心の伊達市民 第一号

台湾紀行(9)・・・台中でフリータイム


ブログ閉鎖中の話題(2017年11月24日)

この日は古さんと頼さん兄弟2人は用事があるとのことで、また私と一緒に日本から来た頼俊蒼も2日前に帰国した。私もたまには1人になりたいので、この日はフリータイムとすることになった。 しかしいつものように午前5時には起きてしまう。
テレビを見ながら、午前6時30分に朝食のレストランが開くのを待つ。


二両編成用のバス停のデザインはモダンである。ブルーの二両編成バスが停まっている。



食後にホテルのフロントに行き、市バスの乗り方を教えてもらう。
私は台中市内でよく見掛ける、2両編成のバスに是非とも乗ってみたかったからだ。
バスに乗るにはバスカードを買う必要がある。日本のPASMOやSUICAと同じであるが、日本と違い現金で乗ることは出来ない。  


第二市場に行ってみた。 日本時代も市場で、100年経った今もその建物を使っている。



台湾ならどこにでもあるセブンイレブンで100元でカードを買い、同時に100元くらいをチャージしておく。バスに乗る時に乗車口でセンサーにタッチし、降りる時にまたタッチする。ところが嬉しいことに、台中市では乗車距離が10キロまでは誰でも無料となる。

だから倹約したい人は10キロ未満で下車して、次のバスに乗る。これを繰り返せば、どこまでも無料で行けるのである。


市場内は食堂になっていた。



近くのセブンイレブンでバスカードを買ってから、ガイドブックにあった第2市場へウォーキングで行く。市場といっても暗くて、野菜・果物・肉・魚などは商っていなかった。庶民的な食堂が何軒かあるだけで、市場の形をしているだけだった。

幟が立っていて、「第2市場100周年」と書いてあった。
壁には昔の写真が貼ってあり、当時の賑わいが偲ばれた。


二両連結バスの最後部の座席から前方を見ると、運転席は遠い。



次はバスである。台中駅まで歩き、2両連結のバスを探す。1両のバスが多いが、そのバスが日本のバスの1.5倍くらいの長さがある。2両連結となると、とんでもなく長い。
バスの正面には大きくデジタル表示で、行き先とバス番号が出ている。
それを頼りにバス停を探す。あまりに多くのバス停があり、外国人には分からない。


台中市のメイン道路は12車線。 バスカード(EASY CARD) 日本時代に台中市内から台中港に物資を運ぶために作られた。



バス待ちの若い女性に日本語で聞いたが、日本語は通じない。英語で聞いたが駄目だった。乗車するバスの番号を紙に書いて示したら、バス停まで連れて行ってくれた。
台湾人も親切である。

バスが来たので一番後ろの席に座る。そこから一番前を見ると、かなり遠くに見える。特に目的地は無いので、東海大学というバス停で降りた。やることもないので、また逆方向のバスに乗り、新光三越前で降りた。


バスは中国製で音はうるさいし、乗り心地が悪い(1両バスで)



台中市には日本の三越とSOGOデパートがある。
三越に入ると地下1階にフードコートがあったので、火鍋屋のサンプルを眺めていた。
すると店のオバサンが盛んに勧める鍋があった。仕方ないので、それを注文しお金を払う。

すると赤い丸い呼び出し用の電子器具を渡された。火鍋が出来たら、それがブルルッと震えた。火鍋を取りに行ってテーブルで食べたら、美味しかった。


三越デパートのライオンが変だ。      注文の料理が出来ると、これが震える。



(おまけの話)
この日は台湾での最後の夕食となる。
そこで私はお世話になった古さんと頼兄弟2人を夕食に招待した。店は頼さんに任せた。

午後6時に古さんがホテルに迎えに来てくれた。そして向かった先は日本料理店だった。構えも立派で、内装も和風である。値段も高そうである。
私は客家人ではないので、ケチらないことにした。


3人を招待した日本料理店。



出て来た料理は和食ではなく、和風の中華料理だった。
なんとも変な料理で、煮魚も出て来るし、サツマイモの葉の炒め物も出て来る。
エビとアスパラの炒め物が美味しかった。最後にお汁粉が出た。
これで1人1100元(4400円)は高いのか安いのか分からないが、彼らは「美味しい」
と言っていた。


エビとアスパラの炒め物。           細いビーフンも美味しかった。



最後に総括として、3人に日本に付いて聞いてみた。
すると「日本時代に教育を受けた人は親日である。蒋介石の国民党時代に教育を受けた50~70歳くらいの外省人は反日が多い。若い世代はアニメや日本のファッション、音楽が好きで親日である。

台湾では歴史教育は大陸の歴史を習い、台湾の歴史を習わない。だから若者はネットで台湾の歴史を勉強している。でも、これから先の台湾の行方が心配だ」。
彼らと話していると、国際感覚が日本人と違う。日本人はノー天気だなーと思う。


最後に登場したお世話になった人達。左から頼家の長男(子文)次男(伸峰)、私、 カメラマン(古亭河さん)。右は先に日本へ戻った俊蒼さん。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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