
心の伊達市民 第一号
予定していた計画が無くなり、この日に行く先が無くなってしまった。
ネットでイベントを調べたら、東京ミッドタウンの和菓子店「虎屋」で「駄菓子屋さんに行ってみよう」と、東京タワーで「台湾祭」があることが分かり出掛けて行った。
地下鉄大江戸線「六本木駅」で降りると、東京ミッドタウンの地下一階に直結している。そこには真っ白な巨大なアートがある。これは「意心帰」という作品で、作者は「安田 侃」である。
作者の思いは『石に彫られた穴に身を沈めると地球の一部になり、静かな太古の声なき声が聞こえてきます。地上より太陽の光が差し込む時、その石は初めて光を視るように白い石の粒子は美しく息づきます』。

「意心帰」(白大理石)
地下一階の商店街に入ろうとしたら開店は午前11時で、時間を調整するためにプラザの方へ行ってみた。
そこにあったのは30メートルはあろうかと思う、長い壁一面の派手な壁画だった。
作者は「ナカミツキ」で、作品名は「Resonant Ground」だった。 Resonantとは「共鳴」という意味らしい。
ネットで調べた作者の思いは『私達は日々、便利さと効率を追い求めるなかで、深い対話や身体的な感覚を見失いがちです。孤独やすれ違いも生まれやすい時代。だからこそ、都市という場において、ふと立ち止まり、誰かの存在を感じる瞬間の尊さをアートで表現したいと考えました』。
11時になったので商店街のビルに入り、虎屋に行ってみた。
すると店の左半分くらいに、「駄菓子屋さんに行ってみよう」の展示があった。
しかし駄菓子は展示してなく、カードやポスターだけで全く面白くなかった。
外の空気が吸いたくなり、ガラス窓から見える表に出た。その先には椅子とテーブルが置かれていて寛げる空間がある。更に奥の芝生広場には私の好きなアートがある。作品名は「フラグメントNo.5」で、作者はドイツ人の「フロリアン・クラール」である。
作者の思いは『月のパビリオンをテーマに、11個の基本パーツを組み合わせて制作されています。周囲の風景とは異なる、非日常的な空間を体験してもらえる作品です。その作品が長い年月を経て、周囲の環境の一部となり、自然の洞窟か未知の希少生物の化石のようになることを願っています』。
東京ミッドタウンの表通りに面した場所に「フジフィルム・スクエア」がある。
ここではいつも写真展を開催しているので、ちょっと覗いてみた。
今回は「赤井 勝」の「時静ーJISEー花人 赤井 勝の世界」という名の写真展だった。
花のアップ写真を「これでもか!」と、展示している。
最近の写真展の会場は「写真撮影OK」が多くなった。ただ接写やフラッシュの禁止となっている。フジフィルムの説明書きには『日本を代表する「花人」である赤井 勝氏の作品の素晴らしい世界観を、フジフィルムの銀塩写真とオンデマンドプリントで味わっていただき、多くの御来場者に笑顔になって頂きます』とあった。
東京ミッドタウンに入る広場に、変なアートがある。私はいつもここへ腰かけて自撮り写真を撮ってしまう。
この作品は地下一階の大理石の作品「意心帰」と同じ作者の「安田 侃」である。
作者の言葉は『プラザでたくさんの人を出迎える彫刻「妙夢」は、その真ん中に開いた何もない円環に一人一人の夢を描き、刻々と移り行く太陽の光と影を映し、人々の一日の思いと願いを包みます。「妙夢」と地下の「意心帰」が共鳴し、空間全体が優しいヒューマンな場になることを願っています』。
東京ミッドタウンを出て、いよいよ東京タワーに向かって歩き出した。
すぐに六本木交差点になる。そこにまたアートがあった。
これは「奏でる乙女」という題名の彫刻で、少女がギターを弾いている。
この作品は1954年に設置されたもので、終戦直後、平和と復興のシンボルとして制作されたものだそうだ。この交差点からは、東京タワーが正面に見える。
六本木交差点から東京タワーに向かう左側は飲食店が多い。
昼間は開いていない店も多く、暗くなれば汚さは隠されて怪しい雰囲気になる。
高級店もあり、「瀬里奈」は昔、行ったことがあるが、今では全く関係なくなった。
夜になると不良?外国人が闊歩している町も、この時間なら静かなものだ。
私はキョロキョロしながら、東京タワーを目指して歩く。
「飯倉片町」の交差点に出ると、左側は横断歩道が無く道路を渡るためには地下道に行かされる。地下道入口の階段は急階段で、降りて行くのが怖いくらいだ。
降りてしまえば広くなり、壁の両側にはアートらしきものが並んでいる。
もともと歩いている人が少ないので、地下道ですれ違う人はいなかった。
地下道から外へ出て、少し行くと左側には「ロシア大使館」がある。
ウクライナとの戦争があるので、警察車両も停車していて警戒は厳重だ。
正門の左側に大きな柑橘類の木があり、夏ミカンか? たわわに実がなっているのが違和感を感じる。更に進むと以前は小さな親ロ国「ベラルーシ」のロシア料理店があったが、いまは倒産したのかもう無かった。
飯倉の交差点に出た。信号を渡る。右側のビルは私が現役時代にお世話になった取引先だ。もう東京タワーは目の前だ。右側の仮囲いは再開発中で、以前は謎の世界的な組織「フリーメイソン」の日本本部があった。
向かい側は聖オルバン教会で、以前に私はウクライナ・デイにパイプオルガンを聞きに来たことがある。東京タワーに着いたら「台湾祭」はやっていなかった。
ネットで調べたら私の勘違いで、開催場所は東京スカイツリーだった。
こんなことがしょっちゅう起きるようになり、軽い認知症かもしれない。
1階のガラス窓の外に、若い女性が集っていた。何事か?と思ったが、分からない。
その内に彼女達は一斉にスマホを上に掲げて誰かを撮影している。どうやら有名人が来ているようだ。私は関係ないので、そこから浜松町へ出て新しく出来た店で「うどん」を食べてから家に帰った。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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アートで楽しむまち歩き!ムロランアートプロジェクト2021
旧市街地のレトロな街並みで知られる室蘭駅周辺で、アートとまち歩きを楽しむイベントが10月9日から始まりました。 ムロランアートプロジェクト(MAP)。 室蘭の歴史的建造物が期間限定のアートギャラリーに大変身!10月31日まで土日限定で観覧できます。 初日の10月9日(土)に遊びに行ってきました。 まずは本部のある旧室蘭駅舎へ。公式パンフレットが配布されています。 この黄色いパンフレットがまち歩き「MAP」として、道案内をしてくれます。 さっそくまち歩きスタート! 旧室蘭駅舎には室蘭出身のアーティスト・中村岳さんのインスタレーションが展示されています。 初日のこの日、公開製作が行われていました。完成まであと少しというところの製作風景です。 明治45年に建造された旧駅舎の構内に、巨大な立体作品が次第に姿を現してきました。 鮮やかな赤茶色が室蘭の工場風景や鉄を彷彿とさせます。ドームのような不思議な形。設計図はなく、インスピレーションで形を作っていくのだそうです。 国内各地で活躍する中村さんですが、出身地の室蘭では今回が初の本格的な製作・展示となります。完成したインスタレーション、ぜひ生でご覧になってみてください。 続いて、千穐萬歳堂(せんしゅうばんぜいどう)へ。 大正14年に建てられた歴史ある倉庫です。入り口から佇まいというか、存在感に圧倒されました。こういう建物が保存されていることもすごいことだなあ、と思います。 中は改修され、ギャラリーとなっています。 1階は室蘭工業大学山田研究室のプロジェクト、2階は川上りえさんの造形作品が展示されています。木骨石造ということで、石の壁と木の骨組みが独特の雰囲気を醸し出していました。建物とアートのコラボレーション!美術館での展示とは全く違う味わいがありますね。 坂をのぼって次の会場へ。 景色を眺めながら気持ちよいまち歩き!会場間が遠すぎず近すぎず、程よい距離でコースが組まれており、お子さんから高齢の方まで、歩きやすいのがポイントです。 旧丸越山口紙店。こちらも大正時代の建造物です。レンガの壁からロマンの香りが漂ってくるよう!ゆっくり眺められるのは徒歩ならではですね。 古い調度品に溶け込むようにして、岩崎麗奈さんの写真作品が展示されていました。作品と建物、どちらも見応えがあります。普段は入ることができない建物だけに内部を見られる貴重な機会でもあります。 途中にカフェや飲食店が多くあるので、ランチやお茶を楽しむのもおすすめです。昔ながらの甘味処として親しまれる「すずや」に立ち寄りました。若者からマダムまで、幅広い年齢層の女性客が甘いものを楽しんでいました。 MAPにもおすすめリストが載っています。 室蘭プリンスホテルでは、10月8日〜10日の3日間限定でMAP連動企画として「中央町懐古展」が開催されました。来場者はホテルのクラシックな雰囲気の中、昔の写真や映像を楽しんできました。 さて、最後は中央町たのしま横丁(大辻医院跡地)へ。 初日のこの日、オープニングイベントとして大黒淳一さんによる音楽ワークショップが開催されました。街の音を録音して、音楽をつくる一日限りのスペシャル企画。地域の子ども達で賑わっていました。 音楽作りの様子。公式Facebookをご覧ください↓↓ ムロランアートプロジェクトは「室蘭の未来地図をつくる」をコンセプトに3カ年開催を予定しています。 プロジェクト代表の荒井純一さんは 「繁華街だった室蘭駅周辺をコンパクトに歩けるルートを制作しました。室蘭は普段気づかないポテンシャルがたくさんある街だと思います。アートや街歩きを通してそれを発見してもらえたらと思います。」 と話していました。 建物、まち歩き、アートと、いろんな切り口からいろんな楽しみ方ができるところが面白いな、と思いました。古い建物と現代アートがお互いに美しさを引き立てあって、新しい街の魅力が生まれ出てくるような、そんなワクワクする気持ちになりました。 芸術の秋、ご家族やお友達と出かけてみませんか。 各会場では入り口で消毒、検温、記名を行い、感染対策に配慮されています。 Muroran Art Project2021 2021年10月9日〜10月31日 土日のみ開催 12:00〜18:00 入場無料 ※MAPは旧室蘭駅舎で配布されるほか、公式HP(https://muroranart.wixsite.com/website)からダウンロードできます。 主 催 / Muroran Art Project 協 力 / 大町商店会、室蘭工業大学山田研究室、蘭歴建見会 後 援 / 室蘭市、室蘭商工会議所、室蘭観光協会、北海道新聞室蘭支社室蘭民報社、FMびゅー 助 成 /北海道開発協会助成事業 会 場・展示アーティスト :旧室蘭駅舎(MAP本部)中村 岳 | 千穐萬歳堂(海岸町3-2-6) 川上りえ 室蘭工業大学 山田研究室 |旧丸越山口紙店(海岸町2-5-8) 岩崎 麗奈 | 中央町たのしま横丁(中央町1-2-7):大黒 淳一 (10.9日のみ) 詳細・最新情報はこちらからどうぞ ムロランアートプロジェクト muroranart.wixsite.com/website Facebook
むしゃなび編集部
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確固たる想いを洞爺湖で実現させたい! 〜『湖の膳舎 なかむら』 和食職人 中村 悠佑氏〜
2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
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『染まらないために染める』パンチラインな大和魂 〜異端児染師Aizome『I』
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