
心の伊達市民 第一号
2024年の最初のブログです。
明けましておめでとうございます。今年が皆様にとって良い年であるように!
まだ新年早々なので、新しい話題が無く昨年の続きです。
【合成写真】
天気予報で夕方も晴れている日を狙って、晴海埠頭公園に行った。
その目的はレインボーブリッジに、夕陽が沈む光景の写真を撮るためである。
しかしその日は、太陽はもっと西の方角に沈んでしまった。でも夕焼けは美しかった。
そこで三脚を使って、羽田空港へ着陸する飛行機の連続写真を撮ることに目的を変えた。そして4秒おきのインターバル撮影で、24枚の写真を撮った。
それを合成して1枚の写真にしたら、奇妙な写真となった。現実には起こらない光景だった。
【夜明け前】
冬になり、太陽が昇る時間が遅くなっている。
私は毎朝、午前6時に起き出す。そして着替えをして、トイレに行き、新聞を取り、顔を洗い、髭を剃り、居間の暖房を入れ、猫のベッドの暖房を切り、窓のカーテンを開ける。すると外はまだ真暗である。ビルに取り付けられた赤い警告灯が、たくさん見える。
窓からは豊洲市場に仕入れに行くらしい、業者の車が列をなして走っている。
北方向に暗いところがあるが、そこは元の築地場内市場のあった場所である。
東京タワーも照明を消している。東京スカイツリーの頂上のライトが点灯している。
【クリスマス】
私の学生時代はクリスマスになると、町ではジングルベルの音楽が流れ、洋菓子店では店頭にクリスマスケーキが山積みになっていて、仕事帰りのお父さんが争って買っていた。しかしいつの頃からか、クリスマスでも町は静かになった。
我が家では今年もクリスマスケーキを買わなかったし、夕食は和食だった。
コロナで亡くなった阿佐ヶ谷の同級生Eさんの家業は洋菓子店だったが、クリスマスの1週間も前から一家総出でクリスマスケーキを作っていたのを思い出した。
【上野アメ横】
12月25日に、上野のアメ横に、「ザーサイ」を買いに行った。
アメ横の中ほどの地下に、アジア系の食品を売る店が集まっている。
あまり知られていないが、ここへ来ると「まるでアジア」である。
そもそも「ザーサイ」とは『高菜の一種で、茎の付け根部分に「青頭菜」というこぶ状の部分がある。これを塩と酢で漬け込んだもので、一般には刻んで瓶詰で売られている。ここでは「ザーサイ」も切り刻んだものでなく、まるごと買えるのである。しかも安い。ところが1年ぶりに行ったら、その店は無くなっていた。ガッカリ。
【カレンダー】
現役の時は暮れになると、カレンダーや手帳が山ほど届いたものだ。
それが今ではカレンダーが2つだけである。
1つはベトナムのESUHAI社で、もう1つは伊達市の不動産業の㈱ランディックである。
ESUHAI社のものは、裏表に日本とベトナムのカレンダーとなっていて、両国の休日が分かる。
年間の祝日はベトナムは6日、日本は16日もあるのが分かる。
我々の若い頃は、全国の会社が今で言う「ブラック企業」だった。
土曜日の休みはおろか祝日も少なく、日曜日以外はほとんど休まなかった。
【読書三昧】
最近は出掛ける先も無くなりつつあり、本を読む時間が増えた。
本はほとんど、図書館から借りて来る。
しかしその本を持って出掛けて、適当なカフェに入って読むことが多い。
最近では伊集院 静の書いた「大人の流儀・さよならの力」を読んだ。
色々な人との別れに付いて書いているが、さすがに大家が書く上手で涙を誘う。
弟の死、愛犬「アイス」の死、数多くの友人達との別れ。
私も多くの親しい人との別れを経験している。次からはもっと上手に「さよなら」を書こう。
【築地市場の歳末】
年末が近くなったので、築地市場の様子を見に行った。
正月用の食品の買い物客と、外国人観光客でごった返しているだろうと想像した。
私も外国へ行くと必ずその国の市場に行っていたから、外国人韓国客を悪くは言えない。行ってみたら、予想通りに大混雑だった。正月用の食品を買う人、観光に来ている外国人。
昔の築地市場とは様変わりで、店頭で買い食い用の食べ物を売る店ばかりになった。
マナーの悪い外国人用に、英語の注意書きが出ている。
もうプロが仕入れをする市場ではなくなり、買い食い天国の観光地となった。
(おまけの話)
暇人なので色々な無料チケットや、見学などに応募している。
多くの場合は「住所・年齢・職業・電話番号」を記入するようになっている。
世間では「プライバシー」を盛んに言うが、私に関してはプライバシーはジャジャ漏れである。
申し込みの際にサイトによっては、住所は「東京」、「その他」に✅を入れる。
年齢は20代、30代、40代」、50代、60代、70代で終りで、80代は無い。
職業も「なし」が無い。80歳を超えた引退オヤジは、世の中に「いない」ことになっている。
平日の朝は午前5時からベッドの中で、ラジオの文化放送を聞いている。
番組は「おはよう寺ちゃん」で、時々ではあるが5時55分頃に映画観賞券のプレゼントがある。私は見たい映画はお金を払って見に行けばいいのだが、どうでもいい映画はプレゼントに当れば見に行ってもいいと思っている。
そんなわけで2022年は115回の応募をしたが、一度も当たらなかった。2023年は112回の応募をして、またも1回も当たらなかった。応募を止めればいいのだが、なんだか応募が習慣になってしまっている。
日曜日の朝は午前5時から、ニッポン放送の「ひろたみゆ紀のサンデー早起き有楽町」を聞く。5時15分頃になると、映画チケットのプレゼントがある。こちらは3本の映画の紹介である。昨年の初め頃に、応募して間もなく当選したことがある。
その時は同級生のYさんを誘って新宿の映画館に見に行った。Yさんからは『また当たったら誘って!」と言われているが、その後は103回の応募で1回も当たっていない。
ある時、女房に『全然、当らない』と愚痴を言ったら、『それは年齢で落とされている。30~40歳くらいの年齢で応募しなければダメよ』と言われた。そうかー。80代は「いない」ことになっていたなー。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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10/08(日) ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
Rietty
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Shinji