私が時々、このブログで「ネタに困っている」と書くので、気の毒に思ったロサンゼルスに住む親戚のIさんから次のようなメールが届いた。

『司馬遼太郎の「街道をゆく」という本に東京の界隈についてのエッセイがあります。私が読んだのは、本郷界隈で、これが面白ろかった。森鴎外や夏目漱石も住んでいた。また根津神社あたりが出てきて、懐かし度かなり高くなりました。ブログネタの参考までに』。

私は「街道を行く」は読んだことがある。
でも読んだ端から忘れるので、どんなことが書かれていたか分からないので図書館で本を借りて来た。


 「街道をゆく」(本郷界隈)


司馬遼太郎は「街道をゆく」を43巻も書いている。
これは1971年から1996年まで25年間にわたり、週刊朝日に連載された紀行文である。
その中の「本郷界隈」をIさんは勧めて来たのだった。
今までもこのブログで本郷界隈は何回か取り上げているが、今回は司馬遼太郎の足跡を訪ねてみようと思う。


「麟祥院」の入口には春日局の銅像が立っている。


先ずは大江戸線「上野御徒町駅」からも行き易いところからと思い、「麟祥院」を取り上げる。「街道をゆく」では「からたち寺」として書かれているのが、徳川家光の乳母であった春日局の菩提寺の「麟祥院」である。

この本によると『からたちは枳殻という。垣のことを枳殻垣といった。からたちはみかんに似ている。木は低い。ながく鋭いとげがあって、それが用心になったのか、寺や大屋敷の生垣に使われてきた』と書いてある。
私は以前にこの寺を訪れたことがあるが、「からたち」のことは知らなかった。


 臨済宗妙心寺派天澤山「麟祥院」

そこで「からたちの垣根」を見ようと思い、もう一度、訪ねることにした。
ところがどこを探しても、「からたち」の影すら見えない。スマホで確認したら、次のように出ていた。

『当院は地域の四囲を「カラタチ」の生垣を廻らしていたことから、「からたち寺」と言われて来ましたが、明治20年頃より施行された度々の道路拡張などにより、カラタチの生垣はなくなりました』。ガッカリだった。


入口を入った左側にたくさんのお地蔵さまが並んでいる。


このお墓には他には無い特徴がある。それは「穴あき墓石」である。
お寺のホームページによると『春日局の墓石の四方及び台石には、夫々穴が穿ってあります。これは「死して後も天下の政道を見守り之を直していかれるよう黄泉から見通せる墓を作って欲しい」という春日局の遺言に衆議して建立したものです。春日局の強運と人徳、また墓石に穴が通っていることから、「削る」とか「願いが通る」と江戸時代より巷間に伝えられて密かに参詣する人が多くありました』と書かれている。


 春日局の墓所


お寺の門をくぐり墓地の方に進むと、「春日局墓所 案内図」という看板が出ている。
それに従って進むと、奥まった場所に春日局のお墓があった。この墓地では立派な方だが、大きくはない。

目に付くのは細長い丸形の墓石と台座に、丸い穴が開いているいることだ。
中には入れないので、扉の外でお参りをして記念撮影をしてから戻って行った。
暑い日であったせいか、ここでも私以外に誰もいなかった。


 「徳川家」の家紋と「浅葉家」の家紋の付いたお墓


ただ残念なことに、このお寺のホームページには漢字の誤変換が多くある。
「腎徳」という言葉があるのかと思い調べたが無い。これは「人徳」であろう。
「港間」も変だ。これは「巷間」であろう。

「時域」という単語があったので、これも調べてみた。やはり間違いで「地域」であろう。折角の高名なお寺のホームページがこれでは困る。
ホームページに「問い合わせ」があれば知らせたかったが、無かったのでそのままにした。


 珍しい「穴あき墓石」


(おまけの話)
「麟祥院」を出て上野方面に数分歩くと、右側に「湯島天神」がある。
「街道をゆく」では『本郷台の南東端にあって、不忍池低地に落ち込んでいる。台上に湯島天神(湯島神社)がある。(ひょっとして城あとではないか)と思ったりする」とある。

ここではカッコ付きで「湯島神社」とも書いている。そこで疑問が沸いた。
「天神」と「神社」はどう違うのか? 時には「湯島天満宮」とも言う。


  これを見ると「湯島神社」が正式名らしい。


そこでいつものようにネットで調べてみた。
「天満宮」と付く神社は「菅原道真」を祭神とする神社のことである。
「天神さま」とは、同じく「菅原道真」のことである。だから天満宮と天神様は同じである。

だから「湯島天神」でも、「湯島天満宮」でも「湯島神社」でもどれでも良いようだが、正式には「湯島神社」のようだ。
因みに「神宮」と名の付く神社は「天皇家」に関係がある。


「学問の神様」になにを願うのか若い女性2人。


ところで全国の「天神さま」に行くと、どこでも境内に梅が植えられている。
「これはなぜなんだろう?」と思い、また調べてみた。

『種を割ると「仁」が入っており、それは「天神様」と呼ばれています。これは天神様として祀られている菅原道真が梅干を好んだことに関係しており、菅原道真の死後に庶民が梅をありがたがるようになったことから来ている』とあったが、本当かなー? 
湯島天神の梅まつりは盛大で、私は過去に見に来たことがある。


  その後、2人は「おみくじ」も引いていた。


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

コメント

  1. Shinji
    Shinji
    返信

    石が多いなーー墓地の写真を見て、の第一印象です。でも、当たり前か。
    鉄とガラス、木造やモルタルの市街地の景色と一変しての墓地界隈は、植樹と石のためか、ひんやりとした感じで夏の散策には適しているのでは?。

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