中高時代の同級生と作っている「都心を歩かない会」も長く続いていると、そろそろネタ切れとなる。そこで多摩方面の友人達に私から、『たまには多摩方面で企画をしてくれないか?』と提案した。

それに応えてくれたのがYさんで、高幡不動尊で菊人形を見よう』という企画を出して来た。私に異存はないので、実行となった。
そしてYさんから「集合場所」と「集合時間」をメールで知らせて来た。


 「高幡不動尊」の門前



高幡不動尊は資料によると『真言宗智山派別格本山、高幡山明王院金剛寺が正式名で、関東三大不動の1つに挙げられ「高幡不動尊」として親しまれている』とのことだ。『その草創は古文書によれば、大宝年間(701年)以前とも、或いは奈良時代行基菩薩の開基とも伝えられているが』、

『いまを去る1100年前、平安時代初期に慈覚大師円仁が、清和天皇の勅願によって当地を東関鎮護の霊場と定めて山中に不動堂を建立し、不動明王を御安置したのに始まる』とある。


 立派な五重塔が目立つ



天気予報を見ると天気が続いていたのに、この日だけ雨だった。幹事のYさんは私と違って「雨男」かもしれない。中止になるかどうか心配していたら、夕方になりメールが入った。『明日の天気予報によると、午前中は曇り、午後3時から1ミリ程度の小雨のようですから、実行します』と連絡があった。

当日はかなり余裕をもって、早目の午前9時25分に「勝どき駅」から大江戸線に乗った。京王線の「高幡不動駅」に着いたのは、10時55分だった。


「土方歳三像」と「五重塔」



今の時期は高幡不動尊で盛大な「菊まつり」が行なわれている。
私は特に菊の花が好きというわけではないが、「菊まつり」に付き物の「菊人形」を見たかったのである。菊人形が好きなわけではなく、菊の花と人形の取り合わせが変で気持ち悪いとと思っている方だ。

そこで「どんな菊人形が出ているか」という、興味本位の「怖いもの見たさ」である。ところが期待に反して、菊人形は無かった。
作るのが大変だからか、あまり人気が無いからかは分からない。


「大日堂」の山門



高幡不動尊の山門を入った左側には、新選組で活躍した土方歳三の銅像が立っている。その先には立派な五重塔が見える。境内は広く、アチコチに建物がある。それぞれが由緒正しい歴史があるようだ。小雨にも拘わらず、七五三のお参りに来た若い夫婦と子供の姿が目立つ。

参道の両側には、3棟の葦簀張りの菊の花の展示がある。菊の花は3本に枝分かれさせて、上に立派なが3つの花が咲いている。私の同級生のKさんが菊作りの名人で、遂には審査員にまでなったのを思い出した。


傘をさして「七五三」のお参り



一同が菊の花の前で、みんな一緒に記念写真を撮った。
その後は自由時間となり、それぞれが色々な場所を見て廻った。
なにしろここには19もの建物があるのだから、小雨だし私は少ししか見なかった。
約45分後に集合し、Yさんの友人の「焼肉屋」へランチに行った。

気を利かせて個室を予約してくれたのは良かったのだが、6人で1つのコンロでは焼肉は焼けない。仕方ないので、焼き肉屋で焼肉以外のものを食べる羽目となった。
同級生同士なので話は弾み、アチコチに飛ぶ。


今年の紅葉はダメで、イチョウだけが散っていた。



みんな引退した者ばかりなので、年金の話で盛り上がった。
そんな中で可笑しかったのは、「女房をなんと呼ぶか?」であった。
「ママ」、「お母さん」、「ばあさん」などあり、その謂れも聞いた。
「子供が母を呼ぶので、自分も同じように呼ぶようになった」というのが多い。

誰かが『橋本はどうだ?』と聞いたので、『我が家ではお互いに名前で呼ぶ』と言ったら、そう呼ぶ者はいなかった。どうでもいいような話をしても楽しいのが、同級生である。


「丈六不動三尊」の参拝階段



(おまけの話)
今回は大失敗をした。またまた、図書館から借りた本を置き忘れたのである。
その日は予定より早く家を出た。京王線の新宿駅で来た電車に乗った。
家で調べて来たので分かっているが、「笹塚駅」で急行の「高尾山口」行きに乗り替えて、高幡不動駅で降りればいいのである。

笹塚駅で降りたら、すぐ同じホームに各駅停車の「高尾山口」行きが待っていた。
その電車に乗り安心して、カバンから本を出して読み出した。


「厚盛」



しかし次の駅で停まったまま動かない、急行を先に通すからだ。
こんな調子じゃ待ち合わせ時間に間に合うかが心配になり、スマホを出して調べてみた。するとこの電車は時間に間に合わないと分った。

次に急行の停まる「明大前駅」で飛び降りて、次の急行に乗り替えた。
そして今度は落ち着いて、本に取り掛かろうと思った。
ところがカバンを開けたら、本が無いのである。


  「細管」



笹塚駅から乗った各駅停車の電車の中に、本を置き忘れたと気が付いた。
その時は焦っていたので、座席に本を置いてスマホで調べていたのを忘れていた。
「高幡不動駅」の改札で、駅員に事情を話したが愛想が悪い。
そして最後になにか書いてある紙を渡された。

それを見たら、スマホのLINEで友達申請をし、そこから忘れ物係に詳細を知らせれば、調べて返事をくれると分った。当日の忘れ物は「午後3時以降の問合せ」とあったので、家に帰ってからLINEで「findchat」というサイトに問い合わせた。さてこの結果は? これはまた後日・・・。自分のアホさにいい加減、嫌になっている。


 「厚盛」


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

コメント

  1. Shinji
    Shinji
    返信

    "どうでもいいような話をしても楽しいのが、同級生である。"とありましたが、まさにその通りです。子供時代、青春前期?に戻って、心が単純になるって、とても楽しいですね。

  2. 多摩の幹事(Y)
    多摩の幹事(Y)
    返信

    幹事役は気を遣う!これまではH君の企画に乗り悠々と付き合っていたので、成るがままという気分でいられたが、今回は違う!三多摩・ましてや地元の日野市へのご案内であるから、参加予定者への気配りは尋常ではなかった。こんな事を毎回H君は行っていたのだと改めて尊敬した。天候まで自分の責任に思えるのは気の小さい証拠であろう。次回の忘年会企画は、再びH君にお任せとなった。ありがとう!

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