
心の伊達市民 第一号
少し前に宝町駅に行った時に駅近くに、「宝くじドリーム館」があるのを見付けた。
そして今回、時間が出来たので、そこへ行ってみたのである。
「宝町」という名前と「宝くじ」には関係があるのかと思い調べてみたら、全く関係は無く、明治の実業家の中沢彦吉がめでたい名前として「宝町」と命名したのだそうだ。
現在は京橋に統合されてしまったので、「宝町」は駅名だけに残っている。
「宝くじドリーム館」は、表通りから横道に入ったところにある。
なぜか宝くじというものは、「うしろめたいのか?」、少し遠慮しているように感じた。入口に敷かれたマットは派手な、宝くじの模様が描かれている。
中に入るとかなり広く、警備員と宝くじ売り場に女性が2名いるだけだった。
大きなマスコットの「クーちゃん」が立っている。
思わず一緒の写真を撮ってしまった。
左手を見たら、「1億円の重さ体験」という面白いものがあった。
本物ではないが1億円の札束が置かれていて、それを持ってみることが出来る。
私も早速、持ってみたが、10キロだそうで、とても重い。
近くにいた警備員に頼んで、「1億円を持つ私」の記念撮影をした。
他にも色々とクイズなどの遊びを交えながら、宝くじに付いて知ってもらう展示がある。
警備員に聞いてみた。(彼をKとする)
私 『抽選はここでするのですか?』
K 『右手にある閉め切ってある場所が舞台で、そこで行います』
私 『見たいですねー。次にやるのは、いつですか?』
K 『平日なら毎日、行っています』
私 『エー!毎日!! 何時からですか?』
K 『午後6時半からです。ジャンボの時は、午後1時30分からです』
他の展示物を見て廻った。
宝くじの歴史、時代ごとのポスター、テレビ宣伝に使われた「所ジョージ」のパンフレット類、抽選の為の機械の変化など結構面白い。
しかし誰も来ない。警備員に聞いてみた。
私 『いつもこんな状態ですか?』
K 『最近はそうです。コロナ禍以来、減ってしまいました』
私は続けて聞いてみた。
私 『宝くじはなかなか当たらないから、あなたは買わないでしょう?』
K 『買いますよ。いままでに「ロト6」で3回当りました』
私 『それはなんですか?』
K 『49までの数字の中から、6個当れば最高額(2億円)になります』
私 『3回当ったとは凄いですねー』
K 『凄くないです。5等ですから1000円です』
私は今までの人生で宝くじを買ったのは、5回も無いと思う。
40年以上前だと思うが、銀座の松屋デパート前で100円の宝くじを10枚買った。
そうしたら、それが10万円の当りになった。
そこで母を誘って女房と3人で、箱根の高級旅館に泊りに行ったことがあった。
でも母には「宝くじで当たったお金」とは言わなかった。
宝くじで親孝行をした話である。
(おまけの話)
1億円の札束を持ったりしたので、お金から離れ気分を変える必要があった。
「宝くじドリームセンター」は宝町なので、同じ浅草線で2駅先の新橋に出て、浜離宮恩賜庭園に行って心を清めることにした。この季節の浜離宮はあまり花や緑が無いので、少し寂しい。入口を入ると正面に菜の花畑があり、少しだけ花が咲いていた。
気の早い蜂が少しだけ来ていて、蜜を吸っているのが見えた。
あまり入園者はいないが、いるのは外国人観光客ばかりだ。
今の時期は「蝋梅」が咲いているはずだと思い、潮入りの池の横にあるトイレに行ってみた。昨年はこのトイレの横の蝋梅がとても綺麗だった。
ところがどうしたことか、蝋梅は枯れてしまっているようで、乾いた種が茂っていた。
仕方ないのでもう一ヵ所の、花木園のお休み処近くに咲いていることを思い出して、そこに行ってみた。こちらは昨年以上に花が多く、とても綺麗だった。
今は使われていない船着き場の方に行ってみた。
私の贔屓の真っ赤な赤い花が咲く大きな木が、枝を選定されて丸裸になっていた。
その前の梅林はまだ少し早いらしく、蕾ばかりだった。
ところどころで水仙が咲いていた。水仙は「和」を感じさせる花だ。
しゃがみこんで水仙の花の写真を撮った。
そしてノンビリと、家まで歩いて帰ったのである。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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10/08(日) ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
Rietty
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Shinji