8月24日の夜に、江戸川区花火大会が開催された。
この花火大会は従来は8月初旬に行われていた。しかし今年は24日になった。
その理由は意外な素晴らしい話だった。

今回の花火大会と「パリオリンピック」が重なるからっだそうだ。
それが「なぜ延期の理由になるの?」と誰でも思う。私もそう思った。


窓から見えた「江戸川区花火大会」



延期の理由だが、ホームページは、次のように書かれていた。
『例年8月第一週の土曜日に開催してきましたが、令和6年は「パリ2024夏季オリンピックの開催期間と重なります。花火打ち上げの現場責任者である宗家花火鍵屋15代目当主の天野安喜子さんは、柔道競技の国際審判員としての顔も持ち、

東京オリンピックの柔道競技では、日本人唯一の審判員として決勝の審判も務めました。天野さんが今回もパリオリンピック柔道競技の審判として派遣されることを視野に入れ、委員会は早期に花火大会日程を決めたものです』
へー! すごい人が花火の打ち上げ責任者なんだなー! 




花火大会は午後7時15分から始まった。
我が家から見る光景は窓の真正面で、墨田川花火よりずっと良く見える。
テレビ放映は無いので、窓からの花火に熱心に取り組める。
この時間は我が家では夕食時間なので、花火を見ながら食べられる「おにぎり」にしてもらった。




私が最近、凝りだした動画も撮影したいので、結構忙しい。
遠いだけでなく窓が密閉式なので、音は聞こえない。
花火は静かに上がり、そして消えて行く。
そのままでは花火が小さいので、カメラのZOOMを使って撮影した。




「花火は現場に限る」と言われそうだが、私も年をとった。
だからクーラーの効いた部屋で、いろいろな食べ物や飲み物を用意して、写真を撮ったり動画を撮ったりの楽しみ方もあると経験から知った。

現場と違い音は無いが、音の無い花火もいいものである。
汗もかかないし、トイレもすぐ行けるし、帰りの電車の心配もいらない。




パリオリンピックの審判員の女性が花火屋「鍵屋」のオーナーなので、国際経験も豊富だと思う。
そのせいか、新しい花火がいろいろ登場した。
なにかで見たが、中程度の大きさの花火1個が5万円くらいするようだ。

1時間以上も打ち上げている花火代は、スポンサーが付いていても、相当の金額になるはずだ。近年は花火大会会場の警備関係金額が高くなり、開催中止の花火大会も出て来ているようだ。



最初の内は綺麗に見えていた花火だが、この日は風が無いらしく煙が停滞してしまい、途中からはハッキリとは見えなくなってしまった。可笑しかったのはその影響で、丸くなるべき花火が見えるのは半分だけになったことだった。

これは初めての経験で、とても面白かった。フィナーレの時は、明るかったがぼんやりになった。そして8時20分に、盛大な花火大会は終わったのである。


フィナーレ



(おまけの話)
古い思い出の花火大会(昭和新山花火大会)の話である。
昭和20年に爆発してたマグマが隆起し出来た昭和新山は、いまでも山腹から煙が出続けている。その昭和新山で8月21日と22日に、「昭和新山花火大会」が行われたので見に行った。

和新山までの道路はこの日は交通規制が敷かれていて、自家用車は入ることができないので遠くに車を止めて歩いていく。
見物客は本州からも来るので、その数は3万人を越える。
営業車だけは近くまで入れるので、私達は早くから毛利ハイヤーを予約しておいた。


昭和新山花火大会



現地では最高のロケーションである『一番館』というお土産屋兼レストランの経営者が,私たちの滞在先のゴルフ場オーナーの親しい方なので、山の正面の3階の社長室という特等席を確保してあった。花火は昭和新山に仕掛けられていまして、8時に始まった打ち上げは想像以上のものだった。
今までに色々な場所で色々な花火を見たが、この花火は特別です。

打ち上げられた花火は山の頂上近くで爆発し、大きな大輪の花を咲かせる。
その時にまでは照明を落とし、真っ暗闇になっていた昭和新山は花火によって明るく照らし出される。また、昭和新山に反響した爆発音は耳をつんざく大音響で、その迫力は今までの花火大会では経験したことの無いものだった。


昭和新山花火大会



花火の打ち上げにはストリーがあるようで、『昭和新山の噴火の様子を花火により再現した』とのことだが、そこはいまひとつ判り難かった。
しかしそんなことは全く関係無い、大迫力で大満足だった。花火は次から次へと打ち上げられて、最後に山の頂上付近に仕掛けられた花火が、噴火を表現するように扇形に開いた形に爆発し、大花火大会は終了した。

その間、わずかに25分の花火ショーだったが、都会の花火大会には無いローカルだが近くで見る大音響の花火大会は来年も見に来ようという気にさせた。


昭和新山花火大会


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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