
心の伊達市民 第一号
クリスマスには「フグ」を
今年(2021年)最後のブログです。「よい年をお迎え下さい」
今年もクリスマスがやって来た。
日本人の殆どが仏教徒か信徒なのに、「なぜクリスマス」を祝うのだろうか?
日本に於けるキリスト教徒の比率は、人口の1%しかいないのにである。
そういう私は後から知ったのだが、私はキリスト教会の幼稚園に通っていたのだそうだ。

築地のふぐの名店(天竹)
ところで「クリスマスにはフグ」の話である。
かなり前の話だが、たまたま女房とクリスマス・イブに新宿に出た時に夕食時間となった。
まだ若かったので、「洋食を食べよう」ということになった。
時々、行っていた店に入って、いつものようにメニューを開いた。
するとこの日はクリスマスディナーしか無く、単品を注文できなかった。

水槽でふぐが泳ぐ銀座「玄品」
クリスマスディナーはコース料理で、1人1万円に近かったように覚えている。
腹が立った私は店を出たが、どこの店も「この日は稼ぐぞー」とばかりに、通常メニューは引っ込めてしまいクリスマスディナー・メニューしか無かったのである。
腹を立てながら2人で歩いていたら、フグ屋の前を通りかかった。
ドアのガラスを通して店の中が見えたが、店はガラ空きだった。

「ふぐ調理師」を打ち出している。(いなくても営業できる)
そこで女房と相談して、クリスマス・ディナーより高かったが「腹立ち紛れ」にフグ屋に入ったのである。
お客の来ないフグ屋は大喜びで、私達を歓迎してくれた。
それ以来、我が家は「クリスマスにはフグ」となったのである。
ここへ越して来てから一時は築地市場のフグ専門店に注文しておいて、クリスマスイブに引き取りに行っていたが、それも面倒になった。そこで最近は、ネットでフグを取り寄せている。

12月24日に宅急便で届いた「ふぐセット」
今年も12月24日の午前中に、フグの本場「下関」からフグセットが届いた。
「フグ刺し(テッサ)」が大好きな女房の為に、セットとは別にテッサを1皿、追加注文しておいた。
冷凍で届くので冷蔵庫に入れておき、食べる少し前に台所に置いて自然解凍をする。
夕食時間となり、テーブルの上にコンロを用意する。そして先ず「テッサ」を口に運ぶ。いい感じだ。
次に煮立った鍋に取り掛かり、その後に雑炊にして「フグ・ディナー」は終った。
テレビでは「クリスマス特集」をやっていたが、我が家には関係ない。

「テッサ」を1皿、追加注文した(4人前×2皿)
「フグ」と言えば私は過去に2度ほど行ったことがある、下関の「春帆楼」が有名である。
ここは日清戦争の講和会議の行われた由緒ある場所で、伊藤博文、高杉晋作、山形有朋などが頻繁に訪れていた店である。
私が九州へ仕事で出掛けた時に女房も誘って行き、帰りにこの店で「フグ」を食べた。
驚くほど高かったが店の者の言うには、『この店はフグをたべるだけでなく、ゆっくりと風呂に入ったりして1日を過ごすのです』にはまた驚いた。その後、もう一度行ったが、あの頃が私の一番羽振りが良かった時であった。

ふぐの身がたくさん入った「てっちり」
(おまけの話)
クリスマスを祝う日本人だからといって、教会に行くことは無い。
せいぜい町やネットでセールがあったり、ケーキを買って来て家で食べるくらいだ。
クリスマスの印のような、七面鳥を食べる人も少ないと思う。
そもそも七面鳥の肉はパサパサしていて、あまり美味しくない。

和紙で作ったクリスマスツリー(KITTE)
少し前は渋谷の街で、若者が「ハロウィーン」で大騒ぎしていた。
でもその若者が渋谷でクリスマスを祝って、大騒ぎしたという話は聞かない。
クリスマスとハロウィーンは、若者にとって何が違うのだろう。
私の観察では仮装するか?しないか?の違いのようだが、それならクリスマスにサンタクロースの仮装で渋谷で騒いでもいいのでは?

ハリー・ポッターのクリスマスツリー(丸ビル)
一方でクリスマスの本場のようなアメリカでは、以前は挨拶代わりに「Merry Christmas」と言っていたのが、今では言えなくなっている。その理由は「アメリカは移民の国で多宗教が混在しているので、キリスト教だけを祝うわけにはいかない」というのだそうだ。
その代りのクリスマスの挨拶言葉は「Happy Holidays」だそうだが、何か変だ。
アメリカはドンドンと、許容範囲が狭くなっているように感じる。

MERRY SNOWMAN(HERMES)
日本人は「いい加減」なのか、ハロウィーンを祝い、クリスマスを祝い、何日もしない内に神社やお寺に初詣に行く。キリスト教徒でもないのに、キリスト教会で結婚式を挙げる。
葬式になると殆どが仏教で行われる。観光に行くと、有名なお寺や神社を参拝するが、教会には行かない。
まだイスラム教の祭りは取り入れていないが、許容範囲の広い日本人のことだから、その内に「ラマダン(絶食)」を取り入れる人も出て来るかもしれない。

クリスマス・デコレーション(東京タワー)
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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misaki
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「B5(シ)の声を絶対に出すんだ!!」 カッコつけないカッコ良さ 声楽家 加藤亮子の諦めない生き方
今回の主人公は加藤亮子さん。 声楽家としての軌跡を追いました。 お話を伺ったのはグランドピアノが置かれたご自宅でした。 窓辺にはウルトラマンがいました。 棚には亀さんたち。 大きな窓からは空と海と夕陽が見えました。 「ウルトラマンは子供の時から好きで、特にウルトラセブンが好きです。お話が今見ても深いんですよ。怪獣とかも何故地球を攻撃するのか?とか。人間同士の信頼を無くせば勝手に滅んでいく…とかね。」 ふむふむ…。 なるほど…。 「亀は何かゆっくり可愛い。水の中を気持ちよさそうに泳ぐ様子、卵を産むときの様子、陸亀の孤高感、なんとも言えないのですが好きなんです。」 物語のプロローグは音大受験失敗から 小さい頃から音楽好きだった亮子さんが大好きなテレビ番組は、『ミッチと歌おう』(放送1963~1965年)でした。 これは、アメリカNBCの人気ミュージカル・バラエティー番組をNHKで放送したものです。 指揮者のミッチ・ミラー率いる26名の男性コーラスグループで、「クワイ河マーチ」や映画「史上最大の作戦」のテーマソングは日本でも大ヒットをしたので、筆者も覚えています。 そしてもう一つの番組は、『アンディウィリアムスショー NHK』。 便利な時代です。 オンデマンドで視聴することができました。 今観ると、とってもオシャレで温かくて面白くてカッコいい。 https://www.youtube.com/watch?v=mFPID7igH1c なるほど〜。 ストンと来ました。 なんとなくオシャレでカッコいい亮子さんのルーツがわかった気がしました。 さて、小学生だった亮子さんの元にある日ピアノがやってきました。 なんと、酔った勢いでお父様がピアノを買ってきたと言うのですから驚きます。 そしてお母様の勧めでピアノを習い出したのでした。 音楽家への道の第一歩でした。 ピアノ科を目指していた頃 「ピアノは高校三年生まで習っていました。音大を目指していたのですが残念ながら落ちてしまいました。ピアノは決して嫌いではなかったのですが、人前で弾くのは本当に苦手でした。本番になるとアガってしまうんです。」 通っていたピアノの先生は、受験に失敗した亮子さんに遠藤道子先生を紹介しました。 「当時、遠藤先生は札幌ショパン協会会長をなさっていて、ピアノの先生としては3本の指に入る怖い方と有名でした。だから、受験のためとは言えもう怖くて怖くて…正直嫌々でした。」 通い出してみれば案の定怒られてばかり。 「私からしたら『あの人上手いな〜』と思う人でさえ、ものすごく怒られているのですから、本当に怖い…。」 そしてとうとう。 「あなたみたいな生徒は初めてです!!!」 と、言われてしまいます。 今までの生徒さんは、直線的にどんどん上手になっていくというのに、亮子さんの場合は波がありすぎる曲線だったらしく、とうとう先生は呆れてしまったのでした。 ところがその怖い先生は、何故かとても亮子さんを可愛がってくれました。 しかも亮子さん本人にはまったく自覚がない可愛がり方。 それというのも、他の生徒さんには見せないプライベートな一面を亮子さんには見せていたのだそうです。 それは、他の仲間が「信じられない!」と驚愕するエピソードでした。 きっと、怖い先生に対してもガードや壁を作らない、お茶目で素直でカッコつけない亮子さんが愉快で面白かったのだろうと、筆者は勝手に想像しています。 「けれどもレッスンはとにかく容赦無くて…。初めから『あなたはピアノが下手!基礎からやり直し!!』と言われ、ソルフェーズの指の基礎練習の猛特訓を受けていました。ところがある日、その勉強中にピアノではなく声を褒められたのです。なんと、『あなた、声は出るわね!声楽科に転科しなさい!』と勧められてしまったのです。」 ついに、亮子さんにとっての転機がやってきました。 声楽家としての門を叩くことになったのです。 声楽科への転向 短大ではカナダ人の先生に声楽を学び卒業をした亮子さん。 なぜか小学校教員の道を選びます。 「10年間、教員として勤めました。子どもたちから『先生っていつも歌ってるね♪』と言われていました。自覚はなかったんですけどね。そんなこんなで、あんなに頑張って学んだ声楽から20年くらいブランクがあり、気づいたら40歳を過ぎていました。」 声楽から遠ざかっていた亮子さんに再びスイッチを入れたのは、娘さんのピアノの先生でした。 それはちょっぴりお調子者(失礼…)の素質が見えるエピソードでして…。 ピアノではあんなに人前でアガってしまうのに、なぜが歌ではアガらないとい亮子さん。 「ちょっと歌ってみたら?」 とさり気なく誘われてイタリア歌曲をいきなり歌ってしまいました。 「超楽しい! まだイケるかも♪」 スイッチオン! そしてこんなことも。 誘われて、小さな教会でTUBEの曲をノリノリで歌いました。 「めっちゃ楽しい!!」 そう。 久しぶりに人前で歌ったことが着火剤となってしまったのです。 これらがきっかけで声楽家としての火が再燃。 やっぱり人の前で歌うことが本当に好きなのだと実感した瞬間でした。 そうこうするうちに自宅で歌を教える様になりました。 「声楽を学んだとは言え、20年以上もブランクがある中で、ただ歌うのが好きというだけで人様に教えるのは正直不安でいっぱいでした。自分はまだまだ下手だと思っていましたし指導法にも自信がありませんでした。もう一度学び直したい!と、教室を探したのですがなかなか見つからず…。諦めかけたころ、ようやく東園己先生と出会いました。55歳になっていました。」 歌は筋肉です!! ようやく素晴らしい先生と出会い、レッスンをしていただけることになり、いよいよ初レッスンという日、なんと亮子さんは雪まだ残る早春の道で事故を起こしました。 「中山峠へ向かう途中、車がドリフトして路外に飛び出してしまったんです。ところが、なんと細い木2本に支えられ、体は無傷でした。そして偶然通りかかった方にドアを開けていただき助かったのです。木に支えられたこと、偶然通りかかった方が助けてくれたこと、体も無傷だったことなど、運の良さを感じました。」 ハプニングからスタートしたレッスンでしたが、東先生との出会いも運が良かったとしか言えないエピソードがありました。 「最初のレッスンで言われたんです。『あなたは癖で歌っている』と。おまけに『その癖を直すには2〜3年は掛かる』とも言われました。そして、歌いやすくなるための “体の使い方” も徹底的に直されました。先生のレッスンはとてもわかりやすく、学生時代には理解できなかったことが30年経ってストンと腑に落ちました。もう必死で学びました。するとその効果あってか、直すのに2〜3年はかかると言われた歌い方の癖が1年で『直った』と言われました。嬉しかったです。」 体の使い方?とキョトンと驚く筆者に。 「歌は筋肉よ!!」と答えた亮子さんは、おもむろに筋トレ式発声法の仕方の一つを教えてくれました。 今年でレッスンに通い始めて14年になりますが、自分の発声に少しずつ自信が持てる様になった10年目の頃、亮子さんはある目標設定をしました。 それは〜。 「トスカの『歌に生き恋に生き』を歌いたい!!」 でした。 それにはB5(シ)の音が出せる様にならなければいけませんでした。 そしてそれは無謀とも言える挑戦でした。 ところが奇跡は起きました。 65歳になった亮子さんに奇跡の日がやってきました。 B5(シ)の音が出たのです。 それまで何度も口にしていた「私って怠け者だから。お尻に火がつかないとやらないの」という台詞の意味がわかりました。 亀さんのようにのんびりと構えながら。 本当の本気が出るまで力をためるタイプ。 まるでウルトラセブンがジュワッと変身する様に。 力むことなく。 カッコよく。 おしゃれ。 だから女性から見てもちろん、男性から見てもカッコよく映るのだと思います。 最後に次の目標を伺ってみました。 「二つあります。一つは死ぬまでにオペラのアリアをできるだけたくさん歌いたいということです。もう一つは完璧だとは思わないで常に高みを目指すということ。どちらも絶対に諦めたくないです。こんなもんだと思ったらだめだと思っているんです。」 いざという時にウルトラセブンになれるように。 亀の様に辛抱強く。 梅番茶で喉ケアをしながら。 今日も亮子さんは歌っています。 「声をかけていただければ、たとえ、たった一人のためでも、どこにでも行きますよ〜!」 声楽家 加藤亮子 情報 洞爺湖芸術館FB https://www.facebook.com/toyakomuseumofart 加藤亮子 FB https://www.facebook.com/ryoko.kato.9699 Instagram
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Rietty
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