食べ物の話をしていれば、世の中は平和である。
これは世界共通のように感じている。食べ物の話をして、怒る人は少ないと思う。


中国人は「4本足のものは、机と椅子以外はなんでも食べる」と言うが、それなら「食べられない4本脚は無いか?」と思って探したが、残念ながら見付けられなかった。



【浮世絵に見る 江戸の食卓】★★★

私は毎日、足が弱らないようにと思い、午前中の適当な時間に家を出る。
図書館の予約本が準備出来ていれば、先ず図書館に行って本を借り出す。


今回、借り出した本は「浮世絵に見る 江戸の食卓」という本で、これはとても面白かった。浮世絵も食べ物も、私はどちらも好きだからである。
カフェで一休みしてから、「昼飯に何を食べようか?」と考えながら店を出る。



美女が【うなぎの蒲焼】を食べる

私は太ることを心配し、昼飯はなるべく「ソバ」にするようにしている。
ソバでも「日本蕎麦」、「中華そば」、「スパゲッテイ」、「焼きそば」も選択範囲にあり、毎度のことだが迷う。なぜかみんな「細長い」。


ある時、本を読んでいたら、「高齢者は少しくらいは太っていた方が良い。いざ病気になった時には、体に貯えがあった方が良い」と書いてあった。
今の私は、この記事を読んで迷っている。



雪の夜に夜鷹が【蕎麦】を食べる

食べ物はその人によって好みが違うから、誰でもが「美味しい」と思うものは殆ど無いと思う。例えば私はラーメンは好きだが、豚骨ラーメンは苦手である。


「X市のYという店のZは美味い」と友人が言うので行ってみたが、それほどでもないというようなことはよくある。
「料理は美味しいが、ご飯が不味い」という店もある。



天婦羅】と【天婦羅屋台】

値段が高かったり有名な店だと、「美味しいに違いない」と思ってしまう人が多い。特にオーナーシェフがテレビに出たりすると、グルメ気取りの奥さん達が列を作って並んでいる。私も以前はそんな店にも行ったことがあるが、美味しくなかった。


知り合いの奥さんは「この店の味が分からないと恥ずかしい」と思うのか、本当は美味しくないのに「さすがに、美味しい」と無理して言っている。



【豆腐田楽】を作る

「腹が空いては戦が出来ぬ」という言葉もあるが、現役の時の取引先の部長が言った。「今は昼飯前だ。面倒な話なら、午後からにしてくれ」。
部長は戦前生まれなので、戦後の青春時代を空腹の時期で過ごしたのだろうと思う。


彼は酒を飲まないのは良いのだが、家が同じ方向なので一緒に私の車で帰ると、喫茶店のハシゴをして必ずケーキを食べる。
毎回、それに付き合わされるのに参った覚えがある。



【駒込の茄子】の皮を剥く

「浮世絵に見る 江戸の食卓」を読んで思った。
現代の日本人が食べている和食と、江戸時代のものと全くと言っていいほど違いが無い。この本は浮世絵の中に出て来る日本食を解説していて、とても面白かった。


屋台で食べさせていた庶民の味が、いまや高級店で出すように変ったということはあるが、江戸時代に食べていた物は今でも食べていることに愛着を感じた。
食べ物が無くなると戦争になるが、食べ物さえあれば平和である。



芝居見物には【幕内弁当】

(おまけの話)
私は同級生に飲食業の経営者が3人いた。
過去形なのは2人はアチラの世界に逝ってしまい、もう1人は店を閉めたからである。


1人目は普通の人では商売を躊躇してしまう、新宿歌舞伎町で2軒のクラブを経営していたAさんだ。同窓会などが新宿で行われた時の後には、必ずみんなで彼の店に行った。あの暗黒街で、よくも商売をして来たものだ。
そのAさんも、病に倒れてしまった。




2人目は多摩方面で「蕎麦割烹」の店をやっていたBさんだ。
私は蕎麦が好きなので、住宅街の中にあるこの店によく通った覚えがある。
この店のオリジナルである「揚げ出し豆腐」が美味しかった。
手作りの豆腐を揚げて、たっぷりの特製の出し汁に入れて出す。美味かった。


ある時、店に行ったら閉店になっていた。後から分かったが、自分からアチラの世界に逝ってしまった。




3人目はケーキ屋のCさんである。
この店のケーキは自由が丘の「モンブラン」のように、昔風の大きなケーキだった。しかし時代は変り、ケーキは小ぶりで値段が高くなった。


Cさんは自分の店のケーキを「小さくしても売れるか?」、「小さくしたら贔屓のお客さんが逃げないか?」と悩み、私が会社を閉めたのを見て彼も店を閉めたのである。



浜に出揃った【食べ物屋台】


伊達季節移住のススメ 心の伊達市民 第一号

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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