
心の伊達市民 第一号
【混合水栓の不良】
生活する上で必要な物でも10年以上も経つと、色々なものに寿命が来る。
ある時、風呂場のシャワーの水が出なくなった。隣の蛇口の水は出る。
仕方ないので、マンションに出入りの業者に電話して修理を依頼した。
水道工事屋は『もう廃番となっているので部品があるかどうか分からない』と言った。
最近ではカメラが壊れた。クーラーの吹き出し口が動かなくなった。パソコンも調子悪い。そして混合水栓である。生きているということは、なにかとお金が掛るのであるなー。
【SHOHEI OHTANI】
数寄屋橋の交差点にある「東急プラザ」でBOSSというメーカーが、壁一面に野球選手の大谷翔平の文字を3種類の映像で見せている。
しかし大谷選手のアメリカ大リーグでの活躍は、目を見張るものがある。
国内では将棋の藤井聡太が、わずか20歳で七冠を獲得した天才である。
どちらも天才だと思うが、それにしても謙虚な男達である。
私が彼等と同じ立場だったら、多分、「偉らそう」にしていたに違いない。
【尾瀬沼】
私は10年以上前から「日本尊厳死協会」の会員になっている。
人生の最後に延命のためだけに、無益な治療をして欲しくないからである。
すると時々、季刊誌が送られて来る。その中に「尾瀬沼」の写真が載っていた。
私は40年以上も前に、友人達と1泊で尾瀬沼に行ったことがあった。
今でも行きたいと思ってはいるが、最近行った若い友人が言っていたが、『高齢者が途中で動けなくなっていた』という話を聞くと、もう無理だと諦めた。
【ミスト噴射】
真夏が近付き街のアチコチで上の方から、ミストが噴射されているのを見掛けるようになった。銀座でも7月になり、4丁目近くの小公園のベンチの上からミストが噴射されている。見た目は涼しいように感じる。
しかし銀座はビル風で、ミストは横に流れてしまう。
真下に降りて来る時は風の無い日なので、猛烈に暑い。
だからミストも役立たない。風が吹き付けても、ミストが真下に降りて来るなら最高なのだが・・。
【宗教】
私が中学生の時に気が付いたのだが、通っていた幼稚園はキリスト教の幼稚園だった。
その幼稚園は平屋の和風の建物で、畳が敷いてあった。だからキリスト教とは思っていなかった。ここへ越して来てから築地本願寺にお墓を買い求めるために、私は禅宗から浄土真宗になった。
私はその程度の宗教観しか持っていないので、最近の外国人観光客を見ると驚く。
インドネシアやマレーシアからの観光客だと思うが、この暑いのに頭からベールを被っている。中には全身を覆っている女性もいて、「ご苦労さま」と言いたい気持ちになっている。
【にんべん】
日本橋は日本の老舗が集まっている。
老舗の定義はハッキリしたものは無いようだが、「100年以上続いている」となるようだ。中央区の現在の区長は山本さんで、老舗の「山本海苔店」の副社長だった人である。
老舗の中で「鰹節」の「にんべん」のいわれが面白い。創業は1699年だから、もう300年以上の歴史がある。屋号は「伊勢屋」にしたので、誰となく「伊」から左側の偏の「イ」だけを読んで「にべん」と呼んだ。それが今では「にんべん」が屋号となっている。
【ストリート・ピアノ】
外国から来た文化だと思うが、日本中にストリート・ピアノが置かれている。
東京には23区内だけでも、28ヵ所もある。
私は以前からストリート・ピアノを探す旅を続けているが、今までに都内だけで16ヵ所のピアノの写真を撮った。
しかし私が行った時にピアノを弾いている人に出会えたのは、かなり少ない。
弾いている人に出会えるチャンスがあり、また美しいデザインのピアノは都庁の展望室にある「草間彌生」の水玉模様のピアノである。残りの12ヵ所は、ボチボチと行ってみようと思う。
(おまけの話)
テレビを見ていたら、八王子にある美味しそうな日本蕎麦屋が登場した。
行ってみたいとは思うのだが、この暑さの中を八王子までは無理だと感じた。
そこでいつものように同級生で八王子市の隣町に住むYさんに連絡して、その蕎麦屋の報告を依頼した。
以下はYさんから送られて来た、写真付きの報告書である。
『梅雨の合間の真夏日のある日に名店「蕎麦もとおか」を訪ねた。午後1時30分開店であるが、蕎麦が無くなり次第終了との事。かなり焦って駆け付けた』
『住宅地の中の古民家風の一軒家がそれである。茶室のような玄関には手作りのスリッパがあり、室内は畳敷きの二間に木彫のテーブル席が適当な間隔でそれぞれにお客さんを迎えている。蕎麦は注文してから出るまでに30分は掛かるそうであり、信州や北海道などの石臼で挽いたそば粉を使って丁寧に店頭で打っている』
『待つ間にビールに「枝豆」、「焼き味噌」、「おしんこ」で、その間を過ごし、空腹を癒やすことにした。その「おしんこ」は裏の畑の朝採れ野菜を使っているそうで美味であった』
『待ちくたびれた頃に蕎麦が到着した。先ずは、十割蕎麦。蕎麦の脇に塩(伊勢の真珠の塩)を乗せた小皿があり、「少し塩を散らして食べてみてくれ」と主人が言う。じっくりゆっくり嚙んでいると穀物の旨味が感じられるという』
『主人の言う通り、塩を振ると蕎麦の香りと甘さが引き立ち旨味になってゆく。蕎麦を食べるにこれ程の薀蓄を語るには余程の研究が必要であろうと感心しきりである。二八の蕎麦は、赤城産の新蕎麦で細切りでのど越しが清々しい。蕎麦つゆは「おちょこ」の底にちょこっあった』
『江戸っ子風の蕎麦通を気取って食べてみたが、江戸っ子じゃないので、たっぷりの汁を付けて蕎麦を食べたかった』。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
詳しくはこちらハッシュタグ
月別アーカイブ
「むしゃなび」はこちらの皆様に支援して頂いています
人気の記事
-
07/24(水) 新宿御苑のカブトムシ
-
07/01(火) 築地場内市場跡地の未来像
-
07/07(月) 写真で見る東京(112)・・・月島もんじゃ通り
-
07/04(金) 写真で見る東京(111)・・・豊洲散歩
-
07/05(土) 天の川イルミネーション

イベント
「観光・体験」カテゴリーのおすすめ記事
-
2025/04/18(金) 写真で見る東京(92)・・・なごり桜
心の伊達市民 第一号
0
2
-
ホテルマンの幸せ
0
-
2025/03/25(火) 写真で見る東京(84)・・・皇居東御苑
心の伊達市民 第一号
0
2
-
2025/02/15(土) 豪雪の旅(4)・・・・・・雪の秋山郷
心の伊達市民 第一号
0
1
-
2025/02/21(金) 日が長くなりましたね
-
2025/02/11(火) 豪雪の旅(3)・・・・・雪の津南町
心の伊達市民 第一号
0
1
観光・体験に関する
特集記事
-
-
ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
Rietty
0
-
Shinji