新橋駅前を通ったら、『鉄道開通150年』という表示が出ていた。
日本初の鉄道は1872年10月14日に「新橋駅~横浜駅」に開通したそうだ。
新橋駅には「汽笛一声新橋を・・・」で有名な鉄道唱歌の石碑が立っている。

鉄道唱歌をネットで調べたら歌詞が11番まである。しかもこれは「東京~国府津」までだけで、この他に「国府津~沼津」、「沼津~浜松」、「浜松~米原」、「米原~京都」、「京都~神戸」までの歌もある。


新橋駅のホームから、「鉄道開業150年」の会場を見下す


鉄道唱歌の「東京~横浜】の歌詞の4小節だけを書き出してみた。

【汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として 右は高輪泉岳寺 四十七士の墓どころ 雪は消えても消えのこる 名は千載の後までも 窓より近く品川の 台場も見えて波白く 海のあなたにうすがすむ 山は上総か房州か 梅に名をえし大森を すぐれば早も川崎の 大師河原は程ちかし 急げや電気の道すぐに】

この歌詞を見ていると面白い。 まるで観光案内の歌である。


駅名の表示も「鉄道開業150年」になった。


今回の「鉄道開通150年」ではJRは色々な企画をしている。
ほとんどの企画は商売優先で、その中で私としては驚くような企画があった。
それは記念の「JR全駅入場券セット」で、なんと1セットが70万円である。

それを250セット売り出したが、どんな人が欲しがるのだろう?
駅の数は4368駅であるが、昔の硬い切符だから相当に重い物だろう。
買った人がすぐに「メルカリ」で、売りに出しそうだなー。


 新橋駅前に設置されている「蒸気機関車」


「鉄道開業150年」の記念式典が、新橋駅前の「SL広場」で行われると知った。
10月14日の午前11時から始まるので、10時22分発の東京BRTに乗って新橋に向かった。
新橋で降りたら、小雨が降っていた。傘を持って来るのを忘れた。

でも仕方ないので、雨に濡れながら会場へ向かった。
家を出る時に女房が言ったのを思い出した。『傘は持たないの?』・と。


 開会の挨拶をする新橋駅の駅長


会場では式典の準備が行なわれていて、上手い具合に一番前に行けた。
でも雨が降って来ていて、隣のオヤジが傘を差した。
その傘から私の肩に雫が落ちる。もめても嫌なので、黙っていた。

11時丁度に式典が始まったら、雨が止んだ。
主催者の商業組合の組合長の挨拶、港区長の挨拶と続き、新橋駅長の挨拶になった。
みんな型通りの挨拶で面白くないので、場所を離れた。


 アチコチにポスターが貼られている。


広場には鉄道と関係のある会社がテントを貼って、商品の販売を行っている。
港区と関係があるのか、遠くの県からも出品があった。
テレビ局が来ている人に、インタビューをしている。

私もインタビューをされそうになったので、素早く逃げた。
どうせ採用されないか、編集されてしまうのを私は知っているからである。
式典は続いていたが、関係者以外には式典ほどつまらないものはない。


新橋駅にある「トリック・アート」


出展社のブースを見て廻ったが、買いたいものが無かった。
でも折角だから、「電車パン」というパンに焼き印を押したものを買った。

私はローカル線が好きだが、そんな鉄道はほとんどが単線で赤字である。
前日のニュースで「只見線が全線開通」と報じていた。
出来たらその内に乗りに行きたいが、まだその元気が残っているか?


新橋の会場で買った「電車パン」(400円)


(おまけの話)
私は鉄道ファンというわけではないが、割合に鉄道は好きである。
外国に行った時も、チャンスがあれば鉄道に乗った。
アメリカではよく事故を起こす「Amtrak(アムトラック)」、通勤で毎日乗ったニューヨークの地下鉄(Subway)、イギリスの地下鉄(TUBE)、パリの地下鉄、ニースからモナコへのフランス国鉄、フランクフルトの列車、

ウィーンの路面電車、ウィーンからブタペスト迄の国際列車、スイスの山岳鉄道、香港の地下鉄、ノルウェーの鉄道、シドニーの近郊電車、メルボルンの路面電車、韓国の長距離列車と地下鉄、バンコクの高架鉄道、台湾の路面電車と新幹線などに乗ったことがある。他にも忘れているが、もう少しあったと思う。


 国立公文書館に「鉄道開業150年展」を見に行った。(無料)


そんな中で思い出深いのは、33年も前の「スイスの山岳鉄道」である。
「シャトーデー」という山の中の小さな村に、子供の留学先の候補の学校を探しに行った。学校の帰りに鉄道の駅で空港までの切符を買ったら、駅員が私に聞いた。
『帰国するのか? 航空会社はどこか? 何便か?』。

その時に私は『随分と立ち入ったことを聞く男だな』と思った。
ところが驚いた。荷物を預けたら引換券を渡され、『これであなた達は成田空港で荷物を受け取れる』と言ったのである。さすがに観光立国の国はやることが凄いと感じた経験だった。


 1853年にペリーが来航した時のお土産の「蒸気機関車」の図。    


ベルリンの壁が崩壊する前の、35年も前の時代の話である。
日本へ短期技術習得の為に来て我が家にホームステイしたオランダ人のTさんが、私達の為に独自のヨーロッパの旅を企画してくれた。彼の企画は「ウィーン3泊、ブタペスト3泊」というものだった。ウィーンから乗った国際列車は、「バナナとコーヒー」を持った担ぎ屋のオバサン達がいっぱいいた。

ハンガリーとの国境で停車した列車に国境警備隊の男達が乗って来て、パスポートのチェックがあった。その時、理由は分からないが、何人かの男女が列車から降ろされていた。なにも無い草原の真っただ中で降ろされた彼らはその後、どうなったのだろう?


日本で設計した貨車の図面


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

コメント

  1. Shinji
    Shinji
    返信

    列車にまつわる思い出話、いろいろありますね。特に国境を超える長距離列車には風情もあるし、ドラマもありそうです。うってかわっては街の路面電車、土地の人々の暮らしが手に取るようにわかっておもしろいです。イタリアでバスに乗っていた時、二人のおばさんが喧嘩しているのかと思う程大声でしゃべっていたので、何事かと思ったら、全くとるに足らぬ些細なことで、(誰かに電話したが連絡が取れなかった、など)喧嘩ではありませんでした。

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