日本橋には「七福神」がある。その場所は人形町界隈である。
都バスを降りて少し戻り、路地を入る。すると先の方に100メートル以上の行列が見えた。以前はお参りする人も少なかったのだが、最近はいつも長い行列が出来ている。

ここの神社の御利益は『戦災を免れたことなどから、「強運厄除」の神として知られているが、「東京銭洗弁天」としても有名』になっている。「持参したお金を神社の水で洗うと増える」と言うが、最高の500円コインを洗って増えて2倍になっても1000円である。100メートルも並ぶ値打ちがあるかなー?


「小網神社」(福禄寿)



日本橋七福神は「どこから廻り始めても良い」と書いてある。
そこで次は近くの「茶ノ木神社」に行った。
前回、七福神巡りをした時は、もっと近くの「銀杏神社」が「茶ノ木神社」だと思ってお参りしていた。

茶ノ木神社のご利益は「家庭円満」、「商売繁盛」、「千客万来」、「家運隆盛」と、なんでも効く万能薬のようだ。神社の名前の由来は、「周りに多くのお茶の木があった」ということだが、今は境内も狭く、お茶の木は無い。ここも長い行列が出来ていた。


 「茶ノ木神社」(布袋尊)



3番目に行ったには、交差点の角にある「水天宮」である。
ここは他の神社とは格が違い、境内も広いし建物も立派である。
HPによると、『文政元年、久留米藩有馬家上屋敷内に祀られていた水天宮は、人々の信仰が篤く、堀越しにお賽銭を投げる人が後を絶ちませんでした』

『時の藩主は毎月5日に限り、お屋敷の門を開き、人々のお参りを許しました。そのことから有馬家と「情け深い」ことを掛けて、「なさけありまの水天宮」という洒落が江戸っ子たちの流行語となりました』とあった。


「水天宮」(弁財天)



水天宮前の信号を渡り、少し右に進み、2つ目の路地を左に入るとすぐ右側のビルの1階にあるのが「松嶋神社」である。HPによると『鎌倉時代の元享以前にこのあたりが入り海であった頃、松の木が鬱蒼と生えた小島に柴田家の邸内社として祀られてあったが、天正13年、松嶋稲荷大明神として一般に公開参拝の自由が許され、大正5年に松嶋神社と改称された。

ご利益は「五穀豊穣、商売繁盛、金運上昇、縁結び」となんでもある。ここでも若者が行列していた。


「松嶋神社」(大國神)



松嶋神社から先に進み、右手の路地を進むと小さな「末廣神社」がある。
ここは少し分かり難いが、それでも参拝者の10数人が並んでいた。
HPを見ると『明暦の大火で吉原が移転してからは、その跡地に難波町、住吉町、高砂町、新泉町の4ヶ所の氏神として信仰されて来ました』

『社号の起源は延宝3年社殿修復の際、年経た扇が発見されたことを、氏子の人達が祝って「末廣」の二文字に冠したのです』とある。ご利益は「勝運向上、厄除け、病気平癒、財運向上、福徳繁栄」などである。


「末廣神社」(毘沙門天)



末廣神社から明治座方面に進み、路地を左に入ると真っ赤な幟が並んで立っていた。
そこが笠間稲荷神社である。10数人が参拝の列を作っていた。ここもHPで確認すると『笠間稲荷神社東京別社は、紋三郎稲荷とも称せられ、旧笠間藩主牧野氏の邸内社でした』

『今から325年前、牧野氏が5代将軍綱吉から、下屋敷として拝領した土地で、現在の久松警察署前の小川橋から隅田川に至る21,269坪の広さがありました』とある。
今では全く狭い境内となってしまっている。
ご利益は「家内安全、商売繁盛、交通安全、厄除け、開運」などである。


 「笠間稲荷神社」(寿老神)



最後の「椙森神社」は少し離れている。人形町交差点から小伝馬町方面に向かい、500メートルほど行って路地を左に入る。水天宮を除けば、ここが一番広い。
HPによると『天慶3年に藤原秀郷が平将門の討伐のため、戦勝祈願をし見事勝利。そのお礼にと、白銀の狐像を奉納した』とある。

また宝くじ的中祈願者が訪れる神社として有名。ご利益は「商売繁盛、金運出世、五穀豊穣」など。私が行った時は数人しかお参りに来ていなかった。それにしても最近の神社には、お参りする若者が多い。それだけ「生き難い」時代になっているのだろうか?


 「椙森神社」(恵比寿神)



(おまけの話)
笠間稲荷神社を出て人形町交差点方面に向かうその道は、なんと「金座通り」という名前である。それも久松警察署の前あたりの、約100メートルだけらしい。
ここも中央区である。中央区は銀座通りが有名だが、「銀より金」が上である。

それなのに金座通りは店も少なく、銀座通りに負けている。
でも金座通りを真っすぐ進むと、なんと突き当りは日本銀行なのである。


  「金座通り」



人形町は「そば屋」と「うどん屋」に名店があるが、値段は高くない。
私は昼時に人形町にいる時は、「そば」か「うどん」を食べた後に、必ず人形町交差点近くの「鳴門鯛焼本舗」で鯛焼きを買い、店の前のベンチで食べる。人形町で鯛焼きと言えば柳屋であるが、私の好みは違う。

店の前で鯛焼きを食べていると、人間とは可笑しなもので、私の食べている姿を見て自分も食べたくなるようだ。そして数分も経たない内に、行列が出来る。
私は福の神かもしれないなー。日本橋七福神より、効き目がありそうだ。      


 「鳴門鯛焼本舗」(280円)



人形町から地下鉄「浅草線」の1駅で、日本橋駅に到着する。
三越デパート本店の向かい側を入ったところに、有名な「福徳神社」がある。
名前からして、ご利益がありそうである。ここで有名なのは「宝袋」である。
神社だから「買う」とは言わず、初穂料と言って1500円である。

この袋を手に入れて、その袋の中に宝くじを入れておくと「当たる」と評判になっている。あまりの人気で、製造が間に合わないのか、時々、品切れになる。
今回もポスターに「申し訳ございません。休止中」となっていた。


「福徳神社」(倉稲魂命)


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

コメント

  1. Shinji
    Shinji
    返信

    今どきの若い人たちは、占いや、御利益のあるというパワースポットにお参りするのが流行っているのですねえ―。

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