
心の伊達市民 第一号
秋はイベントが多く、暇人の私でもとても全部には参加できない。
そこで「近場」か、「とても見たい」に限定して見に行っている。
10月20日から11月5日まで、「Autumn Ginza 2023」というイベントが開催されていた。銀座1丁目から8丁目までの有力店が主催者として、毎年行っているイベントである。
私は見飽きているので行くつもりは無かったのだが、その中に「銀座八丁神社巡り」があり、通常では公開していない神社が公開されると知った。
銀座には十三社あるが、その中の二社である銀座2丁目の「銀座稲荷神社」(越後屋屋上)と、7丁目の「銀座成功地蔵尊」(資生堂屋上)は普段は一般公開をしていないので、まだ見たことが無かった。
銀座には「七福神」というのもあり、それは「幸稲荷神社」、「銀座稲荷神社」、「朝日稲荷神社」、「銀座出世地蔵尊」、「宝童稲荷神社」、「あづま稲荷神社」、「豐岩稲荷神社」であり、今までに2度ほど巡ったが、「銀座稲荷神社」は公開していないので私には六福神となっていたのである。
今回のイベントのお陰で、2丁目の創業250年の老舗呉服店「越後屋」屋上にある「銀座稲荷神社」を参拝できると期待したのだが、行ってみたら1階に小さな仮の社が作ってあった。これじゃ神様はいないのではないか?
また7丁目にある銀座十三社に所属している「熊谷稲荷神社」(1184年創建)も行ったことがあるか定かでないので、この機会に行ってみることにした。
7丁目交差点を左折して、昭和通りに出る少し前の左側に熊谷稲荷神社はあった。
急いでいると見落としてしまうくらい、小さな社があるだけだった。
銀座にある神社で境内らしきものがあるのは、みんなデパートの屋上である。
松屋の「龍光不動尊」、三越の「銀座出世地蔵尊」、GINZA SIXの「靍護稲荷神社」の三社だけである。「朝日稲荷神社」も屋上まで行けば、狭い境内がある。
「朝日稲荷神社」(1885年?)はこの中でも、特別な神社である。
その意味は通りに面したところにある小さな神社は他と同じだが、この神社は横のエレベーターに乗って9階の屋上に行くと本殿がある。
1階を拝殿として本殿を屋上に安置してあるが、パイプを使って大地と本殿は繋がっている。だから1階の拝殿での参拝が本殿に届く仕掛けになっている。時代に先駆けた銀座らしい神社なのである。
「歌舞伎稲荷神社」(1889年創建)は歌舞伎座の横にある小さな神社で、歌舞伎の初日と千穐楽(せんしゅうらく)には「奉告祭」が執り行われるそうだが、私はまだ見たことがない。この神社は2013年に歌舞伎座が建て替えられた時に、表に出て来た。
その前は、一般の人が参拝出来ない敷地内にあった。現在は地下鉄に乗る時のエスカレーターの横にあるので、誰も簡単にお参りできるようになった。
「銀座成功地蔵尊」(1927年創建)は銀座7丁目の資生堂ビルの屋上にある。昭和2年の創建だから、まだ歴史はあまり古くない。
資生堂はこの日でも屋上には上らせず、別館の1階に小さな仮の神社らしきものを置いただけだった。「銀座八丁神社巡りの1年に1回くらい、参拝させればいいのにー」と感じたのであった。
銀座には13社ではなく、実は14社の神社がある。14社目はDR.コパが今年、創建したばかりの「三宅宮」だが、まだ新参者だから入れないのかもしれない。
(おまけの話)
このイベントの中で「銀茶会」は人気があるようだ。
銀座通りに茶室を設けて、事前申し込みの上で抽選に当ると色々な流派のお茶席に呼ばれる。
その流派には「江戸千家」、「武者小路千家」、「裏千家」、「遠州流茶道」、「表千家」、があり、9ヶ所に薄茶席を設けている。
その他に「和敬茶道倶楽部」という流派が、煎茶席を設けている。
私は茶席開催が日曜日だし、以前には見ているので行かなかった。
その代りではないが、私は平日に、「銀茶会」主催の茶室と器を見に行った。
「茶室」は「建築文化週間 学生グランプリ2023」を受賞した広島大学の「秋の木」で、三越デパートの9階に設置・展示された。
茶室は網のようなもので作られていて、透明でユニークな茶室である。
実際の使用では、落ち着かないかもしれないと思った。アート茶室である。
次は「器」で、東京芸術大学・工芸科」の教員と生徒の作品が、伊東屋に展示されていた。10階に専用の展示場を設けて、数多くの茶器が並べられている。
これはどうやら商売のようで、それぞれの茶器に値札が付いていた。
茶室を見た後なので、「ユニークさに欠ける」と感じたのは私だけか?
この器は銀茶会で、実際に使用されるそうだ。
銀茶会と関係無いが、伊東屋のエレベーターは動きが遅すぎる!
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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作務衣を纏った渋めの男性が現れると思いきや、目の前の染師は2パートに刈り上げたヘアスタイルの、抱いていたイメージとは程遠い方でした。 そのカッコいい雰囲気に釘付けになったところから取材は始まりました。 人生、何がきっかけで何が起こるかわからない。 金子夫妻と話をしているとつくづくそう思います。 「藍と出会って人生が変わった。」 今回お話しを伺ったのは、そうきっぱりと言い切る金子智志さんと愛さんです。 本当にこんなところに工房があるのだろうか…? 地図を頼りに探し当てた工房のある土地を見て驚きました。 湿地と田んぼに囲まれた広大な土地。 そこには、小屋を含め廃屋が何軒も建っていました。 「え!? こんな場所があったんだ!!」 それが筆者の第一声。 けれども同時に思ったこと。 それは〜。 「このお二人はなんて大きな夢を抱えているんだろう!」 ということ。 どんなに広い土地が欲しくても、この状況を見たら恐らくは誰もが諦めるだろうと思います。 なによりも廃屋の数が多いので壊すのが大変。 構築物も多い庭は広すぎて手入れも大変です。 ここを買うのは、たくさんお金を持っている人か、夢が大きく手入れが苦ではない人だと思いました。 現れたご夫婦と出会い、一目でこのお二人は後者だと直感しました。 ヒップホッパーが染師になると決めた日 金子愛さんは、伊達紋別駅近く「クリーニングのかねこ屋」の娘として生まれ、ピアノ教師を生業にされて今年で21年目。 その愛さんがパートナーとして選んだのは、ヒップホップに勤しみMCを生業にすることを志していた智志さんでした。 出会ったのは、その智志さんが夢をあきらめ、故郷の伊達市にUターンし、その後しばらくした頃のことでした。 「12年前、札幌から帰ってきてからは建築業に就いていました。」 そう話す智志さんの口から出てくる言葉は、とにかくイチイチ面白い! 韻を踏むような言葉がポンポンと出て来ます。 さすが、MCを目指していた方! 「僕、言葉が大好きだし大切にしているんです。ヒップホップをやっていたので、韻を踏む言葉の並びで、複雑な心の動きや物事の状況をバシッと表現するのが好き。そういうのパンチラインて言うんですよ。でもね、『言葉より藍!』と確信する出会いがあったんです。 藍に出会ったのは6年前でした。ニューヨークで寿司屋をやっている友達と会ったのですが、彼はアメリカに住みながら、日本人としての紺色にこだわりを持っていました。『和の心』を紺色=ジャパンブルーに求めていたのです。その時、僕の中に何か響くものを感じました。その日から、頭の中が紺色でいっぱいになりました。黎明館(藍の体験館)に通ったり、独学で学んだりしてすっかりと『藍』にハマってしまったんです。」 へ〜! パンチライン! 初めて耳にする言葉です。 最初は少々緊張していたお顔の智志さんでしたが、徐々に頬を緩め、次々とパンチラインをちりばめて語り始めました。 「とにかく藍染にハマって、3年間独学で染めていました。でもどうしても独学には限界がありました。そこで3年前、徳島の『BUAISOU』の研修生に応募しました。全国でわずか3名の狭き門に合格して研修生になることができ、12日間の研修をさせていただきました。そして、どうしても迷いがぬぐえず自信が持てなかった僕のやり方を『それでいい』とお墨付きをいただくことができたんです。嬉しかった。ようやくこのまま突き進んでいいんだ!と自信が持つことができました。」 『BUAISOU』について 世界各国からワークショップの依頼が殺到し、ハイブランドとコラボし、グローバルな活動をし続ける徳島の藍染工房です。 徳島県を拠点に、藍の栽培から染色、仕上げまですべてを一貫して行うBUAISOUは、古き良き伝統をそのまま受け継ぐのではなく、常に進化をし、先人たちをリスペクトしながらもそれを超えていく努力を続け、未来に繋ごうとしている。 わずか5人で運営する工房は、2015年4月されました。BUAISOUの名は、白洲次郎の邸宅「武相荘(ぶあいそう)」にちなんだものだそうです。 Bluem の誕生 ところで智志さん、『BUAISOU』研修においてお墨付きを得られたものの、しばらくは染師と建築の仕事の草鞋を二足履いていました。 けれども次第に口コミでオーダーが入る様になり、二足の草鞋を履いていては藍染の仕事が追いつかない状況になりました。 技術の確かさも証明されました。 それは「伊達美術協会」から表彰された『協会賞』という最高賞。 月と海、人間と自然を表した作品。 タイトルは『183672144288』 タイトルの意味はこうでした。 〜人と月と海の共通となる数字『18』。その18の倍数が人間の『生』を表し、目には映らない人と自然のつながりを人類が最も信頼し、裏切られてきた『数字』で表現しました〜 18:1分間に月が引き起こす波の回数=人間の1分間の呼吸の回数 36:人間の平均体温 72:人間の1分間の心拍数 144:人間の最高血圧 288:日数に変えると10月10日で妊娠期間と同じ 「人間が最も信頼し、裏切られてきた数字」この言葉だけで俄然実物を観てみたくなりました。 6月3日より2ヶ月間、「だて歴史文化ミュージアム」において展示会が開催されます。 「本格的に染師として生きていきたいと考えていたので、そのためにも自分の工房が欲しい!と思っていました。工房にする場所をずいぶん探したのですが、タイミングや予算も含め中々『ここだ!』という所に出会えなくて…。 がっくり‥としかけた一昨年の冬、出会ったのがこの場所でした。見に来たら一目惚れ。だいぶ荒れていましたが迷いはありませんでした。実はここ、子どもの友達のおばあちゃんの家だったところなのです。妻がそれを思い出してくれ、購入に結びつきました。」 昨年6月、ついに念願の城が手に入りました。 金子さんご夫婦にとっては夢に向かうThe 1’st stage『Bluem』です。 “ Blue “ × “ Bloom “ つまり青=藍 と開花。 藍で笑顔の花を咲かせたい! 藍で自分たちも開花したい! そんな想いが込められていました。 韻を踏む言葉が大好きな智志さんらしいネーミングです。 「『Bluem』は『藍』製品をカッコいいものとしてブランディングしていく場だと考えています。異文化交流はもちろん大事です。でも日本人として異文化を受け入れながらも、大和魂というか、『和の心』を『藍』を通して表現したい。だから『染まらないために染める』んです。ここを『まちのハブ』として育てて、いろんな人たちと繋がりながら行動して、自然を尊ぶ日本人のDNAを呼び覚ましたいんです。」 循環型ファッションを目指して ところで、今までの経済合理性は短期的にも長期的にも継続は難しい状況だと言われています。 そんな中、若い人を中心に高まってきたのが「気に入ったものを修理したり、染め直したりして長く使いたい」というニーズ。 衣料メーカー自体が「お客様に頻繁に買い替えさせる売り方ではなく、アフターケアを軸に『3つのR』をビジネスモデルの根幹にしていると言われています。 R:リユース(再利用) R:リデュース(使う資源を減らす) R:リサイクル(再資源化) の3つです。 「僕は自然のこと全然詳しくないです。SDGsとかもよくわからない。まあ持続可能な社会を目指そうということですよね。でも思うんですよ。藍もそうですが、人間は自然の恩恵なしには生きていけない。食べ物だってなんだって素材は全て自然が与えてくれています。でも、人間の勝手で飽きたり汚れたりすると簡単に捨てられてしまう。元は全て命なのに。そんな傷んでしまったり、汚れてしまったりしてしまったものを藍染によって甦らせることができるんです。幸い妻の実家がクリーニング屋なので、汚れやシミはしっかりと取り除いてから、新たな命を吹き込むことができる。おまけに堅牢性も増します。モノを大切に残すためのお手伝いができるのも幸せを感じることです。そうそう!あるピザ屋さんの窯から出た灰も藍染めに使えるんですよ。灰だって元は木。いただいた命に感謝して、最後までできるだけ捨てず使わせていただきたいと思っています。子どもたちの子ども、もっと未来の子どもたちのためにヒトが生きる源の自然を、僕らの役目として僕らの仕事で残して行きたいです。そう、『サスティナブルー』な仕事として。」 最後は韻を踏んで締めてくれました。 智志さんの中では当たり前の活動から生まれる循環。 ヒトもモノも自然もとても大切にされているお人柄が窺えるお話しでした。 人との出会いを一つ一つ丁寧に心に刻んでいるからこそ繋がっていく糸。 きっとお二人の出会いも…♡ 何度かその話を振りましたが、どうやらお二人だけのシークレットのようです ^^ お話しをしていて感じたのですが、ご夫婦のお人柄が多くの素敵なご縁の糸を手繰り寄せている気がしてなりません。 それを証明するかのようなイベントが、昨年の夏に開催された初イベント「草紙奏藍」でした。 先の見えないコロナ禍真っ只中、子どもも大人もみんなが疲弊してどんどん笑顔が少なくなっていく状況に、心を痛めていた金子さんご夫婦が立ち上がり開催されたのが、この『草紙奏藍』でした。 結果大盛況でしたが…。 思いついたのはいいけれど、正直他の作業もあり気持ちはいっぱいいっぱい。 広すぎる庭の草刈りはおろか、イベントに際しての環境整備もままならない。 途方に暮れそうになった時、助けてくれたのは、金子夫妻の活動を見守ってきた地域の方々や友人たちでした。 中には遠方から駆けつけてくださる方もいました。 畑違いの仕事から飛び込んだ『藍』の世界でしたが、元々のお二人の仕事や趣味の人脈のおかげで、予想を遥かに超えるお客様にお越しいただき、イベントは大盛況のうちに終わることができました。 もちろん、評判は上々。 きっと、今年の夏も期待されているのではないかと思います。 「今後もイベントは色々開催していきたいと考えています。全国シェア2位と呼ばれる篠原さんの藍の生産と“すくも”に加えて、染師としての技術や製品もグローバルに羽ばたかせて行きたいです。まずは「藍の町」伊達を歩く人たちの服や小物を藍色に染めたい!と思っています。」 2時間に渡った取材は、お話し上手な智志さんに乗せられ、素敵すぎる愛さんの笑顔に乗せられ、楽しくて楽しくてあっという間でした。 その楽しさはきっと、お二人に関わった方皆様が感じることだと思います。 I (藍)の形をバトンになぞり。 I (私)が染師として。 大和魂のI (愛)を届ける。 きっと、最後の『愛』は妻の愛さんと共に〜の意味が込められていることと思います。 AIZOME「I」 / Bluem 情報
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