心の伊達市民 第一号
私は10年以上も前に顧問先であるベトナム・ホーチミン市にある、KAIZEN日本語学校で3ヶ月間だけだが日本語教師をしたことがある。その時に知り合った若い女性の日本語教師のA先生が、「日本へ行く」と嬉しそうにメールを寄越した。
国際交流基金で日本政府から招待されて来るので、費用はなにも掛からない。
日本政府は「海外で活動する外国人日本語教師を主な対象として、日本語の研修事業」を行っている。
今回は世界中から20名が招待され、私の関係している日本語学校からは3人が選ばれてやって来た。そして1月18日の午前9時30分に、3人と東京駅で会うことになった。
私が時間前に東京駅に行くとすでに彼女達3人の他に、もう1人のベトナム人実習生も来ていた。A先生以外は私は初対面であるが、彼女たちは私の家に来たくてA先生に付いて来たようだ。すぐに都バスに乗って我が家に向かった。A先生は数年前に自費で来日して、我が家にも来ている。
同じく日本語学校の先生で、やはり国際交流基金で日本に来たことがあるN先生のお土産をA先生が預かって来た。昨年はN先生の息子が我が家に来て面倒を見てもらったお礼のようだ。コーヒーは4袋もあり、計ってみたら2キロもあった。
A先生は今回の来日で中古ブランドバッグを買おうと考えて、来る前から私に知らせて来ていた。そこで私は今回の行動予定を作って、事前に送信しておいた。
「東京駅」→(都バス)→「橋本家」→(歩き)→「HARUMI FLAG(元東京オリンピック選手村)」→(東京BRT)→「汐留」(ランチ)→(歩き)→「ドン・キホーテ」→(この後は全て歩き)→「豐岩稲荷神社」→「ブランドオフ(中古バッグ)」→(歩行者天国)→「銀座4丁目」→「伊東屋」→「KOMEHYO(中古バッグ)→「三越デパート(地下食料品売り場)」→「歌舞伎座」→「銀座4丁目・都バス停留所」→解散
Aさんは中古バッグに10万円くらいの予算を考えていたようだが、中古の財布でも18万円もする異常な世界だったので諦めた。
そもそも中古のブランドバッグを買う気持ちが私には分からない。
中国人観光客が大挙して来日して中古ブランド品を買うので、値段がどんどん上がっている。例えばビニール製のL社製のバッグが、しかも中国で安く作られているのに、なぜ中国人が争って買うのか?
結局はA先生は予算に合わず、「ドン・キホーテ」で安い化粧品だけ買い物をした。
その後は私の案内で銀座界隈を見て回ったのである。
翌週の土曜日もまた彼らを観光に案内するので、今回はこれで終りにした。
(おまけの話)
A先生が来日すると決まった後に、突然のように千葉県鴨川市に来ているというTさんというベトナム女性からメールが着信した。
もう10年くらいは音信不通だったので、私は「何事か?」と驚いた。
メールでは『KAIZEN日本語学校を休職して、鴨川市の亀田総合病院で事務職をしている。是非とも会いたい』ということだった。
どうやらA先生とは連絡を取り合っていたようで、彼女から私のことを聞いたらしい。
そこでどうせならと思い、翌週の25日(土)にみんなで「レインボーブリッジを歩いて渡る」という企画に乗ってもらうことにした。
Tさんも元日本語教師で、私も彼女を良く知っている。
彼女は長距離バスで「鴨川市をAM7:50のバスに乗り、東京駅にAM9:44に着く」と分かった。そこでA先生達には9時30分に東京駅八重洲中央口に集合とした。
前回参加のLOAN先生は、教え子の実習生に会うとのことで来なかった。
ミッドタウン地下2階のバスターミナルで3人が揃ったところで、新橋へ出て「ゆりかもめ」に乗り「芝浦ふ頭」で降りた。
前日までポカポカ陽気だったのに、この日は曇り空で寒かった。
エレベーターでレインボーブリッジの7階に上がり、そこから歩き始める。
橋の上は吹き曝しなので、冷たい風が吹き付ける。彼女たちは初めて見る都会の光景に驚いていた。橋の上からは私の住むマンションが正面に見える。『東京は凄い!』と感嘆の声を上げる。記念撮影をしながら、40分ほどでお台場海浜公園に出た。
その時、Tさんが私に言った。『あの人は何の仕事をしているのですか?』
指さす方を見たら、サップという立ち乗りボードで遊んでいる男がいた。
寒い中を海の上で仕事をしているように見えたのだそうだ。彼女の発想が可笑く笑えた。
海岸線を歩き、途中からお台場テラスに上がった。
この辺りになると外国人観光客が大勢、目に付くようになる。多くは中国人のようだ。
3人は記念撮影に忙しい。なんでも撮影する。そして自撮り写真を撮る。だからなかなか進まない。最近の話題の中心の「フジテレビ」本社の横を通った。
彼女達に『いまニュースで大騒ぎになっているフジテレビですよ』と言ったが、全く話が分からない。最近の若者らしくテレビは見ない。しかもスマホで見るのは、ベトナムのニュースのようだ。私は言った。『日本にいるのだから、日本のテレビを見なさい。日本語の勉強にもなる』。
「ダイバーシティ」の前にある「ユニコーン・ガンダム」をバックに記念撮影をした。
そして「東京ビッグサイト」へ向かって、広い道を歩いて行く。
12時30分になったので、ランチは「サイゼリア」に入った。
メニューを見て驚いている。『ベトナムより安い!』。ロボットが料理を運んで来て、また驚く。『ホーチミン市では洋食は高くて美味しくない』と言っていた。
ゆっくりと食事を楽しみ、近くの停留所から東京BRtで新橋へ戻った。
(おまけのおまけ)
今回、来日し私が初めてあった男性教師の名前は「Yen」である。
女性教師の名前は「Loan」である。なにか感じませんか?
どう見ても「円」と「金銭貸付」にしか見えないが、実際の発音では「イエン」と「ロアン」だそうだ。
今回の最後の観光はやはり銀座で、歩行者天国の日だったが、それが珍しく銀座通りの中央で写真を撮った。かなり歩いたので、私は3人に聞いた。『くたびれた?』。
3人ともキョトンとしている。『くたびれたとは、どういう意味ですか?』と聞く。
私が『疲れたか?ですよ』と教えたら、『日本語は難しい。もっと勉強しなければ・・・』と言っていた。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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06/18(土) 景色がごちそう☆ “ モントーヤ “ ですごす ゆったり時間
温泉街から国道230号線を車で走ると、洞爺湖の上、畑の真ん中に突如現れる黒いコンテナ。 直線道路なので、気になりながらも通り過ぎ、農機具の倉庫かな?一体なんだろう?と気に留めていた昨年。 そんな、筆者のような読者の方もきっといらっしゃったことと思います。 そして今年、どうやらOPENしたらしい!との情報を得て、謎を解くべく取材をさせていただきました。 ↑この束石がポツネンとあるだけの国道からの入り口 ちょっぴり勇気がいる入り口からコンテナを目指して奥へ向かうと、そこには遮るものがほとんどない空間。 畑だと思っていたこの土地は、実は畑ではありませんでした。 周りを見渡して感動しました。 ぐるっと300度くらい見渡せます。 しかも、羊蹄山・尻別岳・ニセコ連邦・昆布岳・有珠山などなどが一望でした。 尻別岳 羊蹄山 取材に訪れたことをうっかりと忘れ、うっとりとゆったりモードにスイッチが入りそうになってしまったほどの眺望です。 「危ない 危ない」と、気を取り直して玄関に向かうと、思わず開けたくなる可愛らしい赤いドアがありました。 ↑入り口にメニューがあるのは安心します ↑ドアを開けると可愛いくて不思議でユニークなディスプレイ ↑厨房で忙しそうないずみさん こちらは、2022年5月にオープンしたカフェ&キャンプサイト “ モントーヤ “です。 札幌から6年前に移住して来られた オーナー 井上啓二さんと奥様 いずみさんが営むお店です。 実はお会いして驚いたことがありました。 ご縁というのは不思議なものだとも思いました。 ↑大きな窓からは遠くの山がよく見えます 奥様のいずみさんは2年前、筆者が企画したワークショップに参加してくださった4名様のうちのお一人だということ。 オーナーの啓二さんは、筆者がどうにも気になって気になって、何度も探しに行った洞爺湖畔の幻の珈琲ソフトクリーム屋さんのオーナーさんだったということ(数ヶ月で満足して閉店)。 そうだったんだ! そうだったんだ! このような形でお会いできるとは! と、敷地に入った最初から少々興奮気味の筆者…^^; 店内は、外からは想像できないくらい落ち着いていて、どこか懐かしい雰囲気の調度品が並んでいます。 ジャズが心地よく流れ、レコードジャケットやコレクションの古いカメラが並びます。 ↑筆者好みのアーティストとレコードジャケット ↑昭和感漂うレトロなコーナー。 「東京に居た頃は服飾デザインの仕事をしていました。いわゆるDCブランドの服です。札幌に戻ってからは、もともと好きだった馬の仕事に携わりました。馬の競りのためのプロモーションビデオを制作したり、牧場のWebを制作したりする仕事です。札幌競馬があるときは、競馬場で売店も営みます。だからまあ、そちらの仕事が本業かな。」 ↑こちらはオーナーの本業。代表取締役としての会社「inox」のwebページ なるほど…。 馬に関わる映像のお仕事と“ モントーヤ “の関連がいまひとつ見えませんでしたが、飲食業にはすでに携わっていらっしゃったわけです。 そして、奥様とのご縁も馬が取り持ったとか♡ ↑コンテナは雨よけにもなり、イベントなどのショップにもご利用いただけます。 1本だけ残したドロノキ(ヤマナラシかも)は、シンボルツリーになっています 「この5000平米の土地は、僕が買う前は何十年も手付かずだったそうです。太くなった木も草も伸び放題のジャングル状態。崩れ落ちた家もそのままで荒れ放題。呆然としてしまうような荒地となっていました。水道も通っていませんでしたので、大掛かりな工事になりました。途方に暮れるほどの手間を掛け、足掛け4年がかりで開墾していきました。」 「そこまで苦労して…。この場所の何にそんなに惹かれたのですか?」 「景色です。どこを見ても山があるこの景色を見ながら珈琲が飲みたかった。ただそれだけです。」 それまで、クールな面持ちで話をされていたオーナーの目が、ふっと力が抜けて優しくなった瞬間でした。 この景色を見ながら一杯の珈琲(お店の珈琲は札幌の有名焙煎ショップ「斉藤珈琲」の豆使用)が飲みたいというそれだけで、4年間も開墾をしてしまう井上夫妻がなんとも素敵です。 「でも、そもそも何故札幌から移住して来られたのですか?」 「きっかけはスイスを訪れたことでした。もう本当にスイスが素晴らし過ぎて、人生観が変わりました。ほんと、絶対に行ったほうがいい!」 この時のオーナーの目はキラキラに輝いていました。 そのご様子だけで、どれほどスイスが素晴らしかったのかが分かりました。 「帰国後、札幌に住まなくても今の仕事はできるよね?と夫婦で話すようになりました。その時の場所の候補は、北海道の都会ではない景色の良いところ、もしくは南阿蘇でした。 そうして洞爺湖畔に居場所を見つけ、その2年後、周りの山々が見渡せるこの場所が気に入り購入しました。」 それから、足掛け4年の開墾の日々が始まったのでした。 店舗は、コンテナ7つを繋げて造られています。 大きな窓の店内はオーナー自らがデザインされたもので、お気に入りの調度品は、山を楽しむためのレイアウトになっています。 「ところでメニューを見せていただけますか?」 とお願いし、見せていただいたのがこちら。なんと、絵本でした。可愛い〜♡ ↑画像はありませんが、珈琲おいしくチーズケーキが絶品です! ↑次回はこちらを食べてみたい! ↑生パスタも美味しそう〜♡ そういえば、入り口にも店内にも絵本が飾られていました。 てっきり、いずみさんのご趣味かと思いきや…。 なんと、「僕のアイディアです」と。 この時のオーナーはちょっとハニかんだ笑顔でした。 ↑思い切り照れたお顔で振り返ってくださったショット ところで、“ モントーヤ “ の “モン“ とは、フランス語で “私の”という意味だそうです。 つまり” 私の洞爺”。 それでも湖畔ではなく、300度にわたり遠くに山を望めるここを選んだのは、「ここで珈琲が飲みたかったから」。 ここがオーナーにとっての「私の洞爺」なのですね。 「洞爺湖も有珠山もいい。でも、ここから眺める羊蹄山も洞爺湖町のランドマークであって欲しいのです。阻害するものが何もない畑のど真ん中で、この景色を楽しみに来ていただきたいです。」 ↑キャンプサイトご利用の場合は店舗の玄関フード内のトイレが共用利用できます 今後は、プライベートキャンプサイトも整備して行くそうです。 ただし、利用できるのはオーナーの友達か、友達の紹介限定だそうです。 優しく尖った カフェ&キャンプサイト“ モントーヤ “。 広大な土地にポツンとコンテナは目立ちますが、素敵な隠れ家を見つけました。 ―モントーヤ情報―虻田郡洞爺湖町成香19営業日時はInstagramまたはHPをご確認ください。Instagramhttps://instagram.com/montoya_108?igshid=YmMyMTA2M2Y=HPhttp://montoya.jp/*イベントのご利用も可能です。HPのお問合せフォームよりご相談ください。
Rietty
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10/08(日) ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
Rietty
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東京散歩(Y)