久し振りに家族旅行に行った。目的地は「箱根」である。
我が家は猫が2匹いるので、家族で宿泊旅行は出来ない。
以前は銀座のクラブで働く女性と知り合いで、その人が留守中の我が家に来て猫のエサとトイレの始末をしてくれていた。

2泊くらいまでは見てくれたが、いまはもう出来なくなった。だから今は私が家に残るか、女房と子供が残る時だけ宿泊旅行に行けるのである。      


 バスの車中から見えた「富士山」



今回の旅行は日帰りのバス旅行で、丸の内の鍛冶橋駐車場に午前8時に集合である。旅の内容は盛りだくさんで、「芦ノ湖海賊船、桃源台ロープウェイ、大涌谷、箱根ロープウェイ、早雲山、強羅、湯本、小田原」と忙しい旅程である。

今年の紅葉は全国的に遅いので、今回の旅行では紅葉を楽しめると思った。自宅前からタクシーに乗って、集合場所に行った。


「元箱根」から「桃源郷」まで乗った「海賊船」



天気予報では箱根は「晴れ」、最高気温「14度」だった。
東京駅近くの「鍛冶橋駐車場」から、41名がバスに乗った。
バスには40歳代くらいの添乗員が乗り、説明を始めた。

私の考えている添乗員というのは話し方は「立て板に水」であるが、彼女はあまり上手ではなく適切な説明に欠ける。これが後に、大きな問題となるのである。
もしかしたら、彼女は今回が初添乗なのかもしれない。


 「桃源台」から「大涌谷」までロープウェイ



東名高速に入ったら工事中もあり渋滞し、厚木・小田原道路に入った時には2時間も要していた。天気は曇りだが、高速道路から富士山が見えたのはラッキーだった。
箱根湯本から山に入り、芦ノ湖に着いたのは午前10時45分だった。
11時15分発の「海賊船」に乗ったが、外国人観光客が多い。

「桃源郷」で下船して、次にロープウェイで「大涌谷」に向かう。
そこで40分の休憩があるので、名物の「黒たまご」を買って食べた。
4個入り500円の黒たまごが、飛ぶように売れている。


 「大涌谷」から「早雲山」までロープウェイ



次はまたロープウェイで、「早雲山」に向かう。
ここから箱根ケーブルカーに乗換えて、「強羅」に向かう。
私は箱根の紅葉を楽しみにして来たので、席には座らず最後部で写真を撮った。

しかしここまで来る間でも、木々の葉は紅葉する前に茶色く枯れていた。
異常な暑さが続いた影響か、紅葉できずに枯れたのかもしれない。


「早雲山」から「強羅」まで箱根ケーブルカー



「強羅」では出口に向かう人、「箱根登山鉄道」に乗る人に分れる。
ここで混雑もあり人数確認をしなかったことが、後で大変なことになるのである。
箱根登山鉄道の両側に植えられた「もみじ」が、例年なら紅葉が楽しめる。

ここでも、「もみじ」は枯れたり、まだ緑のままだった。
ここまで5種類の乗り物に乗り結構忙しかったが、乗り物好きの私と家族にとってはとても楽しかった。


 「強羅」から「箱根湯本」まで箱根登山鉄道



旅の最後に「お土産屋」に寄ったら、添乗員がなにやら慌てている。
誰か1人を置き去りにしまったのである。どうやら私の予想通りに強羅でだった。元箱根で海賊船に乗る時も、添乗員は何度も人数を数え直していた。

バラバラに立つ人達では難しいので、私は「3人づつに並んでもらったら」と提案したほどである。それ以降は乗換えの度に3人づつに並んで人数を確認したが、強羅では人数確認をしなかったのである。

置き去りにされた人は怒るし、彼女は謝り通しで全く気の毒だった。私は運転手に聞いてみたら、『私は運転歴は長いが、置き去りは初めてだ』と言っていた。私には印象に残る旅だった。


 首都高速道路「渋谷辺り」



(おまけの話)
箱根は何度も行っているが、思い出も多く温泉、ゴルフが多かった。
作詞家の星野哲郎さんのゴルフ会で行った時は、前の組にいた作曲家で歌手の岡千秋がショートコースでホールインワンを達成した。

その夜は盛大なパーティが行なわれた覚えがある。
彼は都はるみとデュエットで歌った、「浪速恋しぐれ」が大ヒットして有名になった。この年になると、全てが思い出話になってしまう。


水陸両用バス(芦ノ湖)



かなり前だが、中高の時の同級会を行ったのも箱根だった。
同級生で作家の嵐山光三郎が贔屓にしている、湯本「環翠楼」に泊まった。
この宿は100年の歴史があり、文士がここで小説を書いたりする時に利用する宿だった。なにしろ古い木造建築であるから、「旅館!」という雰囲気が味わえる。

風呂場に行ったら風呂場の中心に丸型の小さな浴槽があり、嵐山光三郎が1人で入っていた。私も中に入ったが、卒業以来、2人で風呂に入ったのは初めてだった。何を話したかは忘れてしまった。


大涌谷の風景



社会人になってから、名古屋や大阪の顧客に私の会社の製品の機械を運んだ。
納入時に試運転を行うので、自社のトラックに積んで運んだのである。
東名高速道路が名古屋まで開通したのが1969年なので、それまでは箱根の山を越えて行かねばならなかった。

性能の悪い小型トラックに重い機械を積んで、自分で運転して行った。往きはまだいいのだが、帰りは箱根で夜になる。真暗な箱根峠を越えて帰るのは大変だった。
いま考えると、「よく事故を起こさなかった」と思う。


名物「黒たまご」(大涌谷)


伊達季節移住のススメ 心の伊達市民 第一号

アクセス総数:1,412,357

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

コメント

コメントを書く
お名前 必須

名前を入力してください。

メールアドレス
(表示されません)

正しいメールアドレスを入力してください。

コメント必須

コメントを入力してください。

コメントに不適切な言葉が含まれています

パスワード必須

パスワードを入力してください。

パスワードは半角小文字英数字で入力してください。

Cookie

心の伊達市民 第一号からの関連記事

伊達季節移住のススメ 心の伊達市民 第一号

アクセス総数:1,412,357

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

心の伊達市民 第一号のよく読まれている記事(直近期間)

心の伊達市民 第一号のカテゴリー

心の伊達市民 第一号のハッシュタグ

心の伊達市民 第一号のアーカイブ