
心の伊達市民 第一号
毎日、どんなことがあろうが、出掛けるのが日課になっている。
出掛ける時に女房は決まり文句で、『水は持った? 熱中症に気を付けて!』と言う。
でも『どこに行くの?』とは聞かない。『どうせその辺を徘徊しているのだろう』と思っているからだ。
確かに女房の想像通りで、今回は新橋から銀座まで行くことにした。
東京BRTに乗って新橋(汐留)で降り、JR新橋駅まで歩いた。
詩人の宮沢賢治は書いている。
『雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノアツサニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 欲ハナク 決シテ怒ラズ イツモシズカニワラッテイル』。
私が中学生の頃に学校でこの詩を学んだ時に、「凄い人がいるんだなー」と思った。
この詩を読むと、私はいつも反射的に次のように思う。
『雨にも負け 風邪にも負け 特に夏の暑さに負け 丈夫ではない体を持ち 欲はあり いつもなにかに怒っている』。
でも思う。もしも宮沢賢治が今の世に生きていたら、この夏の暑さには負けていたのではないだろうか?
新橋駅前に行ったら、「新橋こいち祭」を開催していた。
「変な名前の祭だなー」と思い、ネットで調べてみて分かった。
その祭は『新橋に住む人、働く人、遊ぶ人に向け、小1時間、遊んでいってもらおう』との思い込めた商売人が考えた祭のようだ。
しかしこの広場は暑い。とてもここで小1時間も遊んでいられない。
宝くじ売場の前を通ったら、サマージャンボ宝くじを販売していた。
「大安の日」ではないせいか、買うための並んでいる人もいない。
それとも暑くて、とても並んでまで買いたくないのかもしれない。
「7億円」と大きく書かれているが、よく見たら前後賞を併せてだった。
どちらにしても、私はあまりに当選確率の悪い宝くじは買わない。
(おまけの話)
新橋駅近くから都バスに乗って銀座西6丁目で降りて、有楽町まで歩く。
ここは地下道も無いので、直射日光がギラギラと年寄りを照らす。
ビックカメラで買い物をしてから、ランチに行く。
途中で東京国際フォーラムの広場で、「大江戸骨董市」をやっていたので覗いてみた。
ここはビルの陰だし、植木も日影を作ってくれている。
以前と違い骨董品はあまり無く、1000円の着物や出品者の手作り品が多い。
外国人観光客も、どこで聞き付けたのか大勢来ていた。
日影はあっても風が通らないので、東京国際フォーラムに入る。
クーラーが効いていて、「ありがたい」と感じる。
地下1階に下りたら、「2024年東京インターナショナルオーディオショー」のカタログを渡された。
地下1階では古いレコードを売る店が3軒ほど出ていた。
4階~5階で大規模なオーディオショーがあるようだが、あまり興味が無いので涼んでから外へ出た。
昼飯は「うどん」と決めているので、ガード下のうどん屋「丸亀製麺」へ行く。
「すだちおろしぶっかけうどん」(520円)を食べる。
店を出たところで、思い出した。少し前にブログで取り上げた「有楽町でキクラゲ」のことだが、「その後、どうなったか?」を確認したくなった。
すぐ近くの木を見たら、なんと木に布が巻き付けられていて、キクラゲは無かった。
きっとあのままにしておくと、木が枯れてしまうのだろう。
クーラーの効いた店で冷たい「うどん」を食べて、少し元気になった。
次はコーヒー豆を買うために、銀座3丁目の澤井珈琲店に行った。
サービス券が送られて来ていたので、「ブラジル」を200グラム買う。
そして銀座通りに出たら、歩行者天国になっていた。
しかし暑い。歩行者天国にテント付きの椅子が置かれているが、誰も座っていない。
さすがに外国人観光客も暑さに負けて、外に出ていなかった。
暑さに負けて、急いで三越デパートに入る。
入口近くにショーケースがあり、大きなスヌーピーが飾ってあった。
これは夏の恒例行事の催事のスヌーピーである。
外はほとんど人が歩いていないのに、デパートの中はごった返している。
インバウンドの売り上げも大きいだろう。
私にとって迷惑なのは、買い物などしないのに地下食品売り場を徘徊する外国人観光客である。家に帰る時にバス停で待つ間が、この日一番の暑い体験だった。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
Rietty
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Rietty
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