ブログ閉鎖中の話題(2017年10月17日)

「小人閑居して不善をなす」という言葉がある。
なんだか自分のことを言われているようで、この言葉はなるべく見たくない。
それなのに地下鉄で見た「池上線1日乗り放題」の広告に釣られてしまい、10月9日に池上線に乗りに行ってしまった。


東急池上線「1日フリー乗車券」、「池上線路線図」 10月9日(トーキュー)のみ有効。



広告によると『10月9日に東京急行電鉄池上線全駅で1日フリー乗車券を配布する。
開通90周年を記念したもので、当日は池上線全駅で好きなだけ無料で乗り放題となる』とあり、更に『池上線は五反田駅と蒲田駅とを結ぶ路線。池上線沿線にはいわゆる観光名所はほとんどないが・・・・』と正直である。


池上線「五反田駅」の改札口。



出発駅である東急池上線の五反田駅まで行くには、「都バスで東銀座に出て、そこから都営地下鉄・浅草線で五反田駅までシルバーパスで行けるからお金は掛からない。
池上線は全線の距離が10.9キロ 、駅の数は15駅 、所要時間は23分で終点まで行っても運賃は200円だから、本当は無料だからといってわざわざ乗りに行くほどの金額ではない。


池上線終点の「蒲田駅」のホーム。



午前11時30分に池上線の五反田駅に行って驚いた。
まともに歩けないほどの人の群れで、改札口でフリー乗車券をもらったのはいいが、
その先のホームまでノロノロと進む。
ホームは人で溢れていて、駅長らしき男が駅員に「危険な状態になって来た。改札口を閉めろ!」と叫んでいる。


池上線「蒲田駅」の改札口。



五反田は始発の駅で、蒲田方面から入って来た折り返し電車はホームで待っている
乗客で溢れていて、降りる乗客の隙間も無いほどだ。
たった200円のフリー乗車券をもらう為に、人というのはこんなに来るものなのか?

東急電鉄は予想外のことが起きてしまい、戸惑っているに違いない。
やっと乗り込んだ電車は時代遅れの古い車両で、3両編成だった。
普段はあまり乗る人もいないのだろうと想像がつく。


蒲田駅前のモニュメント。 初めて行った蒲田は地方都市という雰囲気だった。



先ずは終点の蒲田駅まで行ってしまい、そこから戻りながら池上駅と洗足駅に降りる作戦を立てた。ところが途中駅で降りる乗客がいても乗って来る乗客の方が数が多く、遠い昔の中央線の朝の通勤ラッシュを思い出した。
終点の蒲田駅まで大混乱の中で電車は進み、蒲田駅で外に出て疲れ果ててランチを食べる。帰りもまたこの混んだ電車に乗るのかと思うと、全く嫌になったが我慢して乗る。


「池上駅」で降りると池上本門寺がある。



帰りは池上駅で降りて有名な池上本門寺に向かったが、参道には仲見世も無く寂しい。
次に洗足池駅で降りて洗足池を見たが、大した池じゃなかった。
今回の池上線のイベントに参加して分かったことがある。
なにしろ赤ん坊から杖をついた年寄りまで年齢を問わずいるのだから、「日本人はイベントが大好きなんだなー」。

【池上本願寺】・ ・・・・http://honmonji.jp/outline/access.html


「洗足池駅」で降りると目の前が池だった。日蓮上人がこの池で足を洗ったと伝えられている。



(おまけの話)
私は「1942年に東京都大田区雪ヶ谷で生まれた」と母が言っていたから、そうなのだろう。幼稚園は小金井の教会幼稚園に行ったので、少なくとも4歳前までは雪ヶ谷にいたのだろう。徘徊好きな私でも、今までに一度も雪ヶ谷という町に行ったことがなかった。
「いつかは行かねば・・・」とは思っていた。


「雪が谷大塚駅」の駅名表示板。



ところが思いがけず、今回の池上線の旅で路線図を見たら、「雪が谷大塚駅」という場所があった。多分、市町村合併の影響で、雪ヶ谷町と大塚町が一緒になったのだろう。
そこで何が何でもと思い、雪が谷大塚駅で下車してみた。
雪が谷大塚町は大田区の北部に位置して、多摩川までは1キロくらいの場所にある。


池上線「雪が谷大塚駅」(五反田行き)



「雪が谷大塚駅」でかなりの人数の乗客が降りたので、「なかなかの町かな?」と想像した。ところが降りたのはフリー乗車券の乗客ばかりで、駅前商店街は寂しかった。
普段はシャッター通りなのだろと思う。駅前に必ずあるマクドナルドやドトールコーヒーも無い。

「こんなところで私は生まれたんだー」と思い、今の住まいとの落差に愕然とする。
父が頑張り、私が頑張り、「雪ヶ谷から小金井、そして勝どき」になったのである。


雪が谷の駅前商店街は寂しい。 歩いているのは、フリー乗車券で来た人ばかりだ。


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

コメント

  1. Shinji
    Shinji
    返信

    自分の生誕地を訪ねるのは感慨深いでしょう。私は大阪で生まれたそうですが、一度も生誕地がここ!という所に行ったことがありません。
    ずっと東京で育ちましたが、池上線とは無縁の生活でしたので、興味深いです。

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