
心の伊達市民 第一号
マンションの友人のFさんに頼まれて浜離宮恩賜庭園に、八重桜の一種である御衣黄の様子を見に行った。彼は体調が良くないので、私のようには動き回れない。
数年前は私と一緒にアチコチと歩き廻ったが、1年近くの入院ですっかり足腰が弱ってしまった。そこで私が下見に行って、その結果によってはFさんはタクシーで見に行くつもりのようだ。
天気も良く穏やかな日なので、私はコンビニで「おにぎり」と「デザート」を買い、魔法瓶にお茶を入れて持って行った。場合によればと思い、本と眼鏡も持った。
家から歩いて20分くらいで行けるので、ブラブラと隅田川に架かる築地大橋を越えて行った。
都道2号線沿いの歩道が開通したので、浜離宮横の仮設歩道を撤去していた。中央区民は5月の連休まで使える無料入園券を支給されているので、今回もありがたく使わせてもらった。でもシニアの入園料は150円ある。
ここには何度も来ているので、一直線に「御衣黄」のある場所に急ぐ。
御衣黄の手前には、同じような緑の花弁の「うこん」がある。
この日は丁度、両方とも見頃になっていた。
来るのが少し遅かったら、緑の花びらの中心部分が赤くなってしまう。
御衣黄を知らない人なら、『ここは葉っぱだけかー』と通り過ぎてしまう。
私が熱心に写真を撮っていたら、外国人夫婦が近付いて来た。
そして聞いたことがない言葉で話し掛けて来て、スマホを差し出した。
『シャッターを押して欲しいのだな』と分かり、御衣黄の前で写真を撮ってあげた。
私は『どこから来たの?』と英語で聞いたが、2人は英語が分からない。
奥さんは頭にスカーフを被っているので、イスラム圏の人達のようだ。
最近はずいぶんと色々な国から、日本へ来る外国人が増えたように感じる。
「御衣黄」という桜は大島桜系の品種で、江戸時代中期以前に京都仁和寺で生み出されたとされている。萌黄色の花弁を貴族が纏っていた衣装の色に見立てて、「御衣黄」と命名されたそうだ。
この桜は咲き始めが綺麗で、開花から数日後には黄色っぽい花となり、やがてピンク色のストライプが入り芯が赤くなる。いまはソメイヨシノが終り、八重桜が咲いている。桜なのに「イチョウ」という名の花があった。
少し離れたところには、一重の「大島桜」があった。
ソメイヨシノに似ているが、大島桜は花びらが大きいし花と葉が同時に出る。
私は八重桜より、大島桜のような一重の桜の方が好きだ。
この大島桜の葉は「桜餅」に使われている。私は桜餅を食べる時に、葉は食べない。
東京の「桜餅」は、関西では「道明寺」と呼ぶそうだが、東京には別に「道明寺」という菓子がある。。
運河に面したベンチに座り、買って来た「おにぎり」と「デザート」を食べた。
暖かい風が頬を撫でて、通り過ぎて行く。
少し本を読んでから、出口に向かうと「関山」があった。
この桜は派手と言うべきか、とても華やかである。
カメラのズームを使ってアップで撮影したら、なお華やかさが目立った。
(おまけの話)
浜離宮の入口で係員に無料券を渡し、庭園内に入った時のことである。
少し前まで「菜の花」が植えられていた畑が、無くなっているのが見えた。
近付いて行ったら、作業員が枯れた菜の花を刈り取っていた。
刈り取り用の作業車に乗って、端から畑を往復しながら刈っている。
見ていてとても面白そうで、私もやらせて欲しかった。
菜の花畑の先に進むと、両側が歩道になっている細長い梅林がある。
今年の梅の木は、なぜか元気が無いように感じる。
枝を見ると、枯れかかっている。梅の実がなっている木も少ない。
「寿命かなー?」と思いネットで調べたら、梅の木の寿命は70~100年だと書いてあったから、まだ寿命ではないだろう。庭園で専門家が管理しているはずだから、なにか原因がありそうだ。
出口に向かうと水路の手前に、2本の大きな「ユリノキ」がある。
なぜ「ユリノキ」というのか、不思議に思い調べてみた。
すると「花がユリの花を思わせる」ことから、その名が付いた。英名では「花がチューリップに似ている」ので、「チューリップ・ツリー」と呼ばれているそうだ。
今回の確認では、花が咲くにはまだ少し早かったようだ。
あと1週間くらい先か?
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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確固たる想いを洞爺湖で実現させたい! 〜『湖の膳舎 なかむら』 和食職人 中村 悠佑氏〜
2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
Rietty
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