いつもポケットに入れて持ち歩き使っている、SONYのコンパクトカメラのパソコンとのケーブル接続用の場所の蓋が取れてしまった。銀座のショールームに持参したら、『ここでは修理の受付は出来ないので、急ぐなら秋葉原のサービスステーションに行ってくれ』と言われていた。
秋葉原には他に行く用事も無いので、「その内に」と思って、そのままにしていた。



秋葉原駅電気街口を出ると、以前と違い清潔だった。


12月になり部屋のスイッチを入れたら、その時に蛍光灯が切れた。
仕方ないので翌日まで待ってビックカメラに買いに行くことにして、その夜は暗いままで我慢した。

翌日になりSONYのカメラの修理もあるので、秋葉原のビックカメラに行くことにした。
シニアパスを使えば大江戸線で「上野御徒町駅」まで行って、歩けば行けないことも無い。



中央通りのビルの壁はアニメだらけ。


今回は都バスで「東京駅」まで出て、JR山手線で秋葉原駅まで行った。
秋葉原駅の改札口を出たら以前の面影は無くなっていて、違う町に来たようだった。

昔は駅から電気街の出口を出ると、そこには名物の「実演販売」があり、いつも人だかりがしていたものだ。今は再開発がされていて、なんだか凄く清潔になっていた。
「秋葉原らしくないなー」と思いながら、ビックカメラに行く。



秋葉原は若者向けの「ガチャポン」がアチコチにある(300円)


4階の照明売場で持参した切れた蛍光灯と同じものを探した。
売場には無かったので、キャッシャーのところで聞いてみた。
係の女性が1個の蛍光灯を持って来たので、『2つ欲しいのですが‥』と言うと、『在庫がありません』と答えた。


支払いの段になり驚いた。蛍光灯が4070円もしたのである。
これは二重の電灯で、しかも2万時間も持つ特殊なものだった。



「ここはなにか?」と思ったら、パチンコ屋だった。


次に少し上野方面に歩き、末広町の交差点で右折する。
そこまで行く途中には、アニメ、ゲーム、ガチャ、メイドカフェなどの店ばかりで、「ドン・キホーテ」さえも店頭にはアニメを打ち出していた。昔ながらの家電量販店は少なく、影も薄い。

もう秋葉原はズーと前から、家電の街ではなくなっていたようだ。
この街が他と大きく違うことがある。それは歩いている人、店の中にいる人、殆どが若い男性で女性をあまり見掛けない。



ドン・キホーテも入口にアニメ。


SONYサービスステーションに着いたら、丁度、オープンの11時だった。
一番乗りでサービス・デスクに行き、コンパクト・カメラを出して不具合を説明した。
すると係の男は、パソコンで検索してから私に言った。

係員『部品代が1万5000円、作業費が6000円になります。修理時間は1週間です』。
私 『このコンパクト・カメラは4万5000円くらいで買ったものである。それに2万1000円の修理代は払えない』と言った。
係員『そうですよねー』と言ったので、カメラを返してもらってサービスセンターを出た。



UFOキャッチャーは「鬼滅の刃」(100円)


せっかくここまで来たのだからと思い、秋葉原に戻った。
そして駅の傍の昔ながらの狭い路地の電気パーツの店を覗いてみることにした。
しかしここはコロナとは関係無いと思うが、多くの店はシャッターが下りていて店じまいとなっていた。

私が社会人になったばかりの頃の、あの喧騒は無かったのである。
もう時代は変りパーツをここで買って、自分でラジオやパソコンを組み立てるような人はいなくなったのだろうか? アニメやメイドに、小さな電気部品屋は追い出されてしまったようだ。



マニアの集まった電子部品街も閉店が多い。


(おまけの話)
秋葉原まで来たので、久し振りに帰りは神田まで歩いて行くことにした。
神田駅近くで昼となったので、ランチをすることにした。
「比内鶏ラーメン」という看板が目に入ったので、その店に入った。

店内はカウンターだけの10席くらいの小さな店で、カウンター内に1人だけ店主がいた。
そして驚いた。なんと店主が黒人だったのである。



比内鶏ラーメン「ネギ・小)


私の見たところ、彼はアメリカ人ではなさそうだし、アフリカ人でもなさそうだ。
ハッキリは分からないが、ジャマイカあたりの黒人ではないかと思う。
しかしジャマイカ人の作る比内鶏ラーメンはなんだか信用出来ず、店を出ることも憚られたので自販機で一番安い「ネギ・小」を買った。650円だった。

チケットを店主に渡すと、すぐに調理に掛かった。
出て来たラーメンは麺にネギだけが少し乗った素ラーメンで、あまり美味しくなかった。



ドトール・コーヒーで本を読む。


口直しが欲しくなり、近くのカフェ「ドトール・コーヒー」に入った。
そしてコーヒーとバームクーヘンを注文し、席でユックリと持参した本を読みながら時間を過ごした。
本の題名は「家族じまい」で、夫婦とその両親のボケ老人の話で、なんだか身につまされた。

その前に読んだ本は林真理子の「我らがパラダイス」で、これは超高級老人ホームで働く女たちの話だった。もっと明るい話の本を読まないと、暗くなるばかりだ。



帰りは東京駅から都バスで(正面はKITTEビル)


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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