世間ではコロナと言うのに、1月4日から会社が始まった。
「さて今日はなにをするか?」と考えたが、私にはやらなければならないことが無い。

パソコンを開いたら、近所に住む同級生のカメラマンのO君からメールが届いていた。メールを開いたら、本文が無かった。お互いに年をとると、そんなものだろうと放っておいた。


立山の「室堂」で(2003年)


4日から株式市場が開くので株価をチェックしたら、大きく下がっていたのでガッカリしてパソコンを閉じた。正月に一時退院したマンションの友人が翌日からまた病院に戻るので、「カフェでお茶をしませんか?」と誘って来たので、カフェに出向いた。

前回と同じ話で、「病院に1000万円以上も支払った。もうこれ以上は困る」と言うので、病院の1階にある「相談室」に行って話をした方が良いとアドバイスした。


「銀婚湯」で同級生のA君と(北海道・2003年7月)


翌日の朝になってパソコンを開いたら、またOさんからメールが届いていた。
今度は本文があり、「ファイルを整理中に発見した17年前の2003年11月21日にSさんのキャビンでのクラス会の写真と、嵐山光三郎さんが週刊朝日「コンセント抜いたか!」、2003年12月19日号に掲載された”暮れのクラス会は楽しい”を添付します。お楽しみください」とあり、写真と記事が添付されていた。


「岩倉観光果樹農園」で岩倉社長と(2005年)


写真は15人の集合写真で、そこには懐かしい同級生の顔があった。
17年前の写真なので、みんなまだ若い。

1人だけ恩師のように写っているのは間違いなく同級生で国立がんセンター総長の垣添忠生君だ。
私も今からは想像出来ないほどに若く、顔も引き締まっている。
リタイアして17年も経つと、当時と違い顔も体も贅肉が付いて弛んでいるから悲しい。

「がんセンター」の垣添君はテレビ、雑誌で顔が売れているから顔出しで、作家の 嵐山光三郎君も一時はテレビで引っ張りだこだったので、顔出しとした。


写真の中の男は中小・中堅企業の社長が4人、大手企業の役員が4人、大学教授が3人、作家、プロカメラマン、国立がん研究センター総長が各1人、アメリカ企業の副社長が1人というメンバーだった。
そして作家の嵐山光三郎君が週刊朝日に連載していた「コンセント抜いたか!」の記事が添えてあった。


週刊朝日に連載の「コンセント抜いたか!」


タイトルは「暮れのクラス会は楽しい」で、副題として「クラス会はナマのタイムマシーンである」となっていた。
クラス会に参加した1人ずつを実名で、面白・可笑しく文章にしている。
これが今の時代なら、「個人情報公開で、プライバシーの侵害だ!」と言われるだろう。


嵐山光三郎君の主催の落語会「嵐山亭」(2005年)


私が通った学校は中学・高校の一貫教育をしていたので、同級生とは6年間を一緒に過ごした。クラス会の時の肩書を見ると、みんな「そうだろうなー」という職業に就いている。

1人だけ全く想像できなかった男がX君で、アメリカ人弁護士と結婚して今もアメリカに住んでいる。英語とは全く縁が無かったX君がアメリカ人女性をどうやって口説いたのだろうか?、それを知りたい。
思い掛けずO君からのメールで17年前に引き戻されて、「長生きも悪くない」と正月早々感じている。


トーヤレイクヒルGC「羊蹄コース」で(2005年)


(おまけの話)
正月早々に懐かしい写真に出会えて嬉しかったので、色々な他の同級生のことが思い出された。写真に登場するカメラマンのO君は、偶然だが今は近くに住んでいる。
彼に誘われて、アリゾナの大地の写真を撮りに行ったこともある。

M君はなんと、幼稚園から大学まで一緒だった。仕事もお互いに工業だった。
アメリカ人と結婚したO君とは学校にプールが出来た時に水泳部を立ち上げて、私は国体予選に出て神宮プールで泳いだことがある。


ホーチミン市の床屋で(2006年)


写真に登場しているS君は日本有数の不動産会社の専務をしていた男で、彼は北海道の出身である。教育熱心な両親の勧めで都内の親戚の家に居候をしていて、彼とは中学から同級生となった。

オヤジが歌志内炭鉱を経営している会社の役員だったようで、私は中学3年生の時に彼と一緒に歌志内まで行って炭鉱の一番奥まで入ったことがある。


ハワイの大僧正「荒了寛和尚」と天台宗ハワイ別院で(2007年)


写真には登場していないが、演歌歌手になったM君、プロ野球選手になったS君、引退後にヨットで世界一周に出たH君、歌舞伎町で何軒かの店を出していた夜の帝王のK君、日本のスピードに付いて行けないと言って、ブラジルに移住したU君、革マル派の闘士になったH君など数えてみたら、ずいぶんとユニークな男達がいた。「人生いろいろ」である。


大雪の江戸東京建物園(小金井)で(2008年2月)


伊達季節移住のススメ 心の伊達市民 第一号

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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