
心の伊達市民 第一号
自分がそうなので分かるが、「年をとると暗くなると家にいたい」のである。
私の母が同じことを言っていたが、その時は「変なことを言うなー」と思っていた。
自分も母と同じことを思う年になったかと思うと、我ながら感慨深い。
珍しく暗くなって家を出て、築地本願寺の盆踊りを見に行った時の話である。
暑いし音楽と太鼓の音がうるさいので、歩いて家まで帰ることにした。
勝鬨橋の上で、ぼんやりと上流を眺めていた。
夜景が美しく、「リバーシティ21」やライトアップされた「佃大橋」が見える。
後ろでは、ひっきりなしに車が通過して行く。
私の立っていた場所が勝鬨橋の開く部分だったので、トラックが通る度にガタガタと揺れる。上流から屋形船がやって来るのが見えた。
すぐに動画撮影をしたら、私の足元を通過して行った。
勝鬨橋を渡り切り、階段を降りて隅田川テラスに出た。
下から見上げた勝鬨橋は、白色でライトアップされていた。
たまに屋形船が、上流に向かって走って行く。
勝鬨橋の下に来た。橋の鉄骨が入り組んでいるのが見える。
橋脚には赤いランプが点灯されていて、これは衝突防止だろうと思う。
赤い光が水面を赤く染めている。
隅田川テラスを歩いて、築地大橋へと向かう。
誰も歩いていない。右手奥には汐留あたりのビルの明りが見える。
遠くには東京タワーが見える。
しばらく歩いたら、左側にひと気を感じた。
そこにカップルがくっついて、仲良くしていた。
くっついていたら、暑くないのかと心配した。
しばらくして、後ろを振り返ってみた。
するとそこには綺麗にライトアップされた勝鬨橋と、左手に高い聖路加タワーが見えた。奥には「リバーシティ21」が見える。
暗くなると汚いものは全て隠れてしまい、美しさだけが残っている。
築地大橋が近付いたら、その先は現在、工事中で通行止めとなっていた。
仕方ないので左の土手の石段を上り、道路に出た。
そして暑くて疲れてはいたが、滅多に無いことなので築地大橋に上ってみた。
(おまけの話)
夜に家を出ることが無いので、「おまけの話」に困ってしまった。
そこで本当は真っすぐに家に帰りたかったが、築地大橋の夜景の写真を撮ることにした。道路わきに設置されたエレベーターで、築地大橋の上に出た。
こんな時間に珍しく歩いている人がいた。
築地方面からは時々、帰宅途中のサラリーマンが自転車でやって来るだけだ。
橋の上は開けているので、川風が通り過ぎる。生暖かい風だが、吹かないよりましだ。
ブルーにライトアップされた橋が美しい。
そのブルーが歩道も染めている。
東京タワーが、この日はカラフルだ。
なにかの記念日などには、オレンジから色々な色に変わる。
隅田川を行き来する船も絶えた。橋の上を走る車の量も減った。
この道路は築地市場に繋がっているので、朝は4時過ぎから車の量が増える。
久し振りに夜の徘徊を楽しみ、家で浴びたシャワーは気持ち良かった。
これで私がビールでも飲めるなら、最高なのだが・・・。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
詳しくはこちらハッシュタグ
月別アーカイブ
「むしゃなび」はこちらの皆様に支援して頂いています
人気の記事
-
05/27(火) 写真で見る東京(100)・・・浅草の外国人
-
05/26(月) 「豊海水産ふ頭」と「水の消防ページェント」
-
05/28(水) 泉岳寺と高輪ゲートウェイ
-
05/29(木) 写真で見る東京(101)・・・蔦屋重三郎
-
05/31(土) 鋭くないが、怒りを込めて

イベント
「観光・体験」カテゴリーのおすすめ記事
-
2025/05/02(金) 靖国神社「春の例大祭」
心の伊達市民 第一号
0
1
-
2024/12/14(土) プロジェクション・マッピング
心の伊達市民 第一号
0
1
-
心の伊達市民 第一号
0
1
観光・体験に関する
特集記事
-
-
ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
Rietty
0
-
-
Shinji