心の伊達市民 第一号

小さな話(7)

【お休み処】
丸の内の有楽町寄りに「新東京ビルディング」という名のオフィスビルがある。
私は時々、ここへ行って休むことがある。
ビルの2階は一部が吹き抜けになっていて、壁の周りがフォトギャラリーになっている。写真の下には長いソファが設えてあり、ビルで働く人が休む場所として用意されている。

写真は40枚近く飾られていて、レベルも高いので参考になる。
右端の向かい側になぜか、ブルーの半透明ガラスの休憩所が見える。
昼時だと女子社員がここでお弁当を食べているのが見えるが、彼女達はそれが分かっているのか?


 半透明の休憩所



【アーミッシュ】
図書館で「アーミッシュと老いと終焉」という本を借りて来た
かなり昔のことだが友人と2人でシカゴでレンタカーを借りて、2泊3日でセントルイスまで往復旅行をしたことがある。

その時に田舎の街道でアーミッシュの馬車を見掛けたが、それが私とアーミッシュの初めて出会いだった。彼らは現在でも文明の利器である電気や自動車を受け入れないで、昔ながらの馬車の生活を守っている。

現在は全米で30万人以上はいるようだが、1700年代の200家族がスタートだった。
外から見ると異常な世界で、教育は8年間だけ、子供は平均7人、他にも色々と決まりがある。今でもアーミッシュだけの世界で結婚をしているので、遺伝子疾患が起きているようだ。


 「アーミッシュの老いと終焉」★★★



【海老5本・天丼】
数寄屋橋近くの「GINZA 5」という、高速道路下にあるビルの地下一階で、時々「うどん」を食べる。寒いこの時期は銀座4丁目から地下道を歩いて行く。
ビルの地下一階に「俺のそば」という、「俺シリーズ」の蕎麦屋がある。

平日のランチだけだが、この店先の看板にある「海老五本天丼 1000円」が気になっている。以前はこの店で蕎麦を食べることもあったが、なにしろ量が多くて食べ切れず最近は行かなくなった。

でも「海老五本天丼」は気になる。私は天丼が好きなので、なんとか夏までには食べてみたい。食べ切れず残すだろうと分かっているので、どうすればいいか悩みながらこの前を通っている。


  「俺のそば」(GINZA 5)



【ミッドタウン日比谷】
日比谷のTOHOシネマに映画を見に行ったら、広場にあった藁の「豚」と「牛」が片付けられていた。
そして作業員が鉄骨のドームを組み立てていて、横にはシートに包まれた花が見えた。
「今度は何になるのかな?」と思いながら、映画館に入った。

1時間40分後に映画を見終わって外に出たら、工事中だったドームが完成に近づいていた。ドーム全体を花で覆い、中を通過できるようになるようだ。
また近い内に、ここに見に来ようと思う。


 花のドームの準備作業(ミッドタウン日比谷)



【足がつる】
「足がつる」の「つる」の漢字が分からなかった。
ネットで調べたら正しくは「引き攣る」で、漢字では「攣る」だった。
かなり前から寝ていて伸びをすると、足がつってしまうようになった。それも猛烈に痛い。

そんな時はベッドから飛び降りて両手を窓際に当て、爪先立ってつった方の足のふくらはぎを伸ばす。しばらくすると少し痛みが和らぐので、いつも用意してある「ロキソプロフェン」という鎮痛テープを貼る。これで寝れば、その内に収まる。

「足がつる」のは「心臓が悪い」と聞いたことがあるように覚えているが、もし本当なら「それも悪くない」と思っている。寝ている間に「お迎えが来る」かもしれないからだ。


  鎮痛テープ「ロキソプロフェン」



(おまけの話)【三田のガウディ】
facebookの「お江戸東京ぶら散歩」に面白い写真の投稿があった。
それは『港区三田に「三田のガウディ」と呼ばれる男の建てた奇妙な建物がある』という記事だった。

「ガウディ」と言えば、スペインの世界遺産である「サグラダ・ファミリア」が設計した歴史的建物で、137年も経った今もなお建設中である。こんな情報を得ては、見に行かないわけにはいかない。住所を頼りに出掛けることにした。

家の前から東京BRTで新橋に出て、新橋から地下鉄「浅草線」で、三田駅で降りる。
そこから札ノ辻へ向かい、交差点を慶応大学の方へ少し進み、1つ目の交差点を左折し、すぐの道を左折する。聖坂を上って行くと左側に大規模開発を行っている場所があり、その中間点にそこだけ奇妙な建物が残っていた。


「蟻鱒鳶ルビル(アリマストン・ビル)」



このビルの名前は「蟻鱒鳶ル・ビル」という奇妙なもので、その由来は「地の蟻、水の鱒、空の鳶、巨匠のル(コルビュジュ」から1字頂いた」ものだそうだ。敷地面積は40㎡で、地上4階、地下1階の建物である。建築家の名前は「岡啓輔」である。しかもこのビルは「セルフビルド方式」で、2005年から建設を始め2024年10月に完成したばかりである。

セルフビルドとは「設計から建設まで、自分だけで行う建築方法」だそうで、気の遠くなるような話である。ただボランティアの人達には、色々と手伝ってもらったようだ。
「なぜこんなことをやるのか?」をインタビューで答えたサイトがあった。

そこでは『建築家にとって、自分が書いた図面がそのまま立ち上がるのは喜びなんです。でも同時に、それに対して違和感も感じていました。建築には様々な人が関ります。それぞれに色々な思いがあるはずなのに、モダニズム以降の建築は作る過程や、携わる人の思いがカットされている。つまり建築家ひとり以外は、要らないというこちになってしまったのです』と話していた。


 再開発で、このビルだけ取り残されている。



現在は大規模開発の真っ最中で、この建物は地上げに応じなかったのだろう。
ただ少しの妥協があったらしく、建物は10メートルくらい横に移動させるようだ。
いまは建物の基礎をジャッキで上げて、「曳き家方式」で建物全体を移動させるための準備の最中だった。

「曳き家方式」には私も思い出がある、子供の頃に育った家は、私が小学6年の時にオヤジが買った家だった。工場をやるつもりのオヤジはその家の建っている場所が邪魔らしく、建坪200㎡くらいの家を贔屓の職人「甚さん」に頼んで、今回の「蟻鱒鳶ルビル」と同じ方式で、奥へ15メートルくらい移動させた。その様子を見ていた私は、今回の「曳き家」を懐かしく思い出した。

今回の話はロスに住む建築家のIさんは、きっと興味を持って読んでくれたと思う。
日本へ来た時は、見に行って下さい。


 曳き家で10メートル移動させるようだ。

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コメント

    Shinji

    Shinji

    建築家にとっては、自分の設計したものの通りに建設されて、それが出来上がった時の歓びは、並大抵ではありません。それこそ、苦労して育てた子供のようなものです。もし徹底的に自分の欲した通りのものを目ざせば、体力が許せばですが、自分で建設したいでしょう。世界には、自分で数十年もかけて建設した、ユニークな建築物が多くあり、その分野に入り込むのもまた魅力的です。面白い取材をありがとうございました。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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