
心の伊達市民 第一号
【大横川の桜】
3月16日から4月7日まで、「お江戸深川さくらまつり」が開催された。
祭の目玉は、「和船乗船体験」である。
江東区は「和船友の会」を支援して、和船の伝統と技術を保護している。
私は門前仲町の黒船橋の近くで、和船が来るのを待つことにした。
一般の人が乗船する船は、全員がオレンジ色のライフジャケットを着ている。
少し前にやって来た和船は桟橋に向かう船頭たちだけで、写真に撮るには江戸の雰囲気が感じられて良かった。桜に和船はよく似合う。
【法務書・赤レンガ館の桜】
皇居の「桜田門」の向かい側に「中央合同庁舎・赤レンガ館」がある。
建物の前に桜が植えられている。桜と赤いレンガの取り合わせが、とても結構な図柄となっている。最近はレンガ造りの建物が少なくなってしまったので、ここは撮影ポイントとして貴重な場所である。
私が写真を撮っていたら、外国人も参加して撮影していた。その奥は東京地方裁判所と高等裁判所となっていて、私は朝日新聞訴訟で何回か傍聴に行ったことがある。
【隅田川テラス勝どき公園の桜】(勝どき)
4月9日は朝から強風が吹き、雨もかなり降っていた。
この雨で今年の桜も見納めと思い、先ずは近場の桜の様子を見に行った。
公園に近付くと、石段が花びらで真っ白だった。
上に上がると誰もいない。一面の花びらが絨毯を敷き詰めたようだった。
ところどころの水たまりに花びらが溜り、小さな花筏を作っていた。
【月島第二児童公園の桜】(勝どき)
次に月島第二児童公園に向かった。
この公園は勝どき駅を出たところにあり、月島ではなく勝どきだが、昔の地名が残っているのかもしれない。
数本ある桜の木の花びらは、強風と雨で殆ど落ちてしまっていた。所々に出来た水溜まりが、なんだか「落とし穴」みたいに見えた。
「桜の命は短い」と、しみじみ感じたのである。
【明石町河岸の桜】(聖路加国際病院裏)
勝どき駅近くでランチを食べたら元気になり、もう少し色々な場所の桜の様子を見に行くことにした。強い雨の中を隅田川テラスを歩いて、聖路加国際病院の裏手に行った。ここはいつも桜が咲くのが、他より遅いのである。幸いに咲くのが遅かったせいで、まだかなりの花が残っていた。
ここも水溜まりに花びらが集まっていて、見慣れると小さな花筏も好きになって来た。
水溜まりの花びらは「花筏」とは言わないのかもしれないが、私の感じたままである。
【あかつき公園の桜】(築地)
都バスに乗るために晴海通りに出る途中に、「あかつき公園」があるので中に入ってみた。ここは桜の木は少ないが、やはり小さな水溜まりに「花筏」が出来ていた。
雨は少し小降りになって来て、歩くのが少し楽になった。
ここは割合に広い公園だが、雨のせいで子供達の姿はない。
昨年はこの公園で「かりん」を拾って来て、居間に置いて長く楽しんだ。
【墨田公園の桜】(浅草)
4月10日に「日の出桟橋から浅草」まで、友人達を誘って定期観光船に乗り、隅田川沿いの桜を見る計画をしていた。ところが9日の強い雨で、墨田公園の桜は散ってしまっただろうと思いこの計画は中止した。もう「ここまで来たのなら」と思い、そのまま1人で墨田公園の様子を見に行った。
幸いに雨は小雨程度になり、観光客も出て来た。中華系の親子が貸衣装で、桜やスカイツリーを記念撮影をしていた。
私のこの日は「ワークマン」の防水靴を履いて来たので、安いが全く水漏れがしなくて助かった。
(おまけの話)【目黒川の花筏】
目黒川の「さくらクルーズ船」に乗った経験は、とても貴重だし良かった。
そこで今年の桜の最後を締めくくるために、目黒川の花筏の写真を撮りに行った。
浅草から地下鉄で「田町駅」に出て、JRで品川駅で降りる。
そこから都バスで4つ目の「昭和橋」で降りる。あと2つの橋で、目黒川は海に出る。
昨年は何回も来た橋で4つ上流の「鎮守橋」に来たら、少し花筏が出来ていた。
もっと上流に行けば、昨年と同じくらいの花筏が見られる予感がした。
目黒川沿いの歩道を進むと、道路には花びらが落ちて「花筏」が出来てた。
いよいよ期待が膨らむ。しかし川を覗くと「花筏」は出来ていない。
期待しつつも出来ていなかった時のことも考えながら、雨の中を歩いて行く。
昨年は「居木橋」で見事な花筏を見たので、そこまでは頑張って行くことにした。
新幹線の鉄橋をくぐると「居木橋」になる。
期待しながら川を覗いたら、花筏が出来ていた!
昨年よりは小さかったが、それでも納得の花筏を見られた。
雨の中をここまでやって来た努力が、最高の形で報われた気がした。
今年の桜は2月からの気温の激変で、開花予想が早まったり、遅くなったり、また早くなったりした。しかしなにより良かったのは、今年は「満開と入学式」が同時だったことである。私の子供の頃は、いつもそうだったのだ。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
Rietty
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Shinji