パリ・オリンピックが始まった。
今回が33回目のオリンピックだそうだが、いつも変に思っていることがある。
それは開会式が7月27日なのに、競技は24日から始まっていることである。

他のどんなスポーツでも、開会式が終ってから競技が始まるのではないか?
開会式前に競技を始めた選手たちは、どう思っているのだろう?


火を使わない聖火台



そこで「なんでも疑問」の私は調べてみた。すると次のようなことが分かった。
『オリンピック憲章にはルールが決められていて、「オリンピックの大会期間は14日間(プラス、競技を行わない日として前後に1日づつの開会式と閉会式の日を設けることが出来る。この日程の範囲で全ての競技が終了出来ない場合は、予選だけは開会式前に行うことが認められている』。だから開会式前に行われている競技は予選なので、テレビでも放映しないのだと分った。


 ロスのShinji Isozakiさん提供の開会式場面(1)



開会式は日本時間の27日午前2時30分からなので、とても起きていられない。
しかも4時間と長いのでビデオに撮って、後からユックリ、しかも早送りで見た。
画面からはフランスらしい、趣向を凝らした開会式の様子が映し出されていた。
しかし気の毒なのは、雨が降っていたことだ。

ロサンゼルスに住む建築家で画家の親戚のShinji Isozakiさんが、開会式の様子を水彩画にして送ってくれた。彼も私が見たのと同じような場面が気に入ったようで、その特徴を捉えてとても素晴らしい水彩画だ。


 ロスのShinji Isozakiさん提供の開会式場面(2)



なにか東京でも、パリ・オリンピックの雰囲気を味わえる場所はないかと探してみた。
すると三井不動産が所有している複数のビルの壁面に、オリンピックに出場している選手の画像が貼り出されていると知ったので、日本橋まで行ってみた。このような装飾を「シティ・ドレッシング」と呼ぶのを初めて知った。

日本橋には三井不動産が所有する商業施設に、「コレド室町」が4棟ある。
「コレド室町1、2、3」と、「コレド室町テラス」である。


 「コレド室町テラス」



その壁面いっぱいに、オリンピックに出場する日本選手の写真が貼り出されている。
どういう基準で貼り出されているのかは分からない。
なにしろこの日は最高気温が38度もあったので、全部を見て廻る元気はなかった。

適当に私が選んだ選手を撮影し、早々に切り上げた。
その時、コレド室町1の前に無料シャトルバスが来たので、それに飛び乗り東京駅八重洲口まで乗って行った。そして次は東京ミッドタウン日比谷に向かったのである。


「コレド室町1」



オリンピックに合わせて、ミッドタウン日比谷にパブリックビューイングが設置された。
日程は7月27日(男子サッカー)、28日(女子サッカー)、8月1日(バスケット女子)、2日(バスケット男子)だった。
でもサッカー男子は28:00、女子は24:00、バスケットは両日も18:00からだった。
とてもそんな時間に行けないし、それほど見たい競技もない。


東京ミッドタウン日比谷(1Fアトリウム)



そこで中継をしていない日に、東京ミッドタウン日比谷に行ってみた。
一階のアトリウムに入ると、目の前に巨大なスクリーンが設置してあった。
その隣には舞台もあり、テーブルと椅子が置いてあった。
LIVEを行う時には、ここで関係者や元オリンピック選手が話をするようだ。

しかし真夜中にここへ来て、LIVEを見たい人がどれくらいいるのだろう?
素人考えでは、このイベントは失敗ではないだろうか?



(おまけの話)
オリンピックに関する話題で、「おまけの話」のネタに困った。
そこでパリを離れて、「東京オリンピック」でネタを探した。
その結果であるが、「国立競技場」の北側にある「日本オリンピック・ミュージアム」に行くことにした。

2020東京オリンピックを機会に、このミュージアムが出来たのである。
私はその時に見に行ったが、まだ展示もお粗末で入場も無料だったような気がする。
今回は「シニアはわずか100円引きの400円」だった。


東京オリンピック・ミュージアムの入口



私が22歳でニューヨークに行った年(1964年)に、東京オリンピックが開催された。
あの時から66年ぶりに、東京で2020東京オリンピックが開催されたのである。
実際には新型コロナウィルスの世界的な蔓延で、開催は2021年であった。
しかも無観客で、選手たちは選手村から外出禁止であった。

だが選手たちの希望を入れて、近所のコンビニに行くことだけは許された。
選手村は我が家の近くなので、私は興味本位でコンビニを覗きに行ったことがあった。


 1964年の「東京オリンピック」のポスター



日本オリンピック・ミュージアムは以前から比べると、大幅に整備されていて見応えもあるようになった。写真撮影もフラッシュを使わなければOKである。
懐かしい1964年の日本選手たちの使用した、靴などもあり面白い。
参加型の施設もあり、夏休みの子供達が挑戦していた。

私にとって何より良かったのは、ワイドスクリーンの部屋でアート的に編集されたオリンピックの様子をゆっくり見られたことだ。暑い日だったのでクーラーの良く効いた部屋で、観客は私1人だけで涼めたことだった。


 大画面でオリンピックの様子を伝えている。


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

コメント

  1. Shinji
    Shinji
    返信

    1964年の東京オリンピックから60年が経ち、オリンピックを見る自分の眼も変わった。当時は日本国民が一丸となって応援し参加し、興奮の渦の中に陶酔していた。今では、オリンピックに関するわいろや汚職や、セクハラやパワハラの実態が明らかになって来て、もう昔のように無邪気に楽しめなくなってしまった。

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