ブログ閉鎖中の話題(2017年11月27日)

台湾最終日も朝は5時に起きた。
この日も台北行きの新幹線の時間まで、古さんが私をガイドしてくれることになっている。
午前8時30分に、古さんが迎えに来てくれる前にホテルをチェックアウトする。
滞在中は洗濯物をホテルにお願いしていたが、パンツもハンカチも含めて610元であった。
日本のホテルに比べたら、はるかに安い。


客家人の村「勝興村」入口。


この日は台中市内から車で30分ほどのところにある、勝興という村に行った。
この村は客家(はっか)の人が多く住んでいるが、以前は日本人も多く住んでいた。
この村を見に行ったのは、鉄道に関する残骸があるからだ。
日本統治時代に日本は南は高雄から北は台北まで、300キロの鉄道を敷いた。


勝興駅には写真を撮りに来ている人がいた。        朽ちかけた信号機  


その名残がこの村にあるのだ。
先ず廃線となってしまっているが、駅舎と線路を見に行く。
「勝興車站」である。台湾では「車站」と書いて「駅」を意味する。
駅舎は一部を除き復元されたものだったが、ホームと線路は当時のものだった。
台湾人の団体さんが駅の前で記念写真を撮っているが、ガイドはどのように説明しているのか知りたかった。


勝興駅の駅長公舎。


駅の向かい側には駅長の公舎が残されている。
今回の旅で台湾が一生懸命に日本の遺産を残そうとしているのを感じて、嬉しかった。
次に15分ほど車で走った場所に高架橋の遺構が残っていて、それが観光名所になっている。
巨大なレンガ造りの橋脚が残っているが、見上げる高さは圧巻である。


大地震で壊れた巨大な鉄道の橋脚(台北~高尾)


この鉄橋は1935年の台湾中部地震で崩壊した。
その後、隣に鉄橋を建設したが、現在はそれも使用されなくなった。
当時の日本政府の台湾への投資は巨大な額だったことが想像できる。
ここにも台湾の団体観光客が溢れていた。


レンガの鉄道橋が地震で壊れて、隣に鉄橋を作った。 これも現在は使われていない。


見物を終り、近くの勝興の町に出る。
この町は木彫りの彫刻で有名で、日本から欄間の注文もあるようだ。
古さんは1軒の大きな彫刻店に入る。そして店員に何か言う。すると上の階に上がるように言われた。
そこは店のオナーの社長室で、古さんの親しい友人(呉さん)がいた。
この人も日本語が出来る。


呉さん経営の彫刻品店(カニの彫刻は良く出来ているが欲しくない)


呉さんは日本が好きで、日本には50回以上も来ているそうだ。
大変なグルメで、日本の有名料理店の話で盛り上がる。
店から5分ほどのところに、お洒落な客家料理店も経営しているので、そこでランチになる。
古さんは「客家人はケチだが、本当はかなり金持ちなんだよ」と言っていたが、その古さんも客家人なのである。
でも古さんは客家人らしくなく、ケチじゃない。


呉さんの経営する客家料理店。(あまり美味しくない)


(おまけの話)
台湾最終日となった。
荷物が多いので古さんに台中駅まで送ってもらい、新幹線の乗車券を買う。
台湾の新幹線は国営ではなく、株式を公開している私鉄である彼はこの鉄道会社の会員で行列に並ばないでも乗車券を買えるので、彼が会員用の窓口で私のためにチケットを買ってくれた。
そして私は乗車券とビジネス席券を合わせて、1125元を古さんに支払った。


松山空港までは台北駅から地下鉄で1回乗り換えで25元(100円)


改札口で古さんと別れて2番乗り場に行くと、既に列車がホームに入っていて駅員が私に「早く乗れ」という合図をしている。慌てて乗って、指定席の6号車まで重い荷物を引張って行き、指定席に行ったら先客がいた。
「エー!」と思い、乗車券を確認したら、私の乗るのは次の列車だった。


新幹線「台中~台北の乗車券」。 グリーン車はビジネスクラスを表す「商務?」と書いてある。「14:00」の文字の下。


5号車に検札の係員がいたのを思い出し彼女に乗車券を見せたら、5号車の普通車の席に案内された。
乗車券は700元だが、65歳以上は外国人でも半額の350元(1400円)になる。
だから私のビジネスクラス券の775元(3100円)は全く無駄になってしまった。
腹が立ったが、どうしようもない。
この話は帰ってからも、女房には話していない。バカにされるからだ。


3時間も前から中華航空のカウンター前で待っていたが、なかなか開かない。 1時間前に液晶掲示板を確認したら、この場所ではなくJALカウンターだった。 焦った。バカみたい。


(天候・・・曇り 気温・・・台中/28度、 台北/23度)


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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