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じもとブロガー
心の伊達市民 第一号
しばらく前のことだと思うが、NHKのテレビ番組で「ドキュメント72」という番組があり、それで見たと思うが、「せんべろの町」を特集していた。
この番組は人が集まる定点に72時間カメラを据えて、そこに来る色々な人の人生物語を聞くのである。
「せんべろ」というの「千円でベロベロになるまで飲める」という意味だそうだ。
場所は葛飾区「立石」」で、東京の外れに近い全くの下町である。2月のある日に、「酒を飲まない私が見に行くのも変だ」と思いながらも出掛けて行った。
自宅前から東京BRTに乗り、新橋で都営・浅草線に乗り換えた。
そして「押上駅」で京成電車に乗り換えて、4駅目が「京成立石駅」である。
改札口で駅員に『「せんべろ」はどちら側ですか?』と聞いたら、『左側にあったが、いまは再開発中で無くなった』と答えた。
思い掛けない答えだったが、駅の左側に行ってみた。
すると白い壁で覆われた、巨大な再開発地のようだった。
私は「何しにここまで来たんだ!」と思いながら、線路を渡り反対側に行ってみた。
商店街の中ほどで2人のオヤジサンが、タスキを掛けて立っていた。
タスキに書かれた字をみたら、「歩きタバコ禁止」の指導員だった。
私 『「せんべろ」は無くなったのですか?』
指導員『昨年の8月に、再開発のために解体された』
私 『どこか他に移った場所はないのですか?』
指導員『やめた店が多いが、少しはこの先にある』
そこで私は教えてもらった場所に歩いて行った。
その場所は「立石仲見世」で、今は珍しいアーケード式の商店街だった。
昔はどこにでもあったような商店街で、なんだか懐かしかった。
「おでん種」を売る店、八百屋、肉屋などがあるが、他は歯抜け状態だ。
駅前で立地も良いのに、なぜか買い物客が少ない。
みんなスーパーマーケットに買い物に行ってしまうのだろうか?
少し大きな居酒屋があった。
紫色の暖簾の中央に、なにか書いたものがぶら下がっていた。
近付いて見たら、「午後2時半から開店」と書いてあった。
指導員のオジサンが言っていた、有名な「もつ焼」の店はここのようだ。
店の名は「宇ち多」と書いてあった。午後2時半から飲みに来る人が大ぜいいるとは、やはりここは下町そのものである。
商店街をさらに奥に進んだ。
段々とシャッターが閉められたままの店が増えて来る。
奥の方には「こども食堂」の看板が出ていた。食事が満足にとれない子供達に、無償で食事を提供する場所である。
商店街の長さを見ても、「ここは昔はかなり繁盛していたのだろうなー」と想像を巡らす。近代化から取り残された風景を見た。
同じ昔ながらの商店街でも、「砂町銀座」は大繁盛である。なにが違うのだろう?
シャッターに「どんと市大感謝祭」のポスターが貼ってあった。
剥がすのを忘れたのではない。今年の2月のイベントのお知らせである。
1等が3000円、2等が500円、3等が50円という金額が寂しい。
「空くじなし」だと、それはせいぜいポケットティシュくらいだろうなー。
「せんべろ」の飲み屋街は見られなかったが、寂びれ行く下町の商店街の事情を知った小さな旅だった。
(おまけの話)
再開発をしている道の奥はどうなっているのかが気になり、もう一度行ってみた。
途中の右側に和菓子屋「わかば」という店があった。
覗いてみたら、「草まんじゅう」を売っていた。季節の和菓子なので買って帰った。
ついでに大福も買った。
帰ってからネットで見たら、この店の名物は「揚げだんご」だった。分かっていれば、どんなものか買って食べてみたかった。
「草まんじゅう」は柔らかく、とても美味しかった。
「わかば」の向かい側にレストランがあったので、ここでランチにした。
店名は「チロル」で、「創業1981年」と書いてあった。狭い急階段を上り、ドアを開ける。そこにも懐かしい光景があった。古びたテーブルと、破れた部分を大きなテープで塞いである椅子。店内は創業以来、リフォームはしてなさそうだ。
ランチ定食の「ハンバーグ」を注文した。しばらくして出て来たハンバーグは、あまり肉を使っていないようだ。昔の肉が高価な時代のハンバーグだった。
駅へ戻る途中の両側が、再開発の土地である。
大規模な開発のようで、きっとタワーマンションやスーパーマーケットが出来そうだ。そうなると益々、昔からの商店街は寂れしまう。年齢と共に「古いもの好き」になる私には、残念なことである。
「立石には他に何かないのか?」と思い観光案内をネットで調べたら、「立石諏訪神社」と「キャプテン翼の若村源三像」があると分ったが、あまり興味は無いので行かなかった。
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伊達季節移住のススメ 心の伊達市民 第一号
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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
引用元:洞爺湖周辺地域マガジン「むしゃなび」
https://mushanavi.com/author/jiyujin/blog2/see/entry-22107.html
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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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さびれゆく商店街、をまさに絵に描いたような光景と旅日記でした。昼食を食べたレストランの名前、チロル、がまた一昔前の雰囲気を一気に駆り立てます。それにしても、商店街の人々は、今でも商店の2階で暮らしているのでしょうか。東京散歩哀愁編、郷愁編でした。