有楽町の「東京国際フォーラム」の広場に、昼時となるとキッチンカーが集まって来る。色々な料理があり、サラリーマン達がやって来る。
ベンチもあるので、買った弁当をその場で暖かいまま食べられる。
そこに帝国ホテルが登場しているのを見掛けて驚いた。
年のせいか、驚くことが増えたように思う。
3月末までの期間限定のようだが、その目的が分からないのでネットで調べてみた。
するとやはり「新型コロナ」の影響のようだ。サービス業はどこも大変なんだなー。
犬を飼わなくなって久しいので、私は最近の犬事情を知らない。
でもマンションに越して来てから、不思議に思う光景に出会うようになった。
乳母車に乗せた犬と散歩している人が大勢いるのである。「なぜ犬を歩かせないのだろう?」
最近は家の中で犬を飼う人が増えたので、外で歩くと汚れるから嫌なのか?
それとも犬が高齢化で歩けなくなり、可哀そうなので連れ出しているのか?
今でもその事情は分からないままでいる。
(おまけの話)
子供の頃にお正月に遊んだ「かるた」に、「犬も歩けば棒に当る」というのがあった。
「江戸かるた」は「いろはにほへと」であるから、最初に「い」が出て来る。
そこで「い」の「いぬも歩けば・・・」の諺から、この「江戸かるた」は「いぬ棒かるた」と呼ばれていたそうだ。
私はこの年になって、恥ずかしながら「いぬも歩けば」の意味を間違えて理解していた。それは「イヌもウロウロと歩いていれば、棒につまづく」と思っていたら、それは間違いだった。
正しくは「イヌがウロウロ歩いていると、棒を持った人間に殴られる」ということで、「大人しくしていれば、災難にも遭わない」という意味だった。
私が最初に飼った犬は「チャコ」という赤毛の雑種だった。
どうして我が家に来たのかは、私は子供だったのでよくは分からない。
でもその犬が我が家に来る前に、私の前の家で、「チャコ!」と呼んでいる声を覚えている。
次に飼ったのが「ゴロウ」という名の「秋田犬」だった。
その時は同じ小金井でも、かなり広い家に引っ越した。
ただ問題は近所に「五郎」という人が住んでいたので、大きな声で「ゴロー」と呼べなかった。
最後に飼ったのは「アニー」というシェパートで、結婚して子供が出来てからだった。
アニーというアメリカ風の名前は、その頃に流行った「名犬リンチンチン」というアメリカのドラマに影響されたと思う。この犬は中野にあった警察犬の養成所から買って来た。
我が家は私が会社に出掛けると不用心なので、用心棒として飼ったのである。
大人しい犬だったが体が大きいので、庭で子供とじゃれ合うと子供より大きいので危険だった。そのアニーもある時、具合が悪そうにしていたので、庭に面した和室にゴザを敷いたらその上で寝ていた。そして家族が気が付いた時には、既に死んでいた。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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BROCKEN代表 佐藤大輔氏 〜「もったいない!」に背中を押され、ゆるっと しれっと 熱い人
今回の主人公は「BROCKEN」代表 佐藤大輔氏。 「一体全体この人は何者なんだろう?」 そんな筆者の興味からオファーを入れた取材でしたが、正直「しまった…」と思いました。 何故ならば、一つにはプロの編集者でライターさんだったことをうっかり忘れていたこと。 そして、ネタが豊富すぎたこと。 「やっちゃった…」と思いました。 さて。 待ち合わせたのは地球岬にある「崖の駅」でした。 きっと、この画像に書いてあることをもれなく読んでいただくだけで、佐藤さんの「ゆるっとしれっと感」が伝わるかと思います。 なので「これにて終了〜」と、してしまう手もありかな…。 そんなことを思ってしまうほど、取材させていただいた2時間はヌマでした ^^; 佐藤さんったら、面白すぎます。 危うく、すっかりハマった足が抜けなくなるところでした。 気を取り直して佐藤大輔氏略歴から 1)1982年10月 室蘭生まれ 高校生までの18年間を室蘭で過ごす。 〜室蘭中島町生まれだそうですが、その記憶はほとんどなく、あるのは高砂町に住んだ頃のこと。その後の大輔氏は、生まれ故郷「室蘭」の刷り込みを実感する場面に何度も出会います。 2)中国留学。その後、当時、道内唯一中国語学科のある大学に進学。 〜なぜ中国語なのかは、「なんだかよく判らない」という面白さに惹かれたのと、 「これからは中国語を学んでおくと良さそうだ」と直感したのがその理由。 3)大学卒業後、JTBに入社し二年間在職。 人に旅を売るより自分が旅をしたくなり世界一周の旅に出る。 〜なぜ狭き門で自分が採用されたのか気になり上司に尋ねると、なんと「ギャンブル枠採用」と言われたそう。 JTBでは曹洞宗の檀家さん向け「団体参拝」の営業を経験。隣のチームは日蓮宗担当されていました。 旅行業界の興味深い背景です。 「特に旅行業界に興味があったわけではないんですよね。 外国語が活かせるかな〜?くらいの気持ちで受けたら採用してもらえました。 でも「ギャンブル枠採用」って、納得しました笑」 世界一周の旅へ 「檀家さんたちに営業の仕事をするうちに、『人に旅を売るより自分が旅をしたくなった』というわけですね。」 「そうなんです。世界一周しよう!と思い立ち、半年間の有効期限で世界を周れる『世界一周堂』という会社が売っている『一周券』を利用しました。」 なんでも、5大陸の内、何大陸を選ぶかによって値段が変わるそうで、最初に選んだアライアンスの航空会社で決めた日時しか乗れないという縛りがあるのだそう。 その時、大輔さんが選んだ旅は半年間の移動代が40万円という格安のものでした。 なんという魅力的な!! 筆者も行きたい…。 うずうず…。 「その旅の中で印象深く忘れられないエピソードを教えていただけますか?」 「よく言われますが、インドへの旅はその後の自分の人生観に大きな影響をもらったと思っています。あそこにはまだカースト制度の名残があって、乞食として生まれ乞食として死んでいく人が今でもいるわけです。汚水の中を歩いて生活する様な…ね。でも、目がとても綺麗で、白目の光の強さに圧倒されました。そして気付いたのは、目の綺麗さと貧富の差はイコールじゃないということ。言い換えれば『金持ちにならなくても幸福はある』というか。どういう風にしても生きていけるんだよな…って思ったんです。」 こういうエピソードにも大輔氏の『ゆるっと熱い』感が溢れています。 「でね、肺炎で入院したんですよ。」 「そうそう!そういえば、旅する間のアトラクション的楽しみを持ちたくて、『1カ国につき1回はぼったくられても良しとする』というルールを自分に決めていました。どこの国でもボッタクリって普通にあるんですが、それを通してその国が少しわかるような気がして。でもこれって『傲慢』な考えでもあるよな…とは思っていました。」 ぼったくりエピソードもたくさんお持ちのようですが…。 本当にヌマから抜け出せず帰れなくなりそうだったので、ほどほどで切り上げさせていただきました ^^; 気になる方は是非ご本人に会って聞いてみてほしい! 本当はもっと旅を続けたかった大輔さんは、先輩の結婚式に呼ばれたことをきっかけに、旅を途中で止めて帰国してしまいました。 「まあ、結果的には旅には満足したんですけど、少し後悔しているのは一周券を買ったこと。あらかじめルートを決めて旅に出るものだったので、ある意味自由を奪われてしまったわけです。だから、途中で気が変われない。気に入ったから滞在を延ばすってことも許されない。あの旅は、自分にとっての何回目かのモラトリアムだったので、そもそも目的がある旅ではなかったんですけどね。実に勿体ないことをしたな…って思っています。もっと何て言うか、沢木耕太郎の『深夜特急』のような旅をしたかったな…って。とはいえ『深夜特急』に出会ったのも旅の途中だったので、最初から手遅れでした笑。」 なるほど。 世界一周こそしませんでしたが、若かりし頃、一人ふらふらと行き当たりばったり旅ばかりしていた筆者にも、なんとなく大輔さんのお話の意味がわかる様な気がしました。 「ところで、いま振り返ってみてもう一度行きたい!と思うところはありますか?」 「イースター島かな…。実はイースター島まで行ったというのに、なんと室蘭を思い出しっちゃったんです。イタンキ浜の上の丘の膝丈の笹とか、ローソク岩とか、海とセットで色々思い出して『似ているな…』って思ったんですよね…。」 イタンキ浜の丘にそっくりな風景があったりして、モアイ島に居ながら室蘭を思い出してしまった大輔さんでした。 そして再び略歴の続き 「僕、根本的にはマイナス思考だし、実は結構真面目なんですよ。」 大輔氏は自分をそう分析します。 前職から逃げる様に世界一周の旅に出たにも関わらず、「不自由な旅をしてしまった」と悔い、「勿体ないことをしてしまった」と思ってしまうマイナス思考さ加減。 けれども、空の色とか、建築物とか、旅の中でいろいろなものを観て『旅とか観光って人生の栄養なんだな』と思うところ。 ネガティブな部分も含め、旅で得た心の栄養を無駄にはしないと思う真面目さ。 「1カ国1回ぼったくりアトラクション」を許す自分に傲慢さを感じるところ。 イースター島で感じた故郷室蘭を想う気持ち。 確かに自己分析通りだと思います! 4)帰国半年後、リクルート北海道 じゃらんへ入社し、11年間勤務する。 〜苦手な営業部で2年。 編集部では9年働き、仕事はとても楽しかったそう。 「編集の仕事って設計屋なんです。 『なんでそれを作るのか?』『誰が喜ぶのか?』を考える役。 つまり枠組み作りです。その後、デザイナーとライターに依頼をして協働して作っていく。 根が真面目だから、誰かの役に立っているとか、何かの糧になっていると知ると嬉しくなるんです。 でもね。当時の編集長に言われました。『お前の記事は毒が強い。が、薄めれば薬になる。 スパイスだけじゃ味がないんだ。味付けは大事だ。』 この言葉には本当に感謝しています。 すごく心に残っているし、その後の僕の仕事にも生きている言葉です。」 「じゃらん」時代の面白いエピソードを伺いました。 読者の嗜好の指標として、購読前支持率と購読後支持率というものがあるそうなのですが、 その過去最低の数字、購読後支持率3%というのを取ったことがあるそうです。 ところが何故か嬉しそうな大輔さん。 「実は、その時の購読前支持率は1%だったんです。ところが読んだ後に2%増えたというわけです。 小さい数字でも3倍になった!購読後に数値が3倍になるっていうのは滅多にないことなので嬉しかったです。」 5)じゃらん退職後の地域おこし協力隊+α 〜2017年に退職したのち室蘭に帰郷。同時に室蘭市観光課付、室蘭観光協会配属になりました。 同時期、個人事業として『BROCKEN』も立ち上げました。 また、『北海道Likers(当時サッポロビールが運営していた)』のライティングの仕事も始めました。 いつの間にか着実に積み上がっていたキャリアがフルに発揮でき、さらに地域おこし協力隊としての活動で経験値を上げながら、『BROCKEN』の活動も成長させていきました。 「地域おこし協力隊をしながら感じたのは、世界一周から帰国したときにも感じた『もったいなかったなあ』ということでした。それは、室蘭的な良さに触れずに無関心に育ってしまったということに対してです。例えば、蓬莱門・地球岬・イタンキの丘・大黒島の夕陽など室蘭の素敵な風景があったのに、その良さに気づかなかった。」 Uターンをして室蘭を見直した時、何かが外れたように室蘭が見えてきたと言います。 高校を卒業してからの18年間で多くの気づきを得た大輔さんは、「室蘭の良さを発信したい!」と強く想うようになりました。 6)そして今 現在は、個人事業「BROCKEN」での活動と、合同会社「SUM-i-CA」の経営メンバーとしての活動、二本立てで活躍されています。 事業内容はあまりにも多岐に渡っているのでHPをご覧いただいた方がわかりやすいです。 でも、せっかくなので特記するとすれば、というよりも筆者のツボだったのが今回の取材の待ち合わせ場所でもあった「崖の駅運営」と「むろらんくん育成事業」と「たたら製鉄への関わり」のこと。 「この崖の駅はもともと地球岬にあった『毒まんじゅう』の店の空き家利用でした。地球岬は室蘭の顔なのに『もったいないなあ』と思ってね、私設の無人観光案内所みたいなものを作ったんです。堂々と無人と謳っている通り、僕はほとんどいませんが時々母がいます。その時は「むろらんくんグッズ」も販売しています。」 え!? 毒まんじゅう?? と、びっくりされた方にちょっと説明的にこちらの画像を〜。 というわけです。 で、このキャラクターこそが「むろらんくん」。 大輔氏はさまざまな場面で登場させる「むろらんくん」を育成事業と呼んでいます。 そしてついにはLINEスタンプ販売まで育成事業は発展しました。 つぎに、「たたら製鉄への関わり」です。 地域おこし協力隊時代、ムロランワンパクに来てもらったご縁で「登別室蘭たたらの会」石崎会長と知り合った大輔さんは、石崎家で玉鋼のナイフ鍛造体験をさせてもらいました。 その後、「なんか話の流れで、たたら製鉄の手伝いをすることになった」のだそうです。 大輔さんの父方の祖父が鍛冶屋だったこともあり、職人的なことへのあこがれもあり、もともと手仕事好きなのもありで、製鉄も鍛造も興味深いし楽しい!と感じたそうです。 そんなこんなで「たたら製鉄への関わり」を持つようになりました。 「室蘭は鉄の町だけど、鉄を身近に体感できる体験コンテンツはすごく少ないんです。その点でたたら製鉄と鍛造体験は質の良いコンテンツになる可能性があると思いました。しかしとにかく炭代と人の手がかかるので、ちゃんと体験メニューとして稼げるように仕立てるにはどうすればよいのか目下考え中です。」 最後に さて。 この辺りでそろそろ最後にしたいと思います。 初めに「この人は一体全体何者なんだろう?」という筆者の興味はほぼ満足しました。 …と思わなければいけないくらい、やはり、佐藤大輔氏はヌマすぎました。 この上なく、果てしなく面白すぎました。 なので、どこまでもしつこく追求してしまいそうなのでこの辺りで止めることにしました。 でも、はっきりと分かったことがありました。 こんなこと書いたら「恥ずかしいから止めて〜!」と言われるかもしれません。 でも、きっぱり言います。 直球ストレートではないけれど。 「ゆるっと・しれっと熱く、人間愛・室蘭愛に溢れる方」でした。 仕事の上でも、出会った人との繋がりも、「もったいない」の心を大切にしてきたからこそ多くの依頼があるのだと感じました。 参ったなあ…。 ファンになってしまったじゃないですか。 佐藤大輔氏、すっかり目が離せない存在になってしまいました。 ―佐藤大輔氏情報― Facebook https://www.facebook.com/daiske.sato Instagram https://instagram.com/satodaiske?igshid=MzRlODBiNWFlZA== BROCKEN https://www.brocken.work SUM-i-CA https://www.sum-i-ca.com
Rietty
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山本英次