
心の伊達市民 第一号
落語に「三題噺」というものがある。
三題噺というのは「落語の形態の一つで、寄席で演じる際に適当な言葉・題目を出させ、その題目の3つを入れた話を即興で演じる落語のことである。今回の私は「放水・梅の花・キラキラ」の3題で、ブログを勧めたいと考えている。落語と違うのは、私のブログには「オチ」が無いことである。今回は1月26日の、私の一日の行動である。
1月26日は「文化財防火デー」である。
築地本願寺では東京消防庁の協力を得て防火訓練を行い、その様子を公開した。
最初に能登半島地震被害者に「黙とう」した。
そして訓練が始まった。訓練はストーリー仕立てで、本堂で火災発生、若い僧侶2人が重要品を持ち出す。
屋上では逃げ遅れた人がいて、ハシゴ車が出て救助する。小型消防車が駆け付けて、板に書かれた火災現場に消火器で放水する。本願寺の消防隊が京橋消防署の隊員と一緒に一斉放水する。
私のいた場所は本願寺の正面で、報道関係のカメラマンが前にいて邪魔になる。
しかも太陽が真正面から逆光で眩しい。
ハシゴ車での逃げ遅れた人の救出は、火災の煙と逆光で霞んで見える。
思いがけず良かったのは、一斉放水の時の写真で放水された水の膜の中に太陽が入り、モノクロ写真風になったことだ。いくつかの白い点は、飛沫がレンズに付いたのである。
この演習で私が一番良かったと感じたのは、演習が終った後に関係者の挨拶などがあったことだ。お陰で私は長い挨拶を聞かずに、次の予定に行けたことだ。
東銀座から都営・浅草線に乗り「本所吾妻橋」で降りた。
そして都バスで「亀戸駅」行きに乗り換えて、亀戸4丁目で降りた。
そこから5分ほど歩いて、亀戸天神に行った。もしかしたら地球温暖化の影響で、梅の花が咲いているかと思い出掛けて行ったのである。
亀戸天神は菅原道真を祀っている。彼は梅の花が好きで、『東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ』と詠んでいる。
やはり季節が早過ぎて、梅の花は2~3本しか咲いていなかった。
しかしいつもは見逃していたことであるが、梅の木には全て名札が付いていた。
暇に飽かせて歩きながら調べてみたら、『八重唐梅、無類絞り、八重松島、月影、楠玉、蘇芳梅、思いのまま、東雲、青軸冬至、白加賀、春日絞り、未開紅、長谷川絞り、鹿児島紅、紅筆』など、色々な種類の梅の木が300本以上もあった。
名札の付いているのは若木ばかりで、池の周りには老木の「白加賀」が植えられている。
亀戸天神と言えば「亀」が有名だった。
いつも池の岩の上には沢山の亀がいて、日向ぼっこをしているのが見られた。
私は「亀戸神社」だから、亀がいると思い込んでいたが違うようだ。
池にいたのは外来種の「アカミミカメ」で、生態系に害を及ぼすために駆除の対象となっている。
そもそもはペットとして飼っていた亀を、誰かが池に捨てたのだろうと思う。それが増え過ぎてしまい、亀戸天神は駆除したものと思われる。
そして今では全く亀のいない「亀戸天神」となっている。
1月24日と25日は亀戸天神で、「鷽替神事」が行なわれた。
私が行った前日までであり、そのせいでお参りに来ている人もまばらだった。
「鷽替神事」とは「木彫りの鳥「鷽(うそ)」を新しいものに交換することで、これまでに起こった災いや悪い出来事を「嘘(うそ)」に替え、良い1年になるようにお祈りする」という、私から見ると変な神事である。この鷽は表通りの亀戸天神の近くだけだが、ガードレールの支柱のポールにもなっている。
(おまけの話)
亀戸でランチを食べたが、まだ帰るには早過ぎた。
そこで「キラキラ橘商店街」を思い出し、そこへ行くことにした。
亀戸駅から「日暮里」行きの都バスに乗って、5つ目で降りた。
久し振りにやって来たが、これが3回目だと思う。
どうということもない下町の古い商店街だが、「キラキラ」の名に惹かれる。
住所は墨田区京橋で、商店街の正式名は「向島橘銀座商店街」である。
下町といっても色々ある。門前仲町は有名な寺や神社があり、商店が発達している。
亀戸は中小の工場が多くあったので、労働者の町である。人形町・浅草などは芸能関係者が多いので、少し文化的である。
向島の由来は「浅草から見て向こう側にある雅な街」から来ているそうだが、今ではその面影は無い。商店街の名に「銀座」を付けるのでは、「田舎」になってしまう。また愛称の「キラキラ」も現地に行けば分かるが、全くキラキラしていない。
私が行った時は昼を少し過ぎた頃だったが、人はほとんど歩いていない。
掲示板を見たら、『平成26年 がんばる商店街30選』で、経済産業省から表彰、『2021年 第16回東京都商店街グランプリ』を受賞していた。商店街にはシャッターを下ろした店、店を止めて民家になった場所などもあり、キラキラはしていなかった。
所々に頑張る店はあるが、隣の江東区にある「砂町銀座商店街」と比べると雲泥の差がある。でも砂町の方も「銀座」と付けているなー。みんな銀座に憧れている。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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03/01(金) 確固たる想いを洞爺湖で実現させたい! 〜『湖の膳舎 なかむら』 和食職人 中村 悠佑氏〜
2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
Rietty
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