
心の伊達市民 第一号
(おまけの話)
先に「おまけの話」が来てしまったが、訪問した順番に書かないと話の辻褄が合わなくなる。
江戸川区の小名木川に「扇橋閘門(こうもん)」がある。
この後に行った似たようなものに「荒川ロックゲート」があるが、「閘門」を英語で「ロックゲート」というだけで2つは同じもので、河川の通行システムである。私はどちらも数年前に行ったことがあるが、今回、また行ったのには訳がある。それは「本題」で・・・。
東京建設局の資料によると、『小名木川に新扇橋と小松橋間に位置し、東西の水位差を調節して船の運航を可能にする施設です。運行できる船舶は長さ90メートル、幅8メートル、高さA.P+4.5メートル以下となります。近年はカヌーやカヤックなど、レクリエーション目的で扇橋閘門を利用される方も増えています。東京のミニパナマ運河などとも呼ばれ、インフラ・ツーリズムなど観光資源としても注目されています』とある。
今回は「扇橋閘門」と「荒川ロックゲート」に行くので、事前にアクセスを調べてみた。路線図ではどちらも地下鉄「新宿線」にあることが分かったので、手前の駅の「住吉」で降りる扇橋閘門を先にした。駅から徒歩数分で小名木川に出る。橋の上から下流を見ると、扇橋閘門が見えた。
小名木川は隅田川と旧中川を繋ぐ水路で、扇橋閘門は新扇橋と小松橋の間にある。
江戸川区は区域の70%以上が海抜ゼロメートルとなっているので、川にはゲートを作って水没しないようにしている。その為に川を通行する船の為に、「閘門」が設けられているのである。
この閘門と閘門の間は歩道が無いので、中が見えない。
だから船が閘門に入るところと、出るところの写真を撮りたいと思っていた。
新扇橋からはあまり良く見えないので、小松橋の上に行った。
しばらく待つと、下流から水上清掃船がやって来た。そして閘門の中に入ると、重い大きなゲートが閉まった。もう何も見えないので、私は急いで新扇橋から小松橋まで走った。その距離は450メートルくらいだ。
息が切れる。足がもつれる。でも急がないと反対側の閘門から船が出て行ってしまう。
新扇橋側の水面が高いので閘門の中では水を抜き、出口側の水位に合わせているはずだ。やっとのことで、ヨロヨロと小松橋の上に着いたら、ゲートが開き出していた。
そしてゲートが全開となると、先ほどの水上清掃船が出て来るのが見えた。
水上清掃船の上では2人の係員が、長い棒の先に網が付いた道具で水路の端のゴミを集めていた。「間に合って良かった」というのが、私の扇橋閘門の見学の感想である。
(ここから本題)
テレビニュースで『天皇陛下が5月22日に、ライフワークとする「水」問題の研究に関連して、荒川と旧中川を結ぶ「荒川ロックゲート」などを視察された。ロックゲートは水位の異なる両河川を通行できるようにして、災害時に船で物資を輸送する際に活用される。陛下はライフジャケットを着用して船に乗り、実際にロックゲートを通って水位を調節する様子をご覧になった。時折、自らカメラで門や岸を撮影される場面もあった』と伝えていた。
荒川ロックゲートは10年近く前に、私は行った覚えがある。
今回は天皇陛下に触発されて、久し振りに「荒川ロックゲート」の様子を見に行ってみた。都営地下鉄「新宿線」の「東大島駅」を出て、右に進み荒川沿いの土手を歩いて行く。
土手が高く駅や住宅が低いところに見えるので、「海抜ゼロメートル地帯だなー」と感じる。しばらく歩くと、土手にポツンと大きな茶色の建物が見えて来た。
これが荒川ロックゲートの荒川側の水門である。
その水門の近くに行くと、反対側の旧中川側の水門が見える。
道路の上からロックゲートが良く見えて、両側が石段の観客席になっている。
ここで昼飯にしようと思い、コンビニで買って来たオニギリとデザートのゼリーを食べながら船を待った。1時間近く待ったが、全く船が来ない。
諦めて帰ろうかと思った時に、旧中川側のゲートが上がり出した。
ゲートの向こう側には小さなプレジャーボートが、ゲートに入るのを待っていた。
スピーカーからアナウンスがあり、『中に進んで下さい』と告げている。
ボートが中に入ると、『水流でボートが煽られるので、端に寄せてお待ち下さい』と言った。そして猛烈な勢いでゲートの中に水が注がれた。
この水は荒川からサイフォン式で注がれる。水位計を見ていたら、水位が2.1メートル上昇した。
ゲートの中が荒川と同じ水位になると、反対側のゲートが上がった。
カップルが乗ったボートは運転を女性に変り、ゲートに進み出した。
するとアナウンスがあり、『危険ですから、青信号になるまで動かないで下さい』と注意された。慌てた女性はバックしたが上手く出来ず、運転を男性に交代した。
しかし男性も運転に慣れていないらしく、後退したら船尾が出口に向いてしまった。
その時にまたアナウンスがあり、『どうぞ出て下さい』と告げた。
男性は慌てているので、船の向きを変えられず後ろ向きのままでゲートを出て行った。
そのまま後ろ向きで荒川まで出て、そこでやっと前進していったのである。
女性にいい所を見せようと思った男が、かなり恥ずかしかったなー。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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確固たる想いを洞爺湖で実現させたい! 〜『湖の膳舎 なかむら』 和食職人 中村 悠佑氏〜
2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
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