人生も長くやっていると、色々な人達に出会う。
良い人もいれば、悪い人もいる。頭の良い人も、悪い人もいる。
お金のある人も、無い人もいる。学歴のある人も、無い人もいる。

本当に色々な人がいて、そんな人達とお付き合いして81年が経った。
そして『色々な人がいるから、世の中は面白い』と、遅かったが達観したのである。


集合場所は大江戸線「門前仲町」改札口



中高の同級生と作っている「都心を歩かない会」の6月の企画をした。
実行日の2日前になり、Yさんからメールが届いた。『梅雨の真ん中にいる今日この頃ですが、16日の企画はどうなりますでしょうか? Sさんから電話があり、「都心の雨の予想が70%となりましたが、決行・中止をいつ決めるのでしょうか?」』と書いてあった。

自分もそうだから他人のことは言えないが、企画のお知らせの時に、『雨でも行ける企画をしました』と知らせてあったのを忘れている。いよいよ「老人力」が付いて来たなー。


ランチは「東天紅」を予約しておいた。



当日は雨どころか朝から晴天で、TVの天気予報では最高気温は31度と知らせていた。
大江戸線の「門前仲町」に集まったのは7人だが、Oさんが病院の検診があるのでみんなの顔を見て戻って行った。先ず最初にランチである。中華料理の「東天紅」を予約しておいた。

前日に東天紅から電話があり、翌日の予約の確認をされた。その上に確認メールも届いていた。最近は予約だけして、無断キャンセルが多いのかもしれない。


 ランチ定食(1870円)



ランチの後は、私の好きな深川地蔵尊の「護摩供養」に参加である。
なんど来ても天井まで届きそうな火の粉と、大太鼓、ホラ貝、鉦、読経に頭と体を刺激される。いまさらお願い事も無いのが良い。

その後はYさんの希望「甘味処」に場所を移して歓談をした。3人は先に帰ったので、私は残りの2人を案内して富岡八幡宮へ行った。横綱碑、日本一の大きさの神輿、七渡神社、伊能忠敬像などを見てから解散となった。

プロカメラマンのOさん、雇われ社長のYさん、私の3人以外はみんな真面目にサラリーマン生活を勤め上げて、いまは悠々自適の生活である。
あの頃はいまの若者たちと違って労働時間だけは長かったが、仕事はいまの人達ほど難しくなかったように思う。


「深川地蔵尊」



ある時、マンションのカフェでよく話をするFさんに聞いてみた。
彼は大手電機メーカーの社員だった人で、初期のコンピューターの営業をやっていたそうだ。時々、『OB会があるから・・・』と言う。これは他の友人からも良く聞く話だ。

私はサラリーマンの経験が無いので、OB会のことはよく分からないので色々と質問をした。「OB会では元上司に対する付き合い方にも、上下があるのですか?」。
この答えが可笑しかった。「ない」ではなく、「一切無視です」とあった。


 甘味処で「氷カルピス」(660円)



「呼び方は?」に関しては、「さん付けです」。
「元上司は元部下から(さん)で呼ばれて気分が悪いのでは?」に関しては、「元部下の方は気にしていません」。
「中途入社と途中退社の人は呼ぶのですか?」に関しては、「呼びます」。

「問題点はありますか?」に関しては、「範囲を広げ過ぎないこと」。
「最近の若者はOB会はやりたくないのでは?」に関しては、「やっています」。
まだまだ私の知らない世界があって、とても面白く参考になった。


「富岡八幡宮」



(おまけの話)
毎朝、起きる前にベッドの中でラジオを聞いている。
ある時、北原ミレイが歌う「石狩挽歌」を聞いていた。
久し振りに聞く歌は昔を思い出して、とても良かった。

この歌は1975年に「なかにし礼」が作詞して、浜圭介が作曲して大ヒットした。
歌の内容は北海道沿岸で、ニシン漁が盛んな頃の話である。


 「兄弟」(なかにし礼)★★★



その歌詞には次のようなものがある。
『燃えろ篝火 朝里の浜に 海は銀色 ニシンの色よ ソーラン節に頬染めながら わたしゃ大漁の網を曳く』。
この歌を聞いて、なかにし礼が書いた初めての私小説「兄弟」を読んだ時のことを思い出した。

私にも兄がいるが以前にこの本を買って読んで、とても感動した覚えがあったからだ。
そしてまたこの本を読みたくなり、図書館から借りて来て二度目の読書をした。


 定置網漁で網を引き揚げる漁師たち



年の離れた「なかにし礼」の兄は一攫千金を狙って、多額の借金をして博打のようなニシン漁を行った。そして運良く、大漁に巡り合った。それで止めておけば良かったのに、船で本州に運べば更に儲かると踏んで船を借り上げた。しかし日本海で嵐に遭い、沈没を免れるためにニシンを海に投げ捨てた。そして莫大な借金を残して、どこかに逃げてしまう。

その後、「なかにし礼」が作詞家として成功すると、どこからともなく表れて、また迷惑をかけ続けた。兄が亡くなった時に、「なかにし礼」は『死んでくれて、ありがとう』と言ったのである。
凄い人生を送った人がいるものだと、自分を振り返り感動した。


  網から鮭を掬い上げる。



今回の(おまけの話)の写真は2007年の噴火湾での定置網漁の様子である。
以前に私が伊達市に滞在中に、「いぶり噴火湾漁業協同組合有珠支社のXさんと寿司屋の「文七」で知り合った。
その時に私が『鮭の定置網漁の写真を撮りたい』と言ったところ、『それなら○日の午前5時に漁港に来い。船に乗せてやる』と言われた。そして海の上で勇壮な定置網漁を見たのである。

その時は大漁だったせいか、漁師は『橋本さんが乗ると大量になる。来年も乗ってくれ』ということになり、それから毎年のように定置網漁に行った。「なかにし礼」の小説を読み返して、懐かしい定置網漁を思い出したのである。


漁港で一ヵ所に集められた鮭


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

コメント

  1. 多摩のY(地下鉄苦手!)
    多摩のY(地下鉄苦手!)
    返信

    またまたブログネタを提供してしまった。東京駅での迷子、東西線の思い違い!これはボケなのか?あるいは年寄りの思い込みなのか?どちらにも可能性があるので困った!
    弁解するときには、自己保身に走りがちなのも困る!
    落ち着け!落ち着け! 歳に負けるな!

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