
心の伊達市民 第一号
勝どきの隣町は「月島」である。
この町は「勝どき」と「佃」に挟まれていて、「もんじゃ」で有名な町である。
勝どきから西仲橋を渡る。下を流れる川は、隅田川から水門を通り朝潮運河に合流する。橋を渡れば、月島になる。
私が本を借りに行く図書館は、少し先の月島特別出張所の3階にある。
だからかなりの頻度で、月島には行っているのである。
そこで今回は「月島」を取り上げて、小さな旅をしてみた話である。
月島特別出張所から道路の反対側のナナメ右にスーパーマーケットの「フジマート」が見える。この店は元築地市場の仲買人が開いた店のようで、「魚がとても良い」と女房は言っている。私も時々、店に行くが通路も狭く、お客のほとんどが高齢者だ。
レジもセルフは無く、パートのおばちゃんの有人レジが2ヵ所だけなのでかなり待つこともある。地域密着型の愛されているスーパーだ。
「フジマート」の横を「もんじゃ通り」に進む。
すると右側に「フクロウカフェ」があるが、私は開いている時を見たことがない。
店構えもお洒落ではないので「廃業かな?」と思ったら、午後2時からの開店だった。
この店は東京で最初の「フクロウカフェ」だそうで、2012年の開店だそうだ。
都内では「うさぎカフェ」、「猫カフェ」、「犬カフェ」、「ハムスターカフェ」など、「なんでもあり」のようだが、驚くのは「蛇カフェ」まであるそうだ。私はこのようなカフェに入ったことは無いが、ドリンク付きで1時間が2000円らしい。
「フクロウカフェ」を通り過ぎて、「もんじゃ通り」に出る。
交差点の角に古い時代物の交番が見える。
この交番は1926年7月(大正時代)に派出所として造られたレトロな感じのものである。2007年に役割を終えて、いまは警視庁月島署の「西仲通地域安全センター」となって、観光案内などをしている。
その裏の建物の2階には温泉がある。その名は「月島温泉」で、入ったことはないが、入口を見に行ったことはある。珍しもの好きの観光客が来るので、混雑を避けるために入浴時間は1時間と決められている。
交番のある道が、観光客が来る「もんじゃ通り」である。
「もんじゃ通り」を佃方面に向かうと、左手に「くじらストア」がある。
この辺りでは明るい店で、非常に目立っている。この店は鯨肉の無人販売店である。
最近のテレビニュースでは、「無人販売店」の盗難が増えているように感じる。
ここは「もんじゃ通り」の中ほどで人通りも多く、店が明る過ぎて盗めないかもしれない。私の学生時代には、クジラ肉を使った「かつ丼」もどきを「文化丼」と言っていた。
「もんじゃ通り」を歩くと、「もんじゃ屋」以外の店はかなり少ないことに気が付く。
「もんじゃ屋」の元祖は昭和29年で、これは子供のおやつだった。
それが人気を呼び観光客も大勢来るようになり、現在では70~80軒はありそうだ。
隣町の勝どきに私が越して来た頃は、そんなに目立つほどの店の数は無かった。
知り合いが来ると「もんじゃ焼き屋」に案内していたが、実は私は「もんじゃ焼き」が好きでない。グチャグチャで見た目が悪いし、あまり美味しいとは思わないからだ。
「もんじゃ通り」は正式には「西仲通り」である。
その道を佃方向に歩いて行くと、「佃大橋」を渡る都道473号道路に出る。そこまでが「もんじゃ通り」である。
道路の左側に立派な建物があるが、それは新しく3年前に出来た築地本願寺佃島分院である。1階には人気の「本願寺カフェ」があり、2階が本堂となっている。
その上は有料老人ホームとなっている。
私は門徒なので2階に上がってお参りをしたが、誰もいなかった。
(おまけの話)
「もんじゃ通り」の左右に入ると、多くの古民家が残っている。
噂話によると第二次世界大戦の東京空襲の時に、米軍は築地、佃、勝どきを空襲しなかった。築地には聖路加国際病院と外国人居留地跡があるので、米軍は戦後のことを考えて病院が必要と考えたからだそうだ。
だからその一帯には、東京でも珍しいくらいに多くの古民家が残っている。
古民家と言っても安普請の小さな家ばかりで、築後100年は経っている。
間口は2間くらいの家が多く、もっと広い家は隣を買って大きな家にしたのだろうと思う。
最近は全国的に「古民家」が見直されていて、京都のように観光資源化している場所もある。月島の古民家はそこまでは行っていないが、若い世代の人達が利用している。
狭い路地を入ると長屋がある。各家は独立しているように見えても、よく見ると長屋になっている。
建て直して独立している家もあるので、長屋を知らないとよく分からない。
中にはその古民家を利用して、割烹、ネイルサロン、焼肉、貸しスペース、貸家などに使っている。
「なぜ月島の路地裏には、間口が狭い家が多いのだろうか?」と不思議に思い調べたが、その理由は分からなかった。
この辺りは明治期に埋め立てられた場所で、住環境としては決して良い場所ではなかったと思う。だからあまり豊かでない人達が住むために、長屋を建てたのではないだろうか?
私が中央区の募集で写経を習っていた時の先生は、月島の隣の佃の長屋に1人で住んでいた。台風が来たら倒れてしまいそうな感じだったが、まだ頑張っている。
月島、勝どき、佃に残る長屋もいずれ壊されてマンションになってしまい、歴史の彼方に消えて行く。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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Rietty
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