心の伊達市民 第一号
「SusHi Tech TOKYO 2024」のイベントとして、「空飛ぶクルマ」の実演があった。
場所は東京ビッグサイト東棟屋外駐車場で、5月に4日間で8回が行われた。
事業者は丸紅エアロスペース社で、機体はAIRCRAFT社の「HEXA」である。
今回のSusHi Techでは何回か「空飛ぶクルマ」を見たが、実際に飛ぶところを見せてはいなかった。そこで人数によっては入場制限があるようなので、5月23日の午前11時の回を見るために早目に現地に行ってみた。
家の前から東京BRTに乗り、「国際展示場」で降りる。
「空飛ぶクルマ」の実演は、東京ビッグサイトの東棟の奥の駐車場であった。
10時からの受付なので、9時40分に現地に着いた。
ところが観客は誰も来ていない。心配になる。10時になったら、3人になった。
実演は11時からなので、会場内で待つ。段々と観客が増えて、100人くらいになった。
アナウンスが『テストフライトを行います』と伝えた。
駐車場にはどうみても「空飛ぶクルマ」ではなく、ドローンが置いてあった。
隣にいたオヤジが話し掛けて来た。『あれが空飛ぶクルマですかねー?』
係員がドローンに近付き、実演の為の作業を行っている。
それがいつまでも続く。遂にアメリカ人技術者も出て来て、色々やっている。
プロペラの下に着けてあったバッテリーらしきものを全て外した。
そして手押し車がやって来てそれを持ち去り、最後に機体も運び去った。
どうやらこの日の空飛ぶクルマの実演は中止のように見えた。
10時になったら、司会者が「空飛ぶクルマ」の説明を始めた。
すると先ほどのドローンではなく、本物の空飛ぶクルマが登場した。
技術者たちが出て来て数あるプロペラの下に、先ほどと同じ四角い物を装着している。
これはバッテリーらしいが、なぜ事前にセットしておかないのか分からない。
その後、彼等は念入りに機体各所を点検をしている。
司会者が操縦者のアメリカ人を紹介し、空飛ぶクルマに乗り込んだ。
『彼の名はXXで、わざわざこのために来日しました。空飛ぶクルマは操縦が簡単で、1時間くらいの練習で誰でも操縦できます。離陸と着陸は自動で行うので、安全です。プロペラの風で持ち物を飛ばされないように、鞄に入れてください。それではスタートします』。
そしてプロペラが廻り出した。
「音もなく上昇」と言いたいところだが、音がかなりうるさい。
自動運転で離陸するところを見せるために、操縦士が両手を機体から横に出している。
10メートルほど上昇した後に、機体は前進した。
機体を見ていると、なぜか私はその形から「蛸」を連想した。
足は6本で胴体は楕円形で、頭に円周上に16個のプロペラが付いているように見える。
1人乗りの機体で、見ていて落ちるのではないかと思い怖い。
イランでヘリコプターが墜落し、大統領が亡くなったばかりだからなのかもしれない。
空飛ぶクルマは駐車場内を、右に左にと旋回しながら飛ぶ。
観客からは離れているので、プロペラの風は来ないが音はかなり大きい。
これが実用化されるまでには、まだまだ色々と解決しなければならない問題があるだろう。私の考える一番の問題は、「上空で故障したら、落下する」ことである。
20分くらいのデモンストレーションを終えて、空飛ぶクルマは着地した。
観客から拍手が起きた。機体から降りて来たアメリカ人操縦者は、スターのように手を挙げて我々の方に歩いて来た。
(おまけの話)
空飛ぶクルマの実演が終ったら、昼時になった。
東京BRTの乗り場に行く途中に、レストランの建物があった。
中に入ると「COCO'S」という洋食チェーン店があったので、ここでランチにした。
入口を入るとモニターがあり、そこで自分で受付をするとプリントされた紙に番号が書かれている。壁の上に大きな画面があり、しばらく待つとそこに自分の番号が現れる。
次にまた自分でプリントの数字をセンサーに当てると、番号が書かれた紙が出て来る。
それと同時に画面に、自分の番号の席の位置を示した画像が現れる。
席に座るとモニターがある。その画面で、自分の食べたいものを選んで注文する。
するとしばらくして、配膳ロボットが料理を運んで来て、私の席の横で停止する。
私は料理を取り出して、ボタンを押すとロボットは戻って行く。
まるで自動化の行き着いた工場のようだ。
ある時のテレビ番組で、日本に来た外国人に『日本のレストランで、どんなチェーン店がお好みですか?』と聞いていた。
寿司屋の店名を言う人が多いが、その理由が『安くて美味しい』である。
アメリカ人は「アメリカでラーメンと餃子を食べれば、3000円以上になる』と言っていた。
オリーブ油の営業に来ていたイタリア人は『サイゼリアが美味しい。イタリアの商材を多く使っている』と言うし、インド人は『C&Cのカレーが美味しい』と言う。
いまは円安の影響もあるが、日本のチェーン・レストランは安過ぎだ!
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
Rietty
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