心の伊達市民 第一号

小さな旅(9)・・・月島散歩

勝どきの隣町は「月島」である。
この町は「勝どき」と「佃」に挟まれていて、「もんじゃ」で有名な町である。
勝どきから西仲橋を渡る。下を流れる川は、隅田川から水門を通り朝潮運河に合流する。橋を渡れば、月島になる。

私が本を借りに行く図書館は、少し先の月島特別出張所の3階にある。
だからかなりの頻度で、月島には行っているのである。
そこで今回は「月島」を取り上げて、小さな旅をしてみた話である。


 月島特別出張所



月島特別出張所から道路の反対側のナナメ右にスーパーマーケットの「フジマート」が見える。この店は元築地市場の仲買人が開いた店のようで、「魚がとても良い」と女房は言っている。私も時々、店に行くが通路も狭く、お客のほとんどが高齢者だ。

レジもセルフは無く、パートのおばちゃんの有人レジが2ヵ所だけなのでかなり待つこともある。地域密着型の愛されているスーパーだ。


 スーパーマーケット「フジマート」



「フジマート」の横を「もんじゃ通り」に進む。
すると右側に「フクロウカフェ」があるが、私は開いている時を見たことがない。
店構えもお洒落ではないので「廃業かな?」と思ったら、午後2時からの開店だった。
この店は東京で最初の「フクロウカフェ」だそうで、2012年の開店だそうだ。

都内では「うさぎカフェ」、「猫カフェ」、「犬カフェ」、「ハムスターカフェ」など、「なんでもあり」のようだが、驚くのは「蛇カフェ」まであるそうだ。私はこのようなカフェに入ったことは無いが、ドリンク付きで1時間が2000円らしい。


この「フクロウカフェ」は予約制



「フクロウカフェ」を通り過ぎて、「もんじゃ通り」に出る。
交差点の角に古い時代物の交番が見える。
この交番は1926年7月(大正時代)に派出所として造られたレトロな感じのものである。2007年に役割を終えて、いまは警視庁月島署の「西仲通地域安全センター」となって、観光案内などをしている。

その裏の建物の2階には温泉がある。その名は「月島温泉」で、入ったことはないが、入口を見に行ったことはある。珍しもの好きの観光客が来るので、混雑を避けるために入浴時間は1時間と決められている。


 レトロな「西仲通地域安全センター」



交番のある道が、観光客が来る「もんじゃ通り」である。
「もんじゃ通り」を佃方面に向かうと、左手に「くじらストア」がある。
この辺りでは明るい店で、非常に目立っている。この店は鯨肉の無人販売店である。
最近のテレビニュースでは、「無人販売店」の盗難が増えているように感じる。

ここは「もんじゃ通り」の中ほどで人通りも多く、店が明る過ぎて盗めないかもしれない。私の学生時代には、クジラ肉を使った「かつ丼」もどきを「文化丼」と言っていた。


 鯨肉無人販売所「くじらストア」



「もんじゃ通り」を歩くと、「もんじゃ屋」以外の店はかなり少ないことに気が付く。
「もんじゃ屋」の元祖は昭和29年で、これは子供のおやつだった。
それが人気を呼び観光客も大勢来るようになり、現在では70~80軒はありそうだ。
隣町の勝どきに私が越して来た頃は、そんなに目立つほどの店の数は無かった。

知り合いが来ると「もんじゃ焼き屋」に案内していたが、実は私は「もんじゃ焼き」が好きでない。グチャグチャで見た目が悪いし、あまり美味しいとは思わないからだ。


 「もんじゃ通り」の横の路地にもある「もんじゃ屋」



「もんじゃ通り」は正式には「西仲通り」である。
その道を佃方向に歩いて行くと、「佃大橋」を渡る都道473号道路に出る。そこまでが「もんじゃ通り」である。

道路の左側に立派な建物があるが、それは新しく3年前に出来た築地本願寺佃島分院である。1階には人気の「本願寺カフェ」があり、2階が本堂となっている。
その上は有料老人ホームとなっている。
私は門徒なので2階に上がってお参りをしたが、誰もいなかった。


 「築地本願寺佃島分院」



(おまけの話)
「もんじゃ通り」の左右に入ると、多くの古民家が残っている。
噂話によると第二次世界大戦の東京空襲の時に、米軍は築地、佃、勝どきを空襲しなかった。築地には聖路加国際病院と外国人居留地跡があるので、米軍は戦後のことを考えて病院が必要と考えたからだそうだ。

だからその一帯には、東京でも珍しいくらいに多くの古民家が残っている。
古民家と言っても安普請の小さな家ばかりで、築後100年は経っている。
間口は2間くらいの家が多く、もっと広い家は隣を買って大きな家にしたのだろうと思う。


  「もんじゃ通り」から横に入った風景



最近は全国的に「古民家」が見直されていて、京都のように観光資源化している場所もある。月島の古民家はそこまでは行っていないが、若い世代の人達が利用している。
狭い路地を入ると長屋がある。各家は独立しているように見えても、よく見ると長屋になっている。

建て直して独立している家もあるので、長屋を知らないとよく分からない。
中にはその古民家を利用して、割烹、ネイルサロン、焼肉、貸しスペース、貸家などに使っている。


みんな頑張って、大きな鉢に植物をたくさん植えている。



「なぜ月島の路地裏には、間口が狭い家が多いのだろうか?」と不思議に思い調べたが、その理由は分からなかった。
この辺りは明治期に埋め立てられた場所で、住環境としては決して良い場所ではなかったと思う。だからあまり豊かでない人達が住むために、長屋を建てたのではないだろうか?

私が中央区の募集で写経を習っていた時の先生は、月島の隣の佃の長屋に1人で住んでいた。台風が来たら倒れてしまいそうな感じだったが、まだ頑張っている。
月島、勝どき、佃に残る長屋もいずれ壊されてマンションになってしまい、歴史の彼方に消えて行く。


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コメント

  1. 日本の不思議(Y)

    日本の不思議(Y)

    返信

    近代的な高層マンションが立ち並ぶ勝どきの隣に古い日本の下町が存在することは「日本の不思議」の一つとして外人観光客には人気があるようですね。東京のど真ん中にバブルを乗り越えて良くぞ残ったと思うのは私だけではないでしょう。

  2. Shinji

    Shinji

    返信

    路地や横丁の狭い道路。どうやって荷物や商品、食品の配達をするのでしょう。ゴミの処理も。
    まあ、グランドピアノの配達は無理でしょうが。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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