心の伊達市民 第一号

写真で見る東京(99)・・・浅草三社祭り

今年の浅草神社の「三社祭」は5月16日(金)、17日(土)、18日(日)の3日間行われた。三社祭を見たことの無い人は、『浅草寺の間違いじゃないの?』と思うだろうが間違いではない。
観光客が押し寄せるのが浅草寺なのに、同じ境内に浅草神社があるのを知らない。

いつもは中日の町内神輿連合の渡御を見に行っているが、今年は前日の16日に行った。
この日に浅草神社で行われる「びんざさら舞」というものを、見てみたいと思ったからだ。


正面に見えるのは「浅草寺」



「びんざさら舞」とは三社祭で催される五穀豊穣を祈願して行われる舞で、田楽の一種である。「田楽」とは田植行事を芸能化したもので、平安時代に興り、鎌倉から室町時代に大流行した。演者は派手な衣装を見て、「びんざら」を摺り鼓を打ちながら様々な音を出し、陣形を変え豊年や悪霊退散を願って踊る。

「びんざさら」とは「編木」、「拍板」などと書く。竹または木の薄板を100枚以上を紐で束ねた楽器である。浅草神社で使われているのは金色である。


「一之宮」、「二之宮」、「三之宮」の神輿(浅草神社)



資料によると『浅草寺に祀られているのは聖観世音菩薩で、その尊像を発見したのは漁師である檜前浜成と武成の兄弟である。その尊像が聖観世音菩薩であることを明らかにしたのは、郷土の文化人の土師真中和であった。この3人が尊像を祀ったことから浅草寺の歴史が始まった・・・』

『浅草寺が完成後、土師の子孫が聖観世音菩薩から夢の中でお告げを受けた。それは「聖観世音菩薩を浅草寺に祀った3人の功績は称すべきものであるから、浅草寺の傍らに3人を祀った三社権現を建てなさい」。これにより浅草神社の起源である「三社権現社」が創建された』のである。


「びんざさら舞」に使う「獅子頭」



「びんざさら舞」は5月16日の午後1時30分から行われる。
最近の浅草は光景こそ日本だが浅草寺辺りにいるのは外国人ばかりで、以前の落ち着いた雰囲気の浅草ではなくなってしまった。

なぜ急に外国人が、遠い日本へ来るようになったのだろうか?
やはり「YouTube」や「Tik Tok」の影響が大きいのではないだろうか?

「びんざさら舞」は浅草神社の拝殿で、午後2時20分から始まる。
その前に「びんざさら舞」に登場する人達の「大行列」があると分かり、浅草寺の裏手の「ゴロゴロ会館」の横の柳通りに向かった。


 手に持っているのが「びんざさら」である。



午後1時になり狭い柳通りを、大勢の関係者と見物人が埋め尽くした。
「大行列」の責任者らしい高齢の地元民という感じの男が台の上に立ち、大行列の開始の挨拶と3本締めを行った。

そして静々と大行列が進むと、私の目の前を厚化粧の浅草芸者が通過して行った。
浅草には現在、「幇間」が4名と芸者が50名いるそうだ。
この近くには「置屋」もあるのを、以前に私は見たことがある。


 浅草の「芸者衆」が行く。



行列はこれから「千束通り」、「ひさご通り」、「六区」、「雷門」と進んで行く。
言問通りで警察官が信号を赤にして、大行列が「ひさご通り」に入って行く。
浅草らしい粋な旦那衆の一団が、通りを渡って行く。

彼らの着ているものの正式名を調べたが、よく分からなかった。
「法被」ではなさそうだし、「印半纏」かなー?、「祭半纏」かなー?
黒と赤と白のコントラストがお洒落だし、足元は動き易いように草鞋(わらじ)である。


「言問通り」を渡る旦那衆



私は先回りして六区で、大行列を待った。その目的は「白鷺の舞」の写真を撮りたかったからだ。見物人が多く満足な映像にはならなかったが、まあ仕方ない。
午後2時20分から浅草神社の拝殿で、午後3時30分から神楽殿で「びんざさら舞」の披露がある。

それを目的に来たのであるが、もう人が多過ぎて疲れてしまい、その時間まで待てずに家に帰った。「年をとるということは、こういうことなんだ」と体で実感した日だった。
家に帰って「Youtube」で「びんざさら舞」を見たら、来年は是非とも見ようという気になった。


 六区で舞う「白鷺の舞」



(おまけの話)【浅草地下商店街】
浅草までいったので、久しぶりに「浅草地下商店街」に行ってみた。
少し前のNHK番組の「ドキュメント72時間」で、この地下街が取り上げられているのを見たばかりだったからだ。

この地下街は2023年12月公開の役所広司主演の「PERFECT DAYS 」の中で、主人公の平山の生活圏として「居酒屋」が登場している。2024年1月19日の私のブログ「写真で見る東京(26)」の(おまけの話)にも登場している。
この地下街は現存する日本最古の地下商店街である。


地下商店街への階段を降りると「立ち食いソバ屋」がある。



浅草は、関東大震災が起こる1923年頃までは東京一の盛り場であった。
この地下街は地下鉄「浅草駅」と雷門・浅草寺とを地下の商店街・通路で結ぶ構想が下敷きとなって、浅草商人達によって戦後復興期末の1955年に作られたのである。
地下鉄「銀座線」を「浅草駅」で降り6番出口から出るとこの地下街に出るので、地下鉄を利用する人は知っていると思う。

入口の石段を降りると突き当りが「立ち食いソバ屋」で、右隣りは今どき「800円」の床屋である。「カット専門店」、「一流技術者」の文字も見える。


 「800円」の床屋


私がここへ来たのは午前11時頃だったので、人通りも少ない。
歩いているのは見物人くらいで、店も2~3軒しか開いていない。
どこで知ったか、たまに外国人観光客が物珍しそうに見て廻っている。

人通りが少ないことをいいことに、私は通路の中央に立って記念撮影をした。
最近ではシャッター街となっている地方都市の商店街が増えているが、ここは「昭和の香り」がプンプンするが、それでも元気に頑張っている。

夜になれば、大勢のサラリーマンが飲みに来ているのだろう。
地下街の見学を終えて、いよいよ私は「三社祭」の浅草神社に向かって行ったのである。


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コメント

    祭り(Y)

    祭り(Y)

    「びんざさら」「白鳥の舞」「芸者衆」の祭り衣装の派手な雰囲気と旦那衆の着る法被の落ち着きのある衣装が同じ祭りの中でいい対比をしています。これが「日本の粋」というのでしょうか?
    旦那衆の年を経た「いい顔」に男を感じる。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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