(2013年7月24日)
この町での移動手段はバイクであるから、天候に関係無く誰でもバイクに乗る。雨が降っても、みんなバイクに乗っている。
バイクの中で圧倒的に多いのが、「ホンダ」である。
雨の中をカッパを着て走る。
バイクは普通の人の年収の半分に近い金額なのに、どうやって買うのか不思議である。
地元民の話では、「お金が足りない時は、親戚、兄弟からもらう」という。「借りる」のではないようだ。
雨カッパで疾走する。
「お金のある人が無い人にあげる」のは当然のようで、でも、その場合でも親族に限る。日本に働きに行った子供が、親の為に家を建てるという話をよく聞く。
両親が亡くなると、その家はお金を出した人ではなく長男が引き継ぐ。
日本から来た私には、なんだか釈然としない。
雨の日のバイクは非常に危険だ。
バイクの話に戻る。
今は雨季なので、1日1回は雨が降る。
南国の雨なので日本の梅雨のようなシトシト雨ではなく、豪雨となる。
でも30分も待てば、雨は止む。
時間に余裕のある人は、軒先で雨の上がるのを待つ。
多くの人は雨カッパを着てバイクで走って行く。
頭が2つ出る高級品。
普段でもバイクで道が混乱しているのだから、雨が降った時は更に混乱する。雨カッパは厚手のビニールで出来ている。
3メートルほどの長いビニール製の布の真ん中くらいに頭を出す穴が開いていて、それを頭から被って穴から顔を出す。
ポンチョのようなものである。
雨カッパの横側は何も無いので、横から雨が入ってしまう。
2人乗りの場合は、運転手の後ろ側の布を後部座席の人が頭から被る。
すると後部座席の人は運転手の背中しか見えず、自分で経験してみるととても怖い。
少し値段が張るが、頭が2つ出る2人用の雨カッパも売っている。
しかし、これを使っている人は滅多にいない。
雨カッパは常に座席の下に収納してあり、雨が降ればいつでも出せる。
不思議なことに歩行者でも、傘をささずに雨カッパを着て歩いている。
この国では雨笠は売れないと分かった。
現在は地下鉄の計画も進んでいるようなので、10年も経てば、この町からバイクや雨合羽が消えてしまうかもしれない。
急に雨が降ると、露天で雨合羽を売り出す。
(おまけの話)
ミン・ドゥック副校長に昼食を誘われた。
出掛ける時から雲行きが怪しかった。
彼女の運転するバイクで少し走ったら、ポツポツと雨が降って来た。
彼女は歩道にバイクを停めると、座席の下から雨カッパを取り出した。
そしてそれを被りバイクに乗り、私にそのカッパの後ろ側を被るように言った。これを被って町を疾走する。
ずぶ濡れでホテルに戻った。 これでバイクに跨る。
その通りに被ったら、彼女の背中しか見えないので走り出すと怖い。
その内に雨は激しさを増して来て、彼女はまた停まった。
「雨宿りかな?」と思ったら、道端の露店で雨カッパを買っているのが隙間から見えた。
そしてそれを私に渡して、着るように言ったのである。
今度はそれぞれが雨カッパを着ているので、前より大分良い。
前が見えるだけ安心だ。
色とりどりの雨カッパがある。
レストランで食事をした後も、まだ雨が降っていた。
そうなるとこの雨カッパはあまり役立たない。
ホテルに戻った時は全身がずぶ濡れだった。
シャワーを浴びて昼寝をしたら風邪をひいてしまった。
大荷物でカッパを着て、バイクが行く。
[2020.07.25]
[2020.07.24]
(2013年7月23日)
顧問先の会社の社長に誘われて、彼の故郷のミトー市を訪問した。
ホーチミン市から南に2時間くらい行ったところにある町で、南部では古くから発展した一番大きな町である。
政府外郭団体事務所前で。 右から2番目が元国会議員。
顧問先の会社の社長に誘われて、彼の故郷のミトー市を訪問した。
ホーチミン市から南に2時間くらい行ったところにある町で、南部では古くから発展した一番大きな町である。
政府外郭団体事務所前で。 右から2番目が元国会議員。
[2020.07.23]
7月21日は「土用丑の日」だが、それでも私は外へ出た。
今回は以前から気になっていた「ある場所」に行ってみた。
その場所であるが、亀戸行きの都バスに乗って両国駅を過ぎると、左手に「横綱公園」という大きな公園が目に入る。
私は「さすがに大相撲の国技館があるだけに、公園にも横綱と付けている」と、思っていた。
「横網公園」を入ると、前方に「東京慰霊堂」が見える。
[2020.07.22]
(2013年7月21日)
KAIZEN日本語学校では私は無害のせいか、結構人気があるように思う。先生達も私がソン社長の恩人だと聞いているようで、それで気を使ってくれているのだろうと思う。
生徒達はもっと単純である。
「ネイティブの日本人から、生の日本語を習いたい」のが理由である。
それに毎日、3人の生徒をランチと夕食に招待しているというのも大きい。
アパートの大家さんは左側のお菓子屋さんらしい。
KAIZEN日本語学校では私は無害のせいか、結構人気があるように思う。先生達も私がソン社長の恩人だと聞いているようで、それで気を使ってくれているのだろうと思う。
生徒達はもっと単純である。
「ネイティブの日本人から、生の日本語を習いたい」のが理由である。
それに毎日、3人の生徒をランチと夕食に招待しているというのも大きい。
アパートの大家さんは左側のお菓子屋さんらしい。
[2020.07.21]
(2013年7月19日)
ホーチミンに来てからは、いつも昼と夜はベトナムの食事をしている。
それも1人ではなく、いつも日本語学校の生徒が3人いる。
朝食はホテルに食堂が無いので、自室で前日に買っておいたベトナム風フランスパン、バター、ジャム、ヨーグルト、インスタント・コーヒー、
それに果物を食べる。
KAIZEN日本語学校の前の女生徒達。日本的な美人は少ない。
ホーチミンに来てからは、いつも昼と夜はベトナムの食事をしている。
それも1人ではなく、いつも日本語学校の生徒が3人いる。
朝食はホテルに食堂が無いので、自室で前日に買っておいたベトナム風フランスパン、バター、ジャム、ヨーグルト、インスタント・コーヒー、
それに果物を食べる。
KAIZEN日本語学校の前の女生徒達。日本的な美人は少ない。
[2020.07.20]
7月6日に上野不忍池に、蓮の花の開花状況を見に行った。
この時の写真は、7月11日のブログ【メールを楽しむコロナ効果】で公開した。その時はまだ開花している花が少なかった。
【不忍池】の全景。正面奥は「弁天堂」
[2020.07.19]
一時は収まりかけた感染者数が、また増え出した。第2波が来たのか?
最初の頃は新宿歌舞伎町の「飲食を伴う接待業」が発生源のようだったが、最近は「経路不明」の比率が増えて来た。
コロナウィルスが変異をして、強力になったからか?
東京都の1日当りの感染者数は、7月16日には286人、17日には293人と過去最大となった。
(今回の写真は都心の消毒とソーシャル・ディスタンスです)
「 東京駅丸の内口のKITTEの入口」
[2020.07.18]
(2013年7月18日)
朝起き出したら、この家の主はもう起きていた。
「シンチャオ」と挨拶する。その後が続かない。
ベトナム人の顔は日本人に似ている。
言葉をしゃべらなければ、どちらか分からない人が多くいる。
この家の主も、日本の田舎に行けばよくある顔である。
コーさんのお父さん。65歳。
朝起き出したら、この家の主はもう起きていた。
「シンチャオ」と挨拶する。その後が続かない。
ベトナム人の顔は日本人に似ている。
言葉をしゃべらなければ、どちらか分からない人が多くいる。
この家の主も、日本の田舎に行けばよくある顔である。
コーさんのお父さん。65歳。
[2020.07.17]
(2013年7月17日)
2日目の朝はよく眠れず、午前6時に起きた。
竹のベッドでは、寝ていられなかったからである。
食事の後に、この家のお父さんの管理している塩田を見に行った。
この時期は雨季なので、塩作りはお休みだそうだ。
今は塩田の中は真水のようで、11月から塩作りが始まるようだ。
塩田とコーさんのお父さん。
2日目の朝はよく眠れず、午前6時に起きた。
竹のベッドでは、寝ていられなかったからである。
食事の後に、この家のお父さんの管理している塩田を見に行った。
この時期は雨季なので、塩作りはお休みだそうだ。
今は塩田の中は真水のようで、11月から塩作りが始まるようだ。
塩田とコーさんのお父さん。
[2020.07.16]
(2013年7月16日)
田舎に着いたその日の夕方から、海水浴に行った。
みんなは行く前から、海で泳ぐのが楽しみだったようだ。
家からバイクで20分くらいで海岸に出る。
途中に広大な海老と、渡りガニの養殖場がある。
昔の日本にあったようなデコボコの砂利道を、バイク10台で行く。
広大な海老の養殖場。 プロペラが酸素を送る。
田舎に着いたその日の夕方から、海水浴に行った。
みんなは行く前から、海で泳ぐのが楽しみだったようだ。
家からバイクで20分くらいで海岸に出る。
途中に広大な海老と、渡りガニの養殖場がある。
昔の日本にあったようなデコボコの砂利道を、バイク10台で行く。
広大な海老の養殖場。 プロペラが酸素を送る。