ある時、このブログに一生懸命にコメントを書いてくれる「Shinjiさん」が、次のようなコメントを書いていた。『山の手育ちの人には、東京下町は意外と知らないことが多いところです。下町情報をこれからもよろしく』。

ある時、新聞か雑誌か忘れたが、「旧大石家」という記事が載っていた。
「旧大石家」などとなると下町らしくないと感じたが、場所が江東区東砂となれば、下町の真っただ中である。
そこで今回はリクエストに応えて、「下町散策」に出掛けて行った話である。


 「旧大石家」(江東区)



門前仲町から都バスの「門21」に乗り、「亀高橋」で降りればすぐというところまでは調べて来た。
バス停に行ったら、「門21」の表示が無い。バスが来たので、運転手に聞いてみた。
彼は『分からない。向こうじゃないか』と指差しをした。そこへ行っても「門21」は無い。

近くのバス停表示板を見たら、「亀戸駅」行きのバス停と一緒だった。
そこなら私が深川地蔵尊に行く時に、下りるバス停だった。
やっとの思いでバス停に行ったら、バスは出たばかりで次のバスは30分も先だった。
「迷わないければ、すぐバスに乗れたのにー!」と腹が立った。  


 旧大石家の横



いつものように、行く前に「大石家」に付いて調べてみた。
『旧大石家住宅は江戸時代に建てられた江東区内最古の民家です。安政の大地震でも倒れなかったという言い伝えや、信仰の証として残された150枚以上もの成田山のお札は、築後150年以上もの長い時間が経過したことを物語っています』

『その間、安政の大地震のみならず、関東大震災、戦災、あるいは繰り返し発生した水害など、数多くの災害をくぐりぬけ、大石家の暮らしを支えてきました』


 囲炉裏のある居間(リビング)



『広く造られた屋根裏は、水害時の緊急避難場所で、水が引くまでの数日間、家族が生活する場として使われました。建築当初の姿を現在に伝える旧大石家住宅は、平成6年3月に江東区の指定有形文化財となり、解体調査を経て、平成8年、仙台堀川公園内ふれあいの森に移築復元されました』

『また大石家では大正期以降、砂村前面に広がる遠浅の海で海苔養殖を手がけていました。養殖は、漁業権の放棄により、昭和30年代中ころで終わりましたが、実際に使用された道具が残されており、この辺りに多く見られた海苔生産者の暮らしぶりの一端を伝えています』。


 居間から奥の座敷を見る。



都バスを「高亀橋」という変な名前のバス停で降りた。
「仙台堀川公園」の中にあると調べて来たら、目の前にその公園があった。
この公園は昔は仙台堀川という名の川だったのだろう。細長い公園を歩いて行ったが、どこまで行ってもそれらしき建物は無い。

散歩をしていたオヤジさんに聞いてみたら、全く反対の方向だった。
ガッカリしながらもと来た道を戻り、大きな道路を渡り、しばらく行くとそれらしき建物が見えた。


 座敷には「5月飾り」が飾られていた。



閉まりかかっている門を開けて中に入ると、戸締りをしている最中の2人の高齢ボランティアの人が窓から『なにか御用ですか?』と聞いて来た。私は『旧大石家を見たいので、中央区から来た』と言った。
すると『ここは週末だけの公開で、平日は公開していない』と言われた。

私が『えー!ホームページに書いてない』と言うと、『では特別にどうぞ』ということになり中に入れてくれた。
ボランティアの人は、この日は5月5日の飾り付けの為に来ていたそうだ。
あと5分、私が来るのが遅かったら、彼らは戸締りをして帰ってしまっていた。


 懐かしい「柱時計」と七福神



「旧大石家」というからには、私はきっと豪農とか豪商だろうと思って来た。
ところが家は小さいし、中も小さな部屋が4部屋で、今で言うと「3LDK」である。
江東区は今でも海抜ゼロメートルであるから、昔はこの辺りは海で、大石家は「海苔養殖」が仕事だったようだ。

土間から家に上がると、そこには囲炉裏が切ってあった。
全体に薄暗く、とても豊かさは感じられなかった。
ボランティアの2人は留守番が仕事らしく、この家の詳しい説明は出来なかった。


土間は台所も兼ねている。



(おまけの話)
旧大石家を出る時に、ボランティアの人に「砂町銀座商店街は近いですか?」と聞いてみた。すると『健脚なら、ここから15分で行ける』と言われたので、地図を書いてもらい歩いて行った。

前日に都内の有名な商店街を調べてみたら、砂町銀座商店街、戸越銀座商店街、谷中銀座商店街、アメ横商店街、高円寺パル商店街、浅草仲見世商店街、十条銀座商店街、ハッピーロード商店街、巣鴨地蔵通り商店街、えるもーる烏山商店街があった。
この10の商店街中で4つの商店街が「銀座」を名乗っているところなど、いかにも下町らしい。


「砂町銀座商店街」の道路は狭い



ずいぶんと久し振りに、「砂町銀座商店街」に入った。今までに来ていた入口と、全く反対方向からだった。
この商店街は全長が670メートルもあり、細い昔ながらの道路は歩行者専用である。
両側には商店が立ち並び、他では見られない活気がある。

それでも以前に来た時から見ると、お惣菜屋の数が減ったように感じた。
私が行ったのは昼頃だったが、それでもかなり混雑していた。
夕方の買い物時間になれば、歩けないほどの人が出るだろう。


 この店で「焼き鳥」を買った。



総菜屋は色々なものを店の中で作って、店頭に並べている。
コロナの影響か? 以前のように大声で呼び込みはしていない。
それでもスーパーのように「棚から品物を取って篭に入れる」、そして「セルフレジで会計を済ます」のに慣れてしまった私には、店の人と会話をし、お金を手渡しするのは嬉しかった。

そんなわけで、1軒目で「焼き鳥」を6本、2軒目で「さつま揚げ」を6個、3軒目で「柏餅」を2個買ってしまった。
下町の砂町銀座商店街が、いつまでも残って欲しいと願うばかりだ。


この店で「さつま揚げ」を買った。


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

コメント

  1. Shinji
    Shinji
    返信

    海苔の養殖をしていた民家が残っているなんて、ほとんど感動!です。確かに、豪農とか庄屋さんち、などは民家園などで見学したことがありますが、、。
    砂町銀座も昔ながらさを保っていて、独特です。店の人との他愛ない会話に人情を感じて、ついもう一つ買ってしまう、いいですねー!

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