「写大ギャラリー」から写真展の案内が届いた。
「写大」というのは「東京写真大学」の略で、年配のカメラ好きの人なら誰でも知っている。
現在は学校名が変り、「東京工芸大学」となったが、ギャラリーは「写大」を使っている。
私の友人の同級生のNさんはニコン取締役を終った後に、東京工芸大学の専務理事となり大学改革をやって成果を上げたようだ。



写大ギャラリーから届いた案内状


私と東京工芸大学はN君とは関係なく、以前から縁があった。
もう25年以上も昔のことだが、今でもお付き合いのある台湾人のKさんが日本に留学して来て写大に通っていた。

その時のKさんは台中で写真スタジオを経営している社長で、留学中は私の会社の寮に滞在していた。
「現役の社長が台湾で会社を経営しながら、日本に写真の勉強の為に留学して来た」という日本人なら驚くようなことをしていた。その成果があったようで、今では台中で一番大きな写真スタジオになった。



大江戸線「中野坂上駅」の壁アート(各駅にアートがある)


東京工芸大学は地下鉄「中野坂上駅」から、徒歩10分くらいの場所にある。
その途中に願成寺という大きなお寺があり、私は引退後にここで開催されている「仏像彫刻教室」に通っていた。その時に近くだった写大ギャラリーを知って、時々、写真展を見に行くようになった。

その時にギャラリーの入口にパンフレットが置かれていて、それを見たら、この大学で公開講座をやっているのが分かった。それ以来、興味のある講座には参加している。講義の内容は「映像」、「マンガ」、「アニメ」、「ゲーム」、「デジタル技術」などで、現役の教授が講義をしてくれる。



コロナ退散を願って、私の先生が彫った「アマビエ」


仏像彫刻教室は毎週金曜日の午後からだった。
先生はサラリーマンから仏師になったという珍しい経歴の人で、私は先生の彫る仏像の顔が好きだった。
6~7年間くらい通い、その間にはハワイ、伊達市でも仏像彫刻展を開催したことがある。

私がマンションに越すことになり、自室が無くなり自然と仏像彫刻とは縁が離れてしまった。
久し振りに願成寺の門をくぐって中に入ってみた。お寺は以前と何も変わっていなかった。



成願寺の羅漢像(境内に沢山ある)


お寺で羅漢像の写真を撮ってから、東京工芸大学に向かった。
大学はお寺の角を曲がればすぐである。
ここに来たのも久し振りである。公開講座はコロナの影響で、ズーと休講となっていたからである。


左手の芸術情報館に入り、無人ではあるが手指の消毒と検温をしてから2階の写大ギャラリーに行く。
階段の踊り場には、古いカメラのコレクションが飾ってある。



東京工芸大学の芸術情報館


写真展は「写真の中の東京は」というタイトルで、懐かしい1964年の東京オリンピックの写真も飾ってあった。2020東京オリンピックの終った時に、57年前の東京オリンピックの写真を見るのも奇遇だった。
他の写真は人物が多く、全てモノクロ写真である。


「なるほど。こういう構図で撮ればいいのか」と参考になる写真が多かった。
今までにも多くの一流カメラマンの写真を見て参考にして来たが、なかなかそれが身に付かない私だ。



2階の踊り場に陳列された古いカメラの数々。


薄暗いギャラリーには私以外、誰もいない。ゆっくりと静かに見られる。
ところが若い女性が入って来て、私に話しかけた。
「なんだろう?」と思ったら、なんのことはない、『テーブルの上に置いてある用紙にご記入願います』と言っただけだ。

その用紙を見たら、ここでコロナが発生した時の為に連絡先を記入する用紙だった。
誰もいない会場で、いきなり若い女性から声を掛けられると、年甲斐もなく驚くものだ。



写真展の会場は誰もいなくて静かだ。


(おまけの話)
この日は気温25度で気持ちが良いので、帰りは中野坂上から新宿まで裏通りを歩くことにした。
環状6号線を横切り、その先の路地を入る。
ここからは西新宿のビル街も見える場所だが、住所は中野区本町1丁目である。

古い家屋が両側に建っている。少し先に見える高層ビルの写真を撮るには電柱と電線が邪魔である。
しかしこの電線が凄い。無節操と言っていいほど、電柱からグチャグチャに配線されている。
一昔前のタイやフィリピンのようだ。



電線がこんがらかっている風景。


そこを過ぎて10分ほどで、西新宿のオフィス街に出る。
僅かな距離で、新旧が同居している不思議な地域だ。
新宿中央公園を横目に見ながら、住友ビルの前に差し掛かった。
2~3年前から大規模な工事をしていたが、それが完成したらしく私は初めて見た。
今までのビルの空き地を全部使い、ガラスの大屋根を持つ3階くらいの高さのアトリウムが出来た。



リフォームした新宿住友ビルは見違えた。


中に入って驚いた。まるで新築ビルのようだ。
でも外に出て上を見上げたら、以前の古い三角ビルがそびえ立っていた。
さすがに住友不動産は個人住宅でも「新築そっくりさん」をやるだけあり、リフォームが上手だ。

私は48年前にこのビルが完成した時に取引先が入居したので、その時以来のお付き合いだった。
このビルの中の床屋さんもビルで働くサラリーマンの高齢化でお客が少なくなり、店を閉め有楽町本店に統合した。そして私も今は有楽町店に行っている。



1階のアトリウムは「三角広場」というらしい。


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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