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じもとブロガー
心の伊達市民 第一号
ブログ閉鎖中の話題(2013年12月7日)
ベトナム人で日本人も知っている名前と言えば、ホーチミンが有名である。
正式には「ホー・チ・ミン」という名前で、ベトナム戦争後の統一ベトナム民主共和国の初代首席であり、国民からは「ホーおじさん」と呼ばれて親しまれている。
しかし少し時代を遡ると、フランスの圧政から独立を目指し日本に密航して勉強をし、当時のベトナムの若者達に大いに影響を与えた男がいた。
「ファン・ボイ・チャウ」
その名は「ファン・ボイ・チャウ」(潘佩珠/Phan Bội Châu)である。
*ミニ知識(ベトナムはフランスの植民地になる前は漢字を使っていた。)
最近はベトナム国内でも彼の業績を見直すようになり、かなりの人が彼の名を知るようになった。
そのファン・ボイ・チャウは静岡県と非常に強い繋がりがある。
ここではその事情は詳しく述べる紙面が無いので、下記の青色の「医師の浅羽佐喜太郎」をクリックして参照して欲しい。
新幹線から見えた富士山は雪景色だった。
ファン・ボイ・チャウが時の日本政府の支援を得られず失意の底にいた時に、彼を助けたのが小田原に住んでいた医師の浅羽佐喜太郎であった。
この時代(1900年初頭)にファン・ボイ・チャウの呼び掛けで日本に200人もの留学生が来日した。
これを「東遊運動」、ベトナム語で「ドンズー運動」と呼ぶ。
常林寺の「浅羽佐喜太郎公記念碑」の説明板。
因みに私が特別顧問をしているESUHAI社のソン社長はホーチミン市にあるベトナム最大の日本語学校「ドンズー日本語学校」の卒業生である。私も3年前にソン社長とこの学校を訪問して、日本留学が決った生徒達に日本語で話をしたことがある。
「ドンズー運動」というのはシンガポールやマレーシアが、戦後になって「LOOK EAST 」と称して「日本を見習え!」という政策を打ち出す70年も前の話である。
ファン・ボイ・チャウが100年前に建てた感謝の石碑。
1918年に浅羽喜太郎が43歳の若さで亡くなったことを中国で知ったファン・ボイ・チャウは日本へ偽名で密航して来て、現在の袋井市の常林寺に感謝の記念碑を建てた。
前置きが長くなり過ぎた。
以前からその石碑を見たいと思っていたので、その近くの紅葉の名所である「油山寺」の紅葉も併せて楽しもうと思い、その見ごろを待っていた。
常林寺の住職と浅羽喜太郎の墓の前で。
そして11月4日に52年前にNYで一緒に働いていた静岡在住のMさんの案内で、石碑と紅葉の旅に行ったのである。探しながら行った常林寺は小さな寺で、立派な寺を見慣れた私には驚きだった。
本堂の横の住職の家に行き、事情を話した。
住職は浅羽佐喜太郎の資料を持って来て、浅羽家の墓にも案内してくれた。
左から石碑を建てたファン・ボイ・チャウたち。 中央は右がファン・ボイ・チャウ、左は一緒に留学して来たベトナムの王子。 右は浅羽佐喜太郎。43歳の若さで亡くなっている)
住職の話では浅羽佐喜太郎は中国に行くファン・ボイ・チャウに現在の貨幣価値でいうと6000万円くらいを与えている。
そして「最近は袋井市にベトナム会というファン・ボイ・チャウの縁でベトナムと交流する会も出来て、駐日ベトナム大使も先日、この寺を訪問した」と話していた。
歴史というのは面白い。日本には掘り起こせば、色々な外国との縁があるのである。
住職は「こんな格好じゃあー」と嫌がったが、「記念だから」と言って写真を撮った。
案内板にはファン・ボイ・チャウの日本語の感謝の言葉をベトナム語に翻訳してある。
(おまけの話)
「最後の晩餐に何を食べたいか?」と聞かれれば、私は迷うことなく「うな重」と答える。
「どの店のうな重が一番好きか?」と聞かれれば、これも即座に「野田岩」と答える。
今は銀座支店が出来て、そちらに行くようになったが、最後の晩餐では麻布本店の蔵造りの三階の座敷で食べたい。
「うな一」のうな重「松」。
うなぎの焼き方は関西風と関東式があるが、私は食べられるならどちらでも良い。
関西風と関東風の境界線は静岡である。・・・と私は思っている。
その静岡で今回の旅に同行したMさんが、私を「静岡2」という店に案内してくれた。
「静岡1」という店は、生憎、休みだったからだ。
常林寺の帰りに油山寺の紅葉を見に行った。
「静岡2」の店で「うな重」の松を注文した。
「野田岩」のうな重を食べ慣れている私には、少し重過ぎた。
うなぎが3串分で、ご飯も二人前くらいある。
蒸し時間が短い田舎風なので、うなぎの匂いが強くて少し気になる。
それでも美味しかったので全部食べてしまった。
午後8時30分に家に戻ったが、まだ腹がいっぱいで夕食は抜きにした。
法多山・尊永寺の紅葉も見に行ったら、思い出した。 かなり前に油山寺と尊永寺の 紅葉を見に来たことがあった。 その時、尊永寺の厄除け団子が有名なので、それを食べた。
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伊達季節移住のススメ 心の伊達市民 第一号
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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
引用元:洞爺湖周辺地域マガジン「むしゃなび」
https://mushanavi.com/author/jiyujin/blog2/entry-6992.html
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