ハンサムなA島君は、伊勢佐木町の「キャバレー宇宙一」の人気者ナンシーちゃんと本気だった。給料日になると店に誘われた。夜の8時ごろから店の終わる2、3時まで飲んで騒いだ。まあ、フィリピンから働きに来ているお姉さんが20人以上いた大店で、ダンスやカラオケで大騒ぎする。

 ママさんは日本人だが、基本的に日本人は3、4人で比国優勢の職場。完全に店内のルールは、彼女たちに支配力があったから、面白かった。ある時、頼んだポップコーンが冷えていると彼女たちが英語とタガログ語で騒ぎ出したことがある。きっと、何かほかの理由があったのだと思うが、対応がアメリカナイズされており従業員の正当な主張が通り、作りたてのポップコーンが出てきた。

 ナンシーちゃんは美女で、A島君とお似合いのカップルだった。彼女たちは、貧しい田舎から出てきた子だと思っていたが、聞いてみると大学や専門学校を出たが、景気の悪母国を見限りバブルの日本で稼ごうという普通の若者たちだった。日本語をマスターするスピードは早かった。A島君は大学では工学系だったが簿記学校にも通っていて、将来は実家の自動車関係の会社を引き継ぎそうな勢いだった。ナンシーちゃんも経営学を専攻していたらしく、二人て簿記や会計の話しをしていた。ちなみに、A島君がタガログ語をいくつか話すようになり本気度を感じた。

 店の見張りがいる関内駅を避け、横浜駅で待ち合わせし、ディズニーランドに出かけたこともあった。オジサンは飲みに行く前には、英語の予習が欠かせなかった。ネタを仕込んで笑いをとる、という学習効果は絶大で、英語嫌いのトラウマが徐々に解消されていた。学生時代にこの方式にたどりついていれば・・・。

 まあ、セブの帰りにマニラ空港に彼女を呼び出そうというのがA島君の狙いだった。マニラで一泊したホテルから、電話で呼び出そうとしたが、我々の英語力ではホテルの電話交換に市外通話がうまく伝わらなかった。最後のチャンスで、ガイドの兄ちゃんに、実はお姉ちゃんに連絡取りたいとたのんだ。

 さあ日本行きに乗り込むぞという15分ぐらい前に、なんとか再会できた、A島君は小さく畳んだ1万円札を彼女に握らせ、めでたしめでたし。泣けてくるセブ旅行だった。

 だいたい、空港内には彼女たちは立ち入り禁止で、玄関先で立ち話をするのが精一杯。それに、例の五徳ナイフが危険物と判定され、航空会社預かりとなりその書類手続きに時間を取られたA島君が、取調室から出てくるまで20分以上もかかり、ハラハラものだった。まあ、数か月後に彼女たちは、また日本に来るのだが、携帯電話もEメールも無い時代は、連絡がたいへんだった。
 
 どういうわけか、群馬県内の店に配属された彼女たちは、「そうじゃん」とか横浜っぽい話しぶりから「そうだっぺ」という北関東の訛りに染まっていったのだった。この話しはそのうちまた書くことにする。きょうはA島君物語でクタクタだ。

 次回は「セブは天国、ビール35円」の巻き。


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