移住して3年目の2000年3月31日有珠山は噴火した。
正直なところ、この山が周期的に噴火することを知らなかった。

噴火までの数日、地震が頻発し
夜中にも大きな地震があって、
寝ている子どもたちを守らねばと、
家具などを身体で押さえたこともあった。
落ち着かない毎日だった。

その年は噴火から半年、噴火災害への支援物資の対応と
ボランティアの受け入れなどをして過ごした。

思い出すのは、神戸元気村の人たちだった。
阪神淡路大震災からスタートした災害支援ボランティア神戸元気村の皆さんから、
災害時における支援のあり方を教えて頂いた。

ネットワークも凄かった。
避難所で不足する物資があれば、それを全国に発信して集める。
企業からも個人からもたくさんの支援が集まった。
集まり過ぎて置き場に困ることもあったが、
長期化する中で支援物資はありがたいものだった。

神戸元気村は2002年、
創設した山田和尚氏がアフガニスタンに難民支援に行くことを機に解散する。
災害で困っている人を助けようという思いではじまった活動が、
手弁当で参加する人たちによって大きな活動となり、
のべ15万人以上の人が関わったといわれている。

この伊達に来てくれたボランティアの人たちも
みんな気持ちの良い人たちばかりだった。
関西の方が多かったのもあるが、笑いが絶えなかった。

誰もが人のためにと動ける力を持っている。
そんな力を気持ちよく差し出せる環境づくりこそ、
公けの仕事ではないかと感じた。


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25年前、東京からこの北海道伊達市に移住した。都会であくせくして生きてきた自分にとって、この街は楽園のようだった。そんな楽園も暮らしていくといろんなことがあった。徒然なる街ではなく、変化があり退屈しない街に住んで感じたことを600字に絞って綴っていこうと思う。

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