
心の伊達市民 第一号
【播磨屋本店の街宣車】
虎ノ門に「おかき」の製造直売を行っている、「播磨屋本店」という会社がある。
私は何度か、マンションの知り合いのバアチャンに連れられて、「おかき」を買いに行ったことがある。公式HPを開くとビックリする。真っ赤な大きな文字で「日本を救い、世界を救う」と書いてある。
その下に「覚者の神知と天皇の威徳合体すれば・・・」と続き、商品のネット販売用のサイトは下の方にある。この会社は大きなボルボのトラックを10台、所有していて、街宣活動をしていたが、2017年末で活動を休止した。
4月中旬に私が銀座に行ったら、久し振りにその街宣車を銀座で見た。
どうやら活動を再開したらしいが、「商売より街宣」という珍しい会社だ。
【迷惑な黄砂】
4月12日に東京に「黄砂」が襲来した。朝起きて窓の外を見たら、遠くの景色が霞んでいた。テレビニュースでも、「高齢者は出掛けない方が良い」と伝えていた。
この黄砂は中国から飛んで来ているが、全く迷惑な国だ。
共産党が被害を受けている近隣諸国のことも考えて、緑化を進めれば解決するのでは?
先例として戦前の台湾で荒れ地を、台湾を代表する大穀倉地帯に変えた日本人技師「八田與一」がいる。今でも銅像が立ち、教科書にも載っている。
私は台湾人に案内してもらい、そこに行ったことがある。
【ツツジの花】
銀座4丁目にある真夏には「ミストを噴射する」小さな公園に、「ツツジ」の花が満開であった。「ツツジ」と「サツキ」は似ているので、違いをネットで調べてみた。
すると「おしべの数はツツジは5本以上、サツキは5本。花の咲き方は、ツツジが一斉に咲くのに対して、サツキはパラパラと咲く。
葉の大きさはツツジが4~5センチ、サツキが2~2.5センチ」だそうだ。
それから判断して、この花はおしべが5本、葉の大きさが5センチ以上はあるので、「ツツジ」に間違いない。
【マンション建設中】
私の住むマンションの南側に、またタワーマンションが建設中である。
中央区はどこまで人口が増えるのだろうと思い、データを調べてみた。
私がここへ越して来た時の中央区の人口は、「12万6496人」だった。
それが現在は「17万4074人」となっている。
都内23区の人口動態を見ると、人口増加率は1位、出生率も1位、高齢化率は最低となっていた。道理で近所では若者を多く見掛けるはずだ。
【名犬 チロリ】
渋谷の「忠犬 ハチ公」ばかりが有名になっているが、中央区にはハチ公に負けない名犬「チロリ」がいた。
その銅像が築地川銀座公園の入口にあるが、あまり注目を集めていないのが残念だ。
説明文によると『チロリは捨て犬で子犬たちと一緒に殺生処分になるところを助けられ、後にセラピードッグの代表として全国で活躍した。そして名誉セラピードッグ認定第一号となったのである。この1頭の捨て犬の社会福祉への功績は犬史に残ると共に日本の動物愛護法に多大な影響を与えた』と書いてある。
【蝶々】
近くで水鳥やカラスはよく見掛けるが、蝶々はなかなか見られない。
浜離宮恩賜庭園に菜の花が咲いている時には、見ることが出来る。
以前の住まいでは、庭に蝶々が来て舞っていたのが懐かしく思い出される。
銀座4丁目でツツジを見ていた時に、花とは関係ない木の枝に蝶々が止まっていた。
カメラを近付けても、逃げない。弱っているのかもしれない。
「Google lens」で調べたら、「アサギマダラ蝶」と出ていたが、私には分からない。
【歌舞伎4月公演】
銀座に行く時は、必ず歌舞伎座の前を通る。
私は70歳以上なので、中央区のご招待で3年に一度は歌舞伎を見させてもらっている。
ある日のことである、歌舞伎を見るのが好きな女房が憤慨していた。
『予約をしてある夜の部の「与話情浮名横櫛」に出演する市川左団次が、体調不良で代役となるとニュースで見た。
彼を見たいから高いお金を出したのに、代役じゃ嫌だ!』
体調不良じゃ仕方ないとは思うが、1万6000円もするのだから値引きをすべきでは?
その後、体調が戻り、女房が行った時は市川左団次が好演したのでヤレヤレ。
(おまけの話)【東京駅丸の内】
マンション前の都バスは2路線がある。
1つは「亀戸駅」行きで、所要時間は50分である。
もう1つは私がよく利用する「東京駅丸の内南口」行きで、所要時間は22分である。
皇居に行ったり、誰かを迎えに行く時などなにかと東京駅が多い。
各国大使に日本に着任すると、必ず皇居に伺い天皇陛下の前で信任状の捧呈式を行う。
この時に新任大使を東京駅に儀装場所で迎えに行くのである。
以前と違い近年はその日の予告を出さなくなったので、偶然が重ならないと見られなくなってしまった。
警備上の問題なのかもしれない。安倍元総理の暗殺事件もあり、日本も「安全な国」ではなくなってしまったようだ。令和4年は37回も行ったが、今年の発表は無い。
東京駅から家に帰る時は、駅の向かい側のバス停から乗車する。
始発なので、必ず座れるのが助かる。
バス停の後ろに、両手を広げて立つ男性の銅像がある。
いつも気にしていないのだが、このブログを書くために調べてみた。
すると、この銅像は「愛」というタイトルで、『中国、フィリピン、それに東京・巣鴨などで戦争犯罪に関わったとして捕らえられ、亡くなった人達の遺族や関係者が、平和を願って昭和30年に建てた』と分かった。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
詳しくはこちらハッシュタグ
月別アーカイブ
「むしゃなび」はこちらの皆様に支援して頂いています
人気の記事
-
04/18(木) 写真で見る東京(32)・・・浜離宮の御衣黄
-
04/04(金) 写真で見る東京(86)・・・春のうららの隅田川
-
04/03(木) 「ニコン ミュージアム」に行く
-
04/02(水) 写真で見る東京(85)・・・春のうららの「豊洲ぐるり公園」

イベント
「観光・体験」カテゴリーのおすすめ記事
-
2025/03/01(土) ウィリアム王子が来日
-
2024/12/05(木) 親友と出雲大社と(8)
kayaker
0
-
2024/11/14(木) 写真で見る東京(62)巣鴨菊まつり
-
2025/02/11(火) 結果が見えてきた・・・。
-
2024/12/24(火) 小さな旅(1)・・・京橋
心の伊達市民 第一号
0
1
観光・体験に関する
特集記事
-
10/08(日) ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
Rietty
0
-
-
Shinji