心の伊達市民 第一号

レトロが好きになる年齢

ブログ閉鎖中の話題(2016年12月14日 )


年を取ると昔のことが好きになる。
そして「昔は良かったなあー」と言い出すと、もうお迎えも近いと思わなければいけない。
今までの人生で色々なことがあったが、その中で「一番」と思えるのは52年前のニューヨーク世界博覧会の日本館で働いた時の思い出である。

(今回の写真は下目黒で見付けた、レトロの代表・古いホーロー引きの看板です)



下目黒のレトロ店。(今は居酒屋になっているらしい)


でもそれは私が22歳の時のことなので、もう昔話となり記憶も定かでなくなった。
記憶間違いもあると思うが、「冥途の土産」として思い出して書いてみた。

私達が1962年3月にニューヨークのケネディ国際空港にJALの専用機で到着した日は、みぞれ混じりの寒い日だったのを鮮明に覚えている。
空港から迎えのバスに乗り、クイーンズ地区のフラッシングという町まで行った。
この前年にケネディ大統領は暗殺されたのであった。



「水原弘」のハイアースの看板はオークションで1万円前後する。


フラッシングのアパートに入り、その日から2部屋続きの部屋で4人で生活することになった。
2つの部屋の真ん中に、部屋を分けるようにキッチンと風呂・トイレがあった。
そのアパートは52年前に、既にオートロック形式だった。


アパートの斜向かい側にはスーパーマーケットとジョー・ディマジオのイタリアン・レストランがあり、並びにはダンキン・ドーナツの店があった。上の階にはアメリカン航空のスチワーデス達が住んでいた。
私達が大騒ぎしていると、上の階の床をハイヒールでコツコツと叩いていたのも懐かしい。





我々の住んでいた場所からNY世界博覧会の会場までは、市バスと地下鉄を乗り継いで行き、30分ほどで「ウィレッツ・ポイント・ブールバード駅」で降りる。
私はマンハッタンに向かって進行方向左側で降りるが、右側にはメッツ球場がある。
会場の真ん中に巨大な鉄で出来たモニュメントの地球儀があった。(現在も残っている)




「NY世界博覧会」の会場は、フラッシング・メドウズ・パークという公園を使って開催された。日本館でバスボーイとして働いていた私はNY博のゲートをどのようにして通過したのかが全く思い出せない。
IDカードを支給されていたのだろうか?


日本から派遣されたのはウェイトレスとして200人の短大卒以上の女性、プロのコックが30人くらいだったか、バスボーイは15人で大卒以上が条件だった。



ビールの看板は現在は2000円前後。


日本館は3館で構成されていて、我々は3号館のシアター・レストランで働いた。
バスボーイというのはウェイターの下でテーブルの後片付けの専門職で、この職業はアメリカにしか無いと思う。黒の側章付のズボンにカマーバンドをして、上はワイシャツに白いナッパ服である。




私の仕事は「早番」と「遅番」があり、1週間ごとに入れ替わる。
休憩時間には博覧会の色々な国のパビリオンを見て廻るか、舞台の下で休む。
そこには踊り子達がいて、出番を前に床山さんにカツラの手入れをしてもらっていた。

早番で次の日が休みの場合にはグレイハウンドバスに乗って、1泊の旅行をしていた。
まだまだ思い出すと色々なことがあったが、紙面が尽きたのでまたの機会に・・・。




(おまけの話)
女房が友人から展示会のチケットをもらった。
展示会のタイトルは「神の手・ニッポン展Ⅱ」で、会場は目黒雅叙園だった。
この展示会は数人の芸術家が「これでもかー!」というような微細な精巧な作品を、紙、皮、卵の殻などで制作して展示している。



歴史的建造物の百段階段(目黒雅叙園)


目黒雅叙園に来ると、いつも思い出すのが台湾人の頼兆銘さんだ。
彼の息子が日本に留学し大学を卒業し、就職することになった時にお世話になった人達をここに招いて盛大にパーティを開いた。私達夫婦は息子をホームステイさせ、就職を世話したので主賓として招かれた。



ロビー通路(雅叙園)


頼夫妻は戦前の日本の教育を受けて育った。
私が「日本と台湾の教育はどちらが良いですか?」と聞いら、「私達は日本の教育しか知らない。日本の教育のお蔭で、台湾はここまで来ることが出来た」と感謝していたのが強烈な印象として残っている。


その頼兆銘さんが20年くらい前に亡くなった時は私達夫婦で台湾まで葬儀に行ったが、あの時、初めて中華料理の精進料理「素食」を食べたのを思い出した。
この時の話も面白いが、また別の機会に・・・。



遊女の色付き彫刻(雅叙園)

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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