心の伊達市民 第一号

珈琲屋台「出茶屋」

ブログ閉鎖中の話題(2018年7月09日)


最近、読んだ「今日も珈琲日和」という本に、懐かしい珈琲屋台「出茶屋」の話が出ていた。この珈琲屋台というのは、若い娘が屋台を引っ張ってコーヒーを売り歩く話で、なにしろ驚く。

私がこの話を書くには、それなりの理由がある。
この珈琲屋台があるのは、私が人生の大半を過ごした小金井の話だからだ。



「今日も珈琲日和」・・・★★


私がまだ小金井に住んでいた頃に一度だけ、商店街でこの屋台のコーヒーを飲んだことがある。
その時は「なぜこんな若い女性が重い屋台を引っ張って、コーヒーを売り歩いているのかなー?」としか思わなかった。

また、私も忙しかったので、わざわざ彼女にその理由も聞かなかった。
その内に私は勝どきに引っ越してしまったので、すっかりこのことは忘れていた。そんな時に、偶然にこの本に出会ったのである。



小金井公園での珈琲屋台(HPから)


本を読んで、彼女が珈琲屋台を始めた経緯を知り、がぜん彼女に会いたくなった。そこで地元のHさんに連絡して、一緒にコーヒーを飲みに行くことになった。
このコーヒー屋は屋台で店舗ではないので、いつも出ている場所が変わる。
彼女は重い屋台を引いて、雨の日も風の日も、真夏も真冬も色々な場所で営業している。



屋台を引いて移動するオーナー(HPから)


ある日のことである。私は久し振りにJR武蔵小金井駅に降り立った。
私が7年前に引っ越した後に中央線の線路が高架になり、駅舎も見違えるほど綺麗になっていた。
改札口を出て少し歩くと、変わらない過去の懐かしい小金井のままの光景がそこにあった。

私は歩いて5分の以前の私の家の前まで行くと、そこには新築の家が3軒も建っていた。
まるで以前の面影は無く、感傷に浸ることも出来ない。



JR中央線の武蔵小金井駅ホーム。


更に5分ほど住宅街を歩き、Hさんの家に着いた。
この日は気温が34度というバカ暑で、小金井で気が付いたことがある。
それは都心と違い高い建物が無いので、日影が無い。だから太陽から逃げられないのである。

暑い中で自慢の家庭菜園を見せてもらい、クーラーの効いた部屋で奥さんも交えて色々な話をする。帰りには朝採りの、自慢の野菜をお土産に持たされた。



静かな住宅街の細い路地を曲がると、珈琲屋台の置かれた家があった


この日は、Hさんの家から5分ほどの場所に珈琲屋台が出ていた。
その場に行ってはみたが、入るのが躊躇われた。
この辺りは中級以上の住宅街なのだが、ここだけ違うような空気が流れている。

戦後建てられた、時代に取り残された町営住宅のままの風景がそこにあった。
「●い」、「●●しない」を絵に描いたような住宅の庭の奥に、その屋台が置いてあったのである。



珈琲屋台はこの家の庭先にあった。


本に書いてあるイメージとは全く違う。お客なのか、居間で談笑している人達は私とは縁遠い感じである。
珈琲屋台のオーナーの女性は、どこで道を間違ってしまったのか?
私がわざわざ行った理由は「お洒落」と思ったからである。しかし、全くの期待外れだった。


オーナーの女性も本心では、「こんなはずじゃなかった!」と思っているのではないだろうか?
でもHさんにも会えたし、あまり美味しいとは思えないコーヒーも飲めたし、「色々な人生があるんだなー」と知ることが出来た故郷訪問だった。



珈琲屋台のリヤカーは汚かった。


(おまけの話)
屋台のコーヒーを一緒に飲みに行ったHさんは、現役の時は自動車販売業の社長だった。私がここへ越して来て7年経つ。Hさんが会社を畳んで8年経つが、会社を畳んだ理由は私にある。
ある時、近所でHさんに出会った。
私はHさんに「もうそろそろ会社を畳んだら」と、いま思えば、ずいぶんと失礼なことを言った。



駅から以前の自宅に行く途中の農家に、イガ栗が実っていた。


私は自分が会社を売って引退しその自由を満喫していたので、友人の社長を見れば「会社を畳んだら」とだれかれ構わず話していた。それを真に受けて会社を畳んだ男は、Hさんを含めて4人もいる。
でも、みんな怒るどころか、私に感謝している。・・・と自分では勝手に思っている。

年をとった社長というのは、後継者がいなくてもズルズルと社長を続けてしまう。そして最後は悲惨な結果になるのを、私は何社も見て来た。



私の住んだ家は3軒(右2軒と左奥1軒)に分譲されていた。


Hさんは養子で嫁さんの実家の自動車販売業を継いだのだが、私から見ても無理があった。
なにしろHさんは「真面目が背広を着て歩いている」ような男なので、激しい生存競争には向いていなかった。今では従業員、取引先を同業者に引き継いでもらい、犬の散歩と家庭菜園で仙人のような余生を送っている。

私も父親の会社を引き継いだが、これは望んだことではなく、父が若くして癌で亡くなってしまったからだ。人生に「もしも」は無いが、それでも「父が亡くならなければ違う人生があった」と思う。
そんなことを考えながら、旧友と故郷の小金井で屋台のコーヒーを飲んだのである。



Hさんの家庭菜園でトマトが実っていた。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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