心の伊達市民 第一号
新橋から東京BRTに乗り、家に帰ろうと思った。
広い道路に出たところで隣に都バスが並んだので、行先を見たら「渋谷駅」と出ていた。新橋から渋谷まで都バスが出ているとは知らなかったので、翌日になり小旅行のつもりで乗りに行ったのである。
車を運転していた頃は、周りの風景を眺めることは無かった。
バスに乗るようになり、都会の風景を見るのが好きになった。特に初めて乗る路線は楽しい。
バスが渋谷駅に着いたので、先ずはスクランブル交差点を上から見るために、井の頭線の出るマークシティビルに行った。3階に行くと、巨大な壁画が目に入った。
この壁画のことを調べたら、次のようなことが分かった。
『原爆が炸裂する瞬間をモチーフに、その悲劇にも負けない人間の尊厳さを表現した岡本太郎氏の傑作だ。「明日の神話」描かれたのは1968年から1969年。当時、メキシコの実業家よりホテルのロビーに飾るための壁画を依頼され完成させたものの、依頼主の経営が悪化、・・・』
『ホテル自体が未完成のまま放置された。「明日の神話」は行方不明となったが、2003年にメキシコシティ郊外の資材置き場で発見され、2005年に日本へ戻った』。
今までに何度も見ていたが、こんな歴史があるとは知らなかった。
上に行くほどスクランブル交差点が良く見えるはずなので、上に行ったが窓際に行ける場所が無い。
仕方ないのでまた3階に戻り、そこからガラス越しにスクランブル交差点の様子を見た。このガラスは防火用の飛散防止ガラスで、ワイヤーが入っている。撮影場所が低いし、ワイヤーが邪魔で希望する動画が撮れなかった。
そこで下に行き、私も外国人観光客と一緒にスクランブル交差点を渡ることにした。
日本人にとってはスクランブル交差点は特に珍しくも無いし、面白くもない。
これがなぜ外国人観光客には、わざわざ見に来る価値があるんだろう?
交差点の中ほどで記念撮影する外国人、歩くところを動画撮影する外国人で混雑する。
私にしてみれば、ベトナム・ホーチミン市の交差点の方がよほど面白い。バイクと車が入り乱れ、譲り合いなど無しの早いもの勝ちのスクランブルだ。
次は定番の「忠犬ハチ公」である。
スクランブル交差点とJR渋谷駅の間に鎮座している。
ブログの為に写真を撮りに行ったら、なんと20人以上が記念撮影で行列していた。
私はバカバカしいので、入れ替わりの瞬間に写真を撮った。
忠犬ハチ公の銅像は東京大学農学部の庭にもある。
本家がどちらか分からないが、東大のハチ公は飼い主だった上野英三郎博士と一緒に立っている。
もうひとつの定番は若者が集まる「センター街」である。スクランブル交差点を渡れば、左手に入口が見える。ここは以前はハロウィンなどの日に、日本人だけでなく外国人も大勢繰り出して路上飲酒で大迷惑になった。
渋谷区では特定の期間において、一部の来街者による迷惑行為などにより、渋谷駅周辺地域の安全で快適な秩序が脅かされる事態が発生していたことから、令和元年6月に路上飲酒禁止の条例を制定した。しかし、迷惑路上飲酒は常態化し、これに起因するごみの放置や騒音などのトラブルは深刻化していた。
そこで条例を改正し、令和6年10月1日より午後6時から翌朝5時の間、路上や公園など公共の場所における飲酒を通年で禁止し、また禁止エリアも拡大したのである。
センター街は高齢者には向かないので、中には入らなかった。
そしてJRのガードをくぐり、渋谷駅の反対側に行ってみた。ガードを越すと、すぐ左に入る道がある。その先の2階が「宮下公園」である。
いまは洒落て「MIYASHITA PARK」と名乗っているが、1階部分に飲み屋街「渋谷横丁」が連なっている。何年ぶりかで来たらまるで様変わりで、昔の面影は無かった。
(おまけの話)
渋谷横町の上の3階建てのビルは、「MIYASHITA PARK」である。
そこがガラッと雰囲気が変わり、急にモダンになる。入口で待ち構えているのが、モンスター「LUV」である。
作者のLYさんの言葉。「LUVというモンスターは大切なものを抱えて、大切な場所や大切な人に会うために森や街を彷徨います。会いたい人、行きたい場所、見たい景色、夢などをひとりひとりが大切な何かに向かって進めるHolidaysになることを願って制作しました」。
うーん。私にはよく分からないなー。彷徨うところは、私に似ているモンスターだ。
4階が屋上になっているので、そこにも行ってみた。こちらは開けていて気持ちが良いが、あまり人は来ていない。
細長い屋上公園の中間あたりに「ドラえもん」の大きな置物があった。
近付いてみたら、タイトルは「みらいのとびら」であった。
説明書きには全部、ひらがなで「このとびらは、わたしたちのみらいにつながるとびらです。さあいっしょに、このとびらをのぞいてワクワクするみらいをみつけてみませんか」と書いてあった。
でも子供は1人も来ていなかったので、私はドラえもんと一緒に記念撮影をした。
この公園に来た目的の1つに、伊達市出身の彫刻家「渡辺 元佳氏」の作品「チンパンジー」を見ることだった。
だいぶ前に来た時に「チンパンジー」を見付けたので、その確認である。
しかしどこにも無い。公園を整備した時に、撤去してしまったのか?
先の方に大きな有料の「ボルダリング・ウォール」があった。子供が壁を登っていた。
その姿を見ていたら、なんと頂上に探していたチンパンジーがいたのである。木の枝を持って上に掲げ、空を見上げている。説明書きが無いので、その意味は分からなかったが安心した。
この公園はまだ外国人観光客には知られていないようだが、知ったらみんな来るだろう。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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06/30(金) BROCKEN代表 佐藤大輔氏 〜「もったいない!」に背中を押され、ゆるっと しれっと 熱い人
今回の主人公は「BROCKEN」代表 佐藤大輔氏。 「一体全体この人は何者なんだろう?」 そんな筆者の興味からオファーを入れた取材でしたが、正直「しまった…」と思いました。 何故ならば、一つにはプロの編集者でライターさんだったことをうっかり忘れていたこと。 そして、ネタが豊富すぎたこと。 「やっちゃった…」と思いました。 さて。 待ち合わせたのは地球岬にある「崖の駅」でした。 きっと、この画像に書いてあることをもれなく読んでいただくだけで、佐藤さんの「ゆるっとしれっと感」が伝わるかと思います。 なので「これにて終了〜」と、してしまう手もありかな…。 そんなことを思ってしまうほど、取材させていただいた2時間はヌマでした ^^; 佐藤さんったら、面白すぎます。 危うく、すっかりハマった足が抜けなくなるところでした。 気を取り直して佐藤大輔氏略歴から 1)1982年10月 室蘭生まれ 高校生までの18年間を室蘭で過ごす。 〜室蘭中島町生まれだそうですが、その記憶はほとんどなく、あるのは高砂町に住んだ頃のこと。その後の大輔氏は、生まれ故郷「室蘭」の刷り込みを実感する場面に何度も出会います。 2)中国留学。その後、当時、道内唯一中国語学科のある大学に進学。 〜なぜ中国語なのかは、「なんだかよく判らない」という面白さに惹かれたのと、 「これからは中国語を学んでおくと良さそうだ」と直感したのがその理由。 3)大学卒業後、JTBに入社し二年間在職。 人に旅を売るより自分が旅をしたくなり世界一周の旅に出る。 〜なぜ狭き門で自分が採用されたのか気になり上司に尋ねると、なんと「ギャンブル枠採用」と言われたそう。 JTBでは曹洞宗の檀家さん向け「団体参拝」の営業を経験。隣のチームは日蓮宗担当されていました。 旅行業界の興味深い背景です。 「特に旅行業界に興味があったわけではないんですよね。 外国語が活かせるかな〜?くらいの気持ちで受けたら採用してもらえました。 でも「ギャンブル枠採用」って、納得しました笑」 世界一周の旅へ 「檀家さんたちに営業の仕事をするうちに、『人に旅を売るより自分が旅をしたくなった』というわけですね。」 「そうなんです。世界一周しよう!と思い立ち、半年間の有効期限で世界を周れる『世界一周堂』という会社が売っている『一周券』を利用しました。」 なんでも、5大陸の内、何大陸を選ぶかによって値段が変わるそうで、最初に選んだアライアンスの航空会社で決めた日時しか乗れないという縛りがあるのだそう。 その時、大輔さんが選んだ旅は半年間の移動代が40万円という格安のものでした。 なんという魅力的な!! 筆者も行きたい…。 うずうず…。 「その旅の中で印象深く忘れられないエピソードを教えていただけますか?」 「よく言われますが、インドへの旅はその後の自分の人生観に大きな影響をもらったと思っています。あそこにはまだカースト制度の名残があって、乞食として生まれ乞食として死んでいく人が今でもいるわけです。汚水の中を歩いて生活する様な…ね。でも、目がとても綺麗で、白目の光の強さに圧倒されました。そして気付いたのは、目の綺麗さと貧富の差はイコールじゃないということ。言い換えれば『金持ちにならなくても幸福はある』というか。どういう風にしても生きていけるんだよな…って思ったんです。」 こういうエピソードにも大輔氏の『ゆるっと熱い』感が溢れています。 「でね、肺炎で入院したんですよ。」 「そうそう!そういえば、旅する間のアトラクション的楽しみを持ちたくて、『1カ国につき1回はぼったくられても良しとする』というルールを自分に決めていました。どこの国でもボッタクリって普通にあるんですが、それを通してその国が少しわかるような気がして。でもこれって『傲慢』な考えでもあるよな…とは思っていました。」 ぼったくりエピソードもたくさんお持ちのようですが…。 本当にヌマから抜け出せず帰れなくなりそうだったので、ほどほどで切り上げさせていただきました ^^; 気になる方は是非ご本人に会って聞いてみてほしい! 本当はもっと旅を続けたかった大輔さんは、先輩の結婚式に呼ばれたことをきっかけに、旅を途中で止めて帰国してしまいました。 「まあ、結果的には旅には満足したんですけど、少し後悔しているのは一周券を買ったこと。あらかじめルートを決めて旅に出るものだったので、ある意味自由を奪われてしまったわけです。だから、途中で気が変われない。気に入ったから滞在を延ばすってことも許されない。あの旅は、自分にとっての何回目かのモラトリアムだったので、そもそも目的がある旅ではなかったんですけどね。実に勿体ないことをしたな…って思っています。もっと何て言うか、沢木耕太郎の『深夜特急』のような旅をしたかったな…って。とはいえ『深夜特急』に出会ったのも旅の途中だったので、最初から手遅れでした笑。」 なるほど。 世界一周こそしませんでしたが、若かりし頃、一人ふらふらと行き当たりばったり旅ばかりしていた筆者にも、なんとなく大輔さんのお話の意味がわかる様な気がしました。 「ところで、いま振り返ってみてもう一度行きたい!と思うところはありますか?」 「イースター島かな…。実はイースター島まで行ったというのに、なんと室蘭を思い出しっちゃったんです。イタンキ浜の上の丘の膝丈の笹とか、ローソク岩とか、海とセットで色々思い出して『似ているな…』って思ったんですよね…。」 イタンキ浜の丘にそっくりな風景があったりして、モアイ島に居ながら室蘭を思い出してしまった大輔さんでした。 そして再び略歴の続き 「僕、根本的にはマイナス思考だし、実は結構真面目なんですよ。」 大輔氏は自分をそう分析します。 前職から逃げる様に世界一周の旅に出たにも関わらず、「不自由な旅をしてしまった」と悔い、「勿体ないことをしてしまった」と思ってしまうマイナス思考さ加減。 けれども、空の色とか、建築物とか、旅の中でいろいろなものを観て『旅とか観光って人生の栄養なんだな』と思うところ。 ネガティブな部分も含め、旅で得た心の栄養を無駄にはしないと思う真面目さ。 「1カ国1回ぼったくりアトラクション」を許す自分に傲慢さを感じるところ。 イースター島で感じた故郷室蘭を想う気持ち。 確かに自己分析通りだと思います! 4)帰国半年後、リクルート北海道 じゃらんへ入社し、11年間勤務する。 〜苦手な営業部で2年。 編集部では9年働き、仕事はとても楽しかったそう。 「編集の仕事って設計屋なんです。 『なんでそれを作るのか?』『誰が喜ぶのか?』を考える役。 つまり枠組み作りです。その後、デザイナーとライターに依頼をして協働して作っていく。 根が真面目だから、誰かの役に立っているとか、何かの糧になっていると知ると嬉しくなるんです。 でもね。当時の編集長に言われました。『お前の記事は毒が強い。が、薄めれば薬になる。 スパイスだけじゃ味がないんだ。味付けは大事だ。』 この言葉には本当に感謝しています。 すごく心に残っているし、その後の僕の仕事にも生きている言葉です。」 「じゃらん」時代の面白いエピソードを伺いました。 読者の嗜好の指標として、購読前支持率と購読後支持率というものがあるそうなのですが、 その過去最低の数字、購読後支持率3%というのを取ったことがあるそうです。 ところが何故か嬉しそうな大輔さん。 「実は、その時の購読前支持率は1%だったんです。ところが読んだ後に2%増えたというわけです。 小さい数字でも3倍になった!購読後に数値が3倍になるっていうのは滅多にないことなので嬉しかったです。」 5)じゃらん退職後の地域おこし協力隊+α 〜2017年に退職したのち室蘭に帰郷。同時に室蘭市観光課付、室蘭観光協会配属になりました。 同時期、個人事業として『BROCKEN』も立ち上げました。 また、『北海道Likers(当時サッポロビールが運営していた)』のライティングの仕事も始めました。 いつの間にか着実に積み上がっていたキャリアがフルに発揮でき、さらに地域おこし協力隊としての活動で経験値を上げながら、『BROCKEN』の活動も成長させていきました。 「地域おこし協力隊をしながら感じたのは、世界一周から帰国したときにも感じた『もったいなかったなあ』ということでした。それは、室蘭的な良さに触れずに無関心に育ってしまったということに対してです。例えば、蓬莱門・地球岬・イタンキの丘・大黒島の夕陽など室蘭の素敵な風景があったのに、その良さに気づかなかった。」 Uターンをして室蘭を見直した時、何かが外れたように室蘭が見えてきたと言います。 高校を卒業してからの18年間で多くの気づきを得た大輔さんは、「室蘭の良さを発信したい!」と強く想うようになりました。 6)そして今 現在は、個人事業「BROCKEN」での活動と、合同会社「SUM-i-CA」の経営メンバーとしての活動、二本立てで活躍されています。 事業内容はあまりにも多岐に渡っているのでHPをご覧いただいた方がわかりやすいです。 でも、せっかくなので特記するとすれば、というよりも筆者のツボだったのが今回の取材の待ち合わせ場所でもあった「崖の駅運営」と「むろらんくん育成事業」と「たたら製鉄への関わり」のこと。 「この崖の駅はもともと地球岬にあった『毒まんじゅう』の店の空き家利用でした。地球岬は室蘭の顔なのに『もったいないなあ』と思ってね、私設の無人観光案内所みたいなものを作ったんです。堂々と無人と謳っている通り、僕はほとんどいませんが時々母がいます。その時は「むろらんくんグッズ」も販売しています。」 え!? 毒まんじゅう?? と、びっくりされた方にちょっと説明的にこちらの画像を〜。 というわけです。 で、このキャラクターこそが「むろらんくん」。 大輔氏はさまざまな場面で登場させる「むろらんくん」を育成事業と呼んでいます。 そしてついにはLINEスタンプ販売まで育成事業は発展しました。 つぎに、「たたら製鉄への関わり」です。 地域おこし協力隊時代、ムロランワンパクに来てもらったご縁で「登別室蘭たたらの会」石崎会長と知り合った大輔さんは、石崎家で玉鋼のナイフ鍛造体験をさせてもらいました。 その後、「なんか話の流れで、たたら製鉄の手伝いをすることになった」のだそうです。 大輔さんの父方の祖父が鍛冶屋だったこともあり、職人的なことへのあこがれもあり、もともと手仕事好きなのもありで、製鉄も鍛造も興味深いし楽しい!と感じたそうです。 そんなこんなで「たたら製鉄への関わり」を持つようになりました。 「室蘭は鉄の町だけど、鉄を身近に体感できる体験コンテンツはすごく少ないんです。その点でたたら製鉄と鍛造体験は質の良いコンテンツになる可能性があると思いました。しかしとにかく炭代と人の手がかかるので、ちゃんと体験メニューとして稼げるように仕立てるにはどうすればよいのか目下考え中です。」 最後に さて。 この辺りでそろそろ最後にしたいと思います。 初めに「この人は一体全体何者なんだろう?」という筆者の興味はほぼ満足しました。 …と思わなければいけないくらい、やはり、佐藤大輔氏はヌマすぎました。 この上なく、果てしなく面白すぎました。 なので、どこまでもしつこく追求してしまいそうなのでこの辺りで止めることにしました。 でも、はっきりと分かったことがありました。 こんなこと書いたら「恥ずかしいから止めて〜!」と言われるかもしれません。 でも、きっぱり言います。 直球ストレートではないけれど。 「ゆるっと・しれっと熱く、人間愛・室蘭愛に溢れる方」でした。 仕事の上でも、出会った人との繋がりも、「もったいない」の心を大切にしてきたからこそ多くの依頼があるのだと感じました。 参ったなあ…。 ファンになってしまったじゃないですか。 佐藤大輔氏、すっかり目が離せない存在になってしまいました。 ―佐藤大輔氏情報― Facebook https://www.facebook.com/daiske.sato Instagram https://instagram.com/satodaiske?igshid=MzRlODBiNWFlZA== BROCKEN https://www.brocken.work SUM-i-CA https://www.sum-i-ca.com
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