
心の伊達市民 第一号
【玉の輿】(木塲・洲崎神社)
江東区木場に以前から気になっていた神社がある。その神社の名前は「洲崎神社」である。この神社が「玉の輿」の語源と知ったからだ。
その理由は説明によると『元禄13年(1700)徳川家の3代将軍家光の側室で5代将軍綱吉の生母である桂昌院が、崇敬していた弁財天をこの地に遷座したのが始まり。桂昌院は八百屋の娘で、将軍の側室へと上り詰めた人物。当時は「お玉の方」と呼ばれていた桂昌院。「玉の輿」の語源とされています』と書いてあったからである。
八百屋の娘が将軍の側室になったのなら、確かに玉の輿だ。
「玉の輿」(続き)
どうせ行くなら酉の市の日と思い、「三の酉」の11月29日に行ってみた。
場所は木塲のイトーヨーカドーからも近いので、地図を持参するまでもなく迷わずに行けた。洲崎神社の鳥居の前から境内を見たが、酉の市に付き物の「熊手売り」がいない。
どうせ熊手を買うわけではないので、特に残念でもない。
中ほどに小さな社があり中に「たまちゃん」が鎮座していたが、なんだかアニメキャラクター風だった。「玉の輿」の語源になったのだから、「ちゃん」は軽過ぎないか?
一応写真だけ撮って、本殿にお参りしてからバスに乗った。
【ランチタイムコンサート】
毎月の最終金曜日の12時10分から、築地本願寺でパイプオルガンによるランチタイム・コンサートが開かれている。5ヵ月ぶりくらいに、オルガンを聞きに行った。
この日の出演は声楽家の米山茉莉子、オルガン奏者は中野ひかるだった。
演奏会は本堂で行われ、パイプ椅子の補助席も入れて約400席が満席だった。
始まる前に僧侶の数分の法話、合掌、そして最後には仏教歌「恩徳讃」をみなで歌い、合掌である。今回の出演はオペラ歌手なので、ソプラノで歌う声は高く、とても寝ていられない。「恩徳讃」を除き5曲を歌ったが、オペラ以外にアニメの「千と千尋の神隠し」、「天空の城ラピュタ」、宗教歌などが3曲があったらしいが、全て私にはオペラのように聞こえた。
【壊れる】(1)
家の中の色々なものが、寿命の関係か壊れて来た。
最初は携帯ラジオだった。朝早く目が覚めるのでイヤフォンで聞いていたが、急に聞こえなくなった。コードを抜くと聞こえるが、それでは使えない。
次に居間の時計が数分遅れるようになった。電池を変えたら、もう動かなくなった。
ネットで調べたら、タワーマンションでは電波時計は感度が悪いそうだ。
更にタブレットのイヤフォンが聞こえなくなった。これもコードを抜けば聞こえるが、夜中に音を出すと隣の部屋の女房に怒られる。次は私の寝室の時計が動かなくなった。電池を変えても駄目だった。しかしこの時計は100円ショップで買ったものなので、簡単に諦めた。
洗濯機も時々、ガタガタと大きな音がする。風呂場のシャワーの蛇口から、チョロチョロと水漏れをしている。自分も壊れ掛かっているのだから、まあ仕方ないのかもしれないな-。
【壊れる】(続き2)
時計が無いと、色々と不便である。そこで「時間が分かればいい」を条件に、安い時計を探してみた。するとあの「ニトリ」で、立派な時計がなんと「999円(税込み)」で売っていることが分かった。
場所は南砂三丁目にあるので、門前仲町から交通費が掛からないシルバーパスで行った。
錦糸町行きのバスが来たので乗ったら、バスは「東陽町駅前」で左折した。どうも違う方向に行っているような気がした。違うことがハッキリしたので2つ先の停留所で降りて、もと来た道を歩いて東陽町駅まで戻った。どうやら「錦糸町駅」行きバスには、2つのルートがあるようだった。
【壊れる】(続き3)
やっとの思いで着いたら店は無く、「10月4日から猿江店に併合した」と、塀に大きく書かれていて地図も出ていた。999円の買い物の為にタクシーには乗れない。仕方無いので、とりあえず歩き出した。
最初のバス停に来たら、1分前にバスは出た後だった。ところがまた歩き出したら、後ろからバスが私を追い越して行った。定刻より3分遅れで腹が立った。
かなり先の大きな通りを右折したところにバス停があったので、そこからバスに乗った。
前方に大きく「ニトリ」と書かれた緑の看板が見えたので降りた。
時計を買って帰りのバスに乗ったら、なんとバスは私が往きに間違えて乗ったルートを走っていた。情けないやら、バカバカしいやらだが、999円で時計を買うのには相当の忍耐と努力が要るのである。
(おまけの話)【宝くじ無料コンサート】
宝町の「宝くじドリームセンター」に行った。
ここで毎月2回ほど、無料コンサートが開催されていると知ったからだ。11月28日は「尺八」の演奏だった。
演者は山崎 東幸氏で初めて近くで尺八を聞いたが、和風の音楽も良いものだと思った。
「尺八」で思い出した。同級生でケーキ屋を営んでいたEさんのことだ。
彼はコロナ初期に呆気なくあちらの世界に行ってしまったが、尺八が吹けた。
彼のお母さんがお琴か三味線の先生で、彼はたまに母に呼ばれて尺八で伴奏をしていた。
私もある時、尺八を吹かせてもらったが、「スー、スー」となるだけで、音が出なかった。
12月4日は定員120名のところに、40名ほどしか来ていなかった。
今回は「フラメンコ」だった。ダンサーは女性3人、男性は歌手とギターの5人のチームだった。激しいダンスを私から3メートルくらいの、抽選会場の舞台で踊る。
これを宝くじを買わない私が、無料で見せてもらうのはなんだか申し訳なかった。
私がフラメンコを間近かで見るのは、今回で2回目だ。
1回目は新婚の頃、新宿伊勢丹会館にあった「エル・フラメンコ」という名のショーレストランだった。食事中に私の近くで激しく踊るので、暗くて見えなかったが埃が舞い上がっていたと思う。
今年最後の無料コンサートは12月11日で「ハッピードリーム」。
副題は「歌の贈りもの」だった。4人の歌手が登場したが、私の知らない歌手だった。
この日は「ラジオ日本」の公開録画が行われていたが、テレビではないので安心していられた。
観客は常連の高齢者ばかりで、みんなお互いに知り合いのようだった。
私の見たところでは、どうも宝くじを買う人は少ないように感じた。
私は3回も無料で見せてもらったので、お付き合いで何10年ぶりかで年末ジャンボ宝くじを買った。この日は2024年12月11日だったので、末尾番号が「4・2・1」の3枚だけ買った。その結果は、来年のブログで・・・。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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自然と人との調和を追求したい 〜美のクリエイター 長友加也の世界
お二人のお子様のママ。 そして。 珈琲焙煎所のオーナー。 またある時は。 ヨガインストラクター&美容整体師。 と、思えば。 時に少女。 時に少年。 果たしてその実態は…。 以前から、いつか取材をさせていただきたいと思っていた長友加也氏。 ようやくお話を伺うことができました。 お邪魔したのは『TOYACAFE』。 6年前に壮瞥町の地域おこし協力隊として移住をして来られ、3年の任期を終えて開業されたのが壮瞥温泉町の湖畔にある珈琲焙煎所『TOYACAFE』でした。 長友加也氏は静岡県浜松市生まれの39歳。 日本女子体育大学をご卒業されているので、バリバリの体育会系体質かと思いきや、意外にもそういう方ではありません。 いえ、そういう面も持ちながら感性豊かでしなやかな方です。 『TOYACAFE』を拠点に20年ほどのキャリアを持つ美容整体と、13年のキャリアを持つヨガインストラクターの仕事もマイペースで行っていらっしゃいます。 「珈琲焙煎については独学でした。小さな子どもがいますので、親になってからは、あくまでも子どもを中心に置いた上で、自分がやりたいことは何かを考えながら無理のないペースでやってきました。」 珈琲焙煎所のオーナーとしての加也さんについても詳しく書きたいところですが、そこの部分については今回こらえて…。 主にフェアトレードの豆を丁寧に手煎りで焙煎されているとだけ伝えておきます。 この度取材をさせていただいたのは、最近宣言された新たな肩書き『フォト(動画)クリエーター』としてのお仕事についてでした。 一見、お一人で何役も同時にこなすのは超人的だ!と思ってしまうのですが、なぜか加也さんからは、必死感というか、がむしゃら感というか、がんばっている感が伝わってきません。 淡々と。 粛々と。 自然体で自分の想いの方向に向かっているという自由な雰囲気を醸し出している。 これってものすごくクール! かっこいいなあと思います。 そんな加也さんに自己分析をしていただきました。 出た……宇宙人。 実は前回の記事の主人公も宇宙人でした ^^; 筆者はどうも宇宙人に引き寄せられるらしい…。 かくいう自分も宇宙人? いやそれはさておき…。 さらに続けてこう話されました。 これを伺って安心しました。 決してセンスだけで物事を極めているわけではなく、とことん追求してめいっぱい努力し、きちんと結果を出す人だということがわかったからです。 でも決してそれを表に出さない。 やはりかっこいい。 さらに尊敬してしまいます。 さて。 話をフォト(動画)クリエーターに戻します。 このお話。 実は加也さんのキャリアに裏付けられていました。 なんて素敵な!! これは、加也さんならでは、加也さんだからこそ撮れるものです。 そして今も続々と撮影依頼が来ているそうです。 独立宣言をするや否や舞い込む依頼に加也さん自身が驚いているご様子でした。 それは、これまでの加也さんの活動や発信が、必要な方にしっかりと伝わっていた証だと思います。 今回の取材でわかったこと。 『TOYACAFE』を拠点に置き、珈琲焙煎所・フォト(動画)クリエイター・ビューディーサロン(美容整体・ヨガ)と多方面に活躍しつつも、それは全て1本の軸を外れない活動でした。 365日の時間割の中で、全てが子育を中心とした隙間時間に見事に整理されていました。 長友加也氏は、しなやかな自由人かつ被写体に寄り添う美のクリエーターでした。 *画像は全ていただいたものです。 ―長友加也 情報― 長友加也Instagram https://instagram.com/kaya.n_film?igshid=YmMyMTA2M2Y= 長友加也Facebook https://www.facebook.com/takeuchi.kaya TOYACAFE Instagram https://instagram.com/toyacafe?igshid=YmMyMTA2M2Y= TOYACAFE HP https://toya-cafe.localinfo.jp クリエーター依頼 https://toya-cafe.localinfo.jp/pages/2702246/page_201903191041?fbclid=PAAaaRlA7qepU9u58JEGPIduBSXwsST_TFMjY2g7B4tXbxadOYI92yOhEeYlM (2023年1月取材)
Rietty
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影の主役を選んだ人 『dj_hatass=畑吉晃』にプロ魂を見た
12月28日はディスクジョッキー(DJ)の日 皆様、12月28日は「ディスクジョッキー(DJ)の日」だということをご存知でしょうか? ラジオでのDJ活動の第一人者であり、ラジオ人気長寿番組「オールナイトニッポン」の最初のパーソナリティである糸居五郎さんの命日にちなみ、日本では12月28日は「ディスクジョッキーの日」として制定されています。 日本でDJという言葉がメジャーになったのは、ラジオでMC+曲をかけるというスタイルからだと言われています。 ということで、今回の主人公はDJ歴30年、MC無しの音だけでフロアを盛り上げてきた『dj_hatass』こと畑吉晃さんです。 畑さんは1969年生まれの53歳。 DJの世界との出会いは20歳くらいの頃だそうです。 年代的にはちょうどディスコブーム後半の頃になります。 黒服の人に誘われてこの世界に 畑さんの将来を決定づける出会いでした。 その中には、今でも一緒に活動をしている先輩DJの中居さんや、室蘭唯一のクラブ『Red Hill』の竹内さんもいました。 そしてもう一つ、衝撃的な出会いとなった音楽が “ハウスミュージック”と"テクノミュージック"。 それは、これまでに感じたことのないほどの興奮と感動を与えてくれたと言います。 ところで〜 そもそもDJって?と調べてみました。 DJの歴史 第二次世界大戦中から脈々と水面下で培われていた「曲をかけて踊る」という文化。 1960年、ニューヨークにLe ClubというナイトクラブがオープンしたところからDJ文化の原型が誕生していきました。 ただその頃は、曲を繋げるのではなく、1曲が終わったら次の曲をかけるというスタイルでした。 そして1969年、アメリカのニューヨークで、2台のレコードプレーヤーを使って途切れることなく曲を流すというスタイルが生み出されます。 そして1970年代、世間ではディスコが大流行しました。 また、1980年代後半から1990年台にかけてアメリカやヨーロッパなどでレコードプレイヤーを使って音楽を提供するディスコやダンスホール(以後クラブ)が人気となりました。 その空間で選曲し、切れ目のない音楽でフロアを盛り上げていたプレイヤーがいつしかDJと呼ばれる様になります。 そしてDJの演奏スキルやテクニックの向上とともに、DJが使用するレコードプレイヤー、ミキサーなどが進化していくのでした。 現在のDJスタイルとしては、アナログDJ・CDJ・PCDJなどが一般的だそうです。 ・ アナログ(レコード)DJとは、昔からの定番スタイルで、曲の繋ぎを考えながらレコード選びをし、音の厚みで勝負するスタイルです。 ・ CDJとは、多くを持ち運べないというレコードのデメリットをCDの普及により解消し、PCやCDレコーダー、メモリースティックなどの駆使によって音源の呼び出しも容易にプレイが出来るスタイルです。 ・ PCDJとは、より効率的であることを優先した先に生まれた技術です。持ち運びの出来る楽曲量の多さと、音源入手の手軽さにより、現在は主流のスタイルになっています。 「持ち運び」の利便性がKeyで進化していったスタイルの違いですが、結果、利便性だけではないメリットとデメリットが生じたようです。 音楽のジャンルによっては、アナログに勝るスタイルはなかったり、PCDJをやるにはPCや機材の知識が必要になったりとそれぞれに高度な知識とスキルを必要とされます。 怠らぬキャリア積み上げ このような歴史を持つDJですが、畑さんはこれらどのタイプでも対応できる実力をお持ちです。 素敵! フロアに出ていなくても勉強を続けるとは、まさにプロ魂です。 この時は室蘭のチーム対苫小牧のチーム。 お隣にいらっしゃるのが先輩DJの中居さんです。 チームの入場曲や得点が決まった時の『ゴールホーン』も畑さんたち、DJチームのオリジナルMIXだそうです。 その甲斐もあり、この日は見事に勝利! 「ところで、他にはどんなところでDJをされているのですか?」 楽しそうに話す畑さんでしたが、少し神妙な面持ちにも…。 ブログの最後に畑さんのSNSアカウントを掲載しています。 「DJに関するご相談はそちらからどうぞお気軽に!」とのことです♪ 意外な本業とは さてところで。 実は畑さんの本業は、ジオパーク推進協議会の職員さんです。 そして、筆者もとてもお世話になっている『洞爺湖有珠火山マイスター制度』の担当者でもあります。 とても優しく、みんなに頼られる兄貴的存在です。 そして事務所にいらっしゃる時の畑さんはDJとは全く別のお顔です。 なんと! それは意外! 畑さんが言うには、火山マイスターの皆さんが一生懸命に勉強したり、講師活動をしたりしている姿にとても感動して触発されたのだそう。 そうか…。 共通項はそこなんだ! 正直に書けば、取材をさせていただく前、事務所にいらっしゃる畑さんとDJをされている畑さんは全くの別人だと思っていました。 どちらかが裏で、どちららかが表。 でも、裏も表もどちらも素敵だなあと。 ところが違いました。 畑さんはどちらも表でした。 舞台に立つ人たちを裏方で盛り上げることに喜びを感じる人だったのです。 なるほど…。 確かに思い当たります。 畑さんは本当に話すのが苦手でいらっしゃいます。 何かを発表される時、「原稿なしでは話せません」と恥ずかしそうにします。 そして超棒読み…^^; ところが、一旦機材の前に立つと活き活きとした表情で、機材を自由自在に操り、音で意気揚々と皆様に語りかけ、フロアを盛り上げていきます。 ジオパーク推進協議会の職員さんのときとのギャップがスゴい! 人生の終わりまで『影の主役』を 「ところで、畑さんにとってのDJの魅力ってどんなところでしょうか?」 『影の主役』に喜びを感じるところ。 言い換えると、決して出しゃばらず表現して、場を支え盛り上げるところ。 とても畑さんらしいなあと思います。 「それでは最後に。” dj_hatass “として、将来どうありたいと考えていますか?」 ” dj_hatass =畑 吉晃 ”は、人生の終わりまで『影の主役』を望み、大好きな曲で送って欲しいと願う、DJのプロでした。 ディスコ全盛期を生きながら一度もディスコのドアを開いたことがない筆者ですが、人生初のディスコは” dj_hatass “に踊らせていただこうと思います。 [Instagram] https://instagram.com/dj_hatass?igshid=YmMyMTA2M2Y= [Facebook] https://www.facebook.com/profile.php?id=100005068364809
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