心の伊達市民 第一号

写真で見る東京(110)・・・銀座のガス灯

銀座通りから数寄屋橋方面に向かって1本目の道路は「ガス灯通り」という名前である。
この道に入ると道路は煉瓦が敷き詰められていて、ところどころにガス灯が立っている。「ガス灯通り」の入口にはプレートが埋め込まれていて、一帯は「煉瓦街」と呼ばれている。

そこで今回は銀座のガス灯を探す旅に出掛けた話である。
ほとんどのガス灯は「ガス灯通り」にあるが、明石町にも多くあることが分かり最初に見て廻った。


 明石小学校前  



明石町という場所は聖路加国際病院の辺りで、明治2年(1869年)に設けられた外国人居留区があった場所である。
聖路加国際病院の裏にいまでも「居留地通り」があり、当時を偲ばせる。外国人が多く住んでいたので、ガス灯も沢山あったと思われる。

現在でもガス灯が残っているのは、明石小学校角地(1基)、明石小学校正面癌間右側(3基)、「リハポート明石」(1基)、「明石区民館」(1基)、「聖路加国際病院駼いスラー記念館」(2基)の合計8基である。
この8基の中で、ガスで明かりを灯しているのは、下の写真の「石区民館横」のものだけだと思う。


 明石区民館横のガス灯は、現在もガスを使っている。



解説では『明石町のガス灯の柱はコリント風様式で、上部にある左右20センチの腕金や下部に施された帯状の操り形など、特徴的な装飾が見られる鋳鉄製の柱4である。照明ランプ部分は電気灯として使用されていたランプを修復した上で、後年になって取り付けられた。柱部分は形状や材質から判断して、明治末期のガス灯のものである』とあった。

多分、明石区民館以外のガス灯は、ガスを止めて電燈にした時に、柱だけを利用したものだろうと想像する。

明石町から銀座に出た。最初に行ったのは、松屋デパートの裏に当たる場所にある「王子ホールディングス」(旧王子製紙」の本社前である。
ここのガス灯は立派なもので、本社の周りに8基も設置されている。夜にはガスで灯が灯るようだ。


 王子ホールディングス前



ガス灯通りの歴史を調べてみたら『ガス灯が日本で初めて敷設されたのは横浜で、1872年だった。2年後の1874年には銀座の街にも灯るようになり、ガス灯は文明開化の象徴と言われた。ガス灯は電気に変り廃止となったが、東京ガス100周年を記念して復元した』とある。

設置されているガス灯は飾りだけでなく、夜になると本物のガスで灯が灯るのかもしれない。その内に、夜に確認に行く必要がありそうだ。


 「銀座ガス灯通り」入口の埋め込みプレート



『銀座煉瓦街は1872年に銀座から築地一帯が消失した大火をきっかけに、明治新政府が開化政策の1つとして着手したものである。ロンドンやパリにならい家屋を石造りにして火事が延焼しない街にする計画で、大通りの道幅は当時としては画期的な広さで27メートルもあり、歩道と車道を分けて街路樹も植えられ1874年に完成した』。

現在のガス灯通りは『約29年前までは通りの名前も丁目によってまちまちで、4丁目は「文化通り」、3丁目は「ガス灯通り」、2丁目は「観世通り」と呼ばれていた』そうで、いまは1丁目から4丁目までを「ガス灯通り」と呼ぶそうだ。


 映画館「シネスイッチ」(銀座4丁目)



ガス灯通りを4丁目から入ると、すぐ左手に映画館の「シネスイッチ」がある。
この映画館にも時々、行くが、どちらかというと少しマニアックな映画を上映している。その先の右側にはレストラン「煉瓦亭」があり、いつも入店待ちの行列が出来ている。

煉瓦亭のホームページを開くと、『明治28年、西洋料理店として銀座に創業し、カツレツに代表されるフライものやハヤシライスなどの料理を開発し、日本で最初に洋食店と呼ばれるようになった店です』とある。


 洋食「煉瓦亭」(銀座3丁目)



3丁目から先になると、少し人通りも少なくなる。
私が気になったのはガス灯ではなく、道路の煉瓦である。
この通りもビルの建て替えや店の入れ替わりで、電気、水道、下水、ガスなどの工事が頻繁に行われている。

掘り返した場所を埋め直しているが、そこはアスファルトになっている。
煉瓦通りが斑模様になっていて、とても見苦しい。
工事をした業者に「煉瓦に戻せ!」とは言えないのだろうか?


 「Okura Annex」前(銀座3丁目)



(おまけの話)
王子ホールディングス本社前のガス灯は非常に立派である。ガス通りのガス灯とは比較にならない。正面に5灯のガス灯が2基、建物の左側に1灯が4基、右側に2灯が2基設置してある。その理由が知りたくて、王子ホールディングスのHPから質問をしてみた。

しかし1ヶ月以上も経つのに、なにも返事が来なかった。
でもこのガス灯は形だけ真似していて、電球を使っているはずだと思う。


5灯のガス灯(王子ホールディングス)



ガス灯通りを4丁目から1丁目に向かって歩いて行った。
すると3丁目の最後の場所の両側のガス灯に明かりが灯っているのが見えた。
「ガスかな?」と思ったが、ハッキリしない。炎が揺らぐ感じの電球かもしれない。
そこで確認の為に、中央区観光協会に「現在もガスを使っているのですか?」と問い合わせた。

しかしここも1ヶ月以上も経っても、なにも返信は無かった。
せめてどちらも『分かりません』くらいは返信すべきでは?


昼間でもガス灯が点灯している(銀座3丁目)



ネットで調べた限りでは、銀座には10か所にガス灯があることになっていた。
その1番になっている場所が、地図の上では東急プラザになっていた。
そこへ行って探したが見付からない。中央区観光協会があったので聞いてみた。

私   『この辺りにガス灯はありませんか?』
観光協会『ガストはありませんねー』
私   『違います。ガス灯です』

いくら探しても無いので、「みゆき通り」のガス灯に似た電柱と間違えではないかと思った。家に帰ってからもう一度、確認したらYahooの間違えで、住所は銀座一丁目で、地図に示した印の位置が違っていたのである。


「みゆき通り」のガス灯に似た電柱

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コメント

    観世通り(Y)

    観世通り(Y)

    『2丁目は「観世通り」』に反応しました。「観世」と言えば能楽の「観世流」の事でしょう。ギンザシックス内には観世流能舞台が新設されたが、元々観世流の発祥の地であった。かっては渋谷松濤に舞台があったのですが、故郷へ戻って来たわけである。
    時折故郷を懐かしみに訪ねている。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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