
心の伊達市民 第一号
新聞の折込広告で1月末までの限定で、「東京駅→佐倉」片道500円という広告があった。これは通常料金の半額だそうである。
昨年の11月に私がマンションの友人と2人で、奥長野へ撮影旅行に行った時に、女房達は千葉県の「佐倉」にバス旅行に行っていた。
その時の話で佐倉の「竹林」と「武家屋敷」が、「とても良かった」と聞いていたのを思い出した。どうせ暇だし日帰りできるし、「予約不要」も引き金になり佐倉へ1人旅をすることになった。女房達が行った時は、大型バスに2人きりだったそうだ。
バスは定刻の9時10分に東京駅を出発し、1時間40分で京成佐倉駅に到着した。
寒暖計を見たら、外の気温は6℃だった。この日は東京と同じくらいの気温だが、東京から田舎に来ると寒いと感じる。とりあえずは、近くにある観光協会に行ってみた。
この時期は観光客もほとんど来ないらしく、とても親切に説明してくれた。
パンフレットをもらい、歩き出す。突き当りに「佐倉市立美術館」があったので、中に入ってみた。3階と4階に、189点もの絵画と陶器が飾ってあった。入口の係の女性に聞いたら、『全て佐倉市民の作品です』と言っていた。佐倉市は文化度が高い。
佐倉市立美術館を出て、観光協会でもらった案内図を見ながら「武家屋敷」に向かう。
地図が小さいので、遠いのか近いのか分からない。
所々に、案内看板が出ている。しばらく行くと「くらやみ坂」に出た。
あとどのくらいか書いてないので、近そうだが分からない。
人気のある観光地では、ゾロゾロと歩いて行く人の後に続けば目的地に着く。
ここでは誰も歩いていないので、少し心配になって来る。
やっと武家屋敷の前に行ったら、「手前の旧河原家で入場券を買ってから見学してくれ」とあり、少し戻る。入場料は3軒を見て、250円だった。
旧河原家は大屋敷、旧但馬家は中屋敷、旧武居家は小屋敷だそうだ。屋敷は藁ぶき屋根の粗末な造りで、あの時代はこれでも武家屋敷だったのだと理解した。
3軒は1820年~37年頃の建築で、この場所に移設されて公開されている。
佐倉藩は徳川家康の下で藩主が頻繁に交代したが、老中を多く輩出している。
石高は2万2000石~11万石までいたようだ。
武家屋敷を見た後に、次の「ひよどり坂」へ向かう。
ここは竹林が有名で、LINEトラベルJPで「旅人大賞2018」を受賞している。
武家屋敷の方向から行くとそこは下り坂で、両側に竹林がある。
私の子どもの頃は竹林なんて珍しくもなく、どこにでもあった。
そして思い出した。『地震の時は、竹藪に逃げろ!』と年寄りが言っていた。
「ひよどり坂」は150メートルあるが、下ってからまた上ったが誰も来ない。
観光地で誰もいないのも、結構寂しいものだ。
寒くて寂しいので昼飯にしようとしたが、観光地なのにどこにも店が無い。
前回、女房達が昼飯を食べたと聞いた蕎麦屋が来る途中にあったので、そこまでかなり戻った。店に入ったら8テーブルのまあまあの大きさの店だが、満席なので少し待つ。「餅そば」を注文して、30分くらいしてやっと出て来た。
いつもは5分以内で出て来る店ばかり行っているので、少しイラつく。
でも餅が2個も入っていて、とても美味しくて体が温まった。
そば屋を出て、最後の目的地の「佐倉城天守跡」を見に行くことにした。
強い北風が吹き帽子が飛ばされるので、コートのフードを被る。
なんだかネットの、闇バイトの犯人みたいな風体になってしまった。
そば屋からはかなりの距離だ。佐倉城址公園に入るが、ここがとても広い。
天守跡は一番奥のようだ。やっと人に会えたら、近くの高等学校の体操時間の生徒達が集団で駆け抜けて行った。帰りは「バスは無いのか?」と愚痴りながら、佐倉駅まで歩いて行った。寒くて疲れたー。今回の費用は「バス代1000円」、「入場料250円」、「餅そば950円」で、合計2200円の旅だった。
(おまけの話)
東京駅八重洲口の「ミッドタウン八重洲」のB2から、バスは出る。
1日4便なので、最初の9時10分発に乗ることにした。マンション前から都バスに乗り「月島駅前」で、「東京駅八重洲口」行きに乗り換えた。
東京駅の地下道を通り、ミッドタウン八重洲の地下2階のバス乗り場に行く。初めてこのバス乗り場に行ったが、なかなか良く出来ている。
9時になり、13番乗り場にバスが入って来た。私が乗ったが、後は誰もいない。
「今日は私だけか?」と思っていたら、2分前になって2人の女性が乗って来た。
私は大型バスを「1人で貸し切り」と思っていたので、少しガッカリ。
定刻にバスは出発し、順調に走り四街道駅前に10時20分に到着した。
下車する時に、500円を支払った。
女性2人は組ではないので、別々の方向に去って行った
帰りのバスの中で気になったので、家に帰ってから調べてみた。
行きも帰りも乗客は3人だったので、バス会社の収入は往復で(500円×3人×2=3000円)である。宝町(東京)から高速出口の四街道までを、ネットで検索してみた。
すると大型車のETC料金は(2270円×2(往復)=4540円)となる。
走行距離は片道約80キロであり、大型バスの燃費は3km/1Lらしいので、燃料費を計算すると往復で約8200円となる。高速料金と燃料代で、約1万2740円となる。3000円の収入では大赤字である。これに運転手の人件費も掛かるのだから、その内に廃線になるかも?
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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03/01(金) 確固たる想いを洞爺湖で実現させたい! 〜『湖の膳舎 なかむら』 和食職人 中村 悠佑氏〜
2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
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