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じもとブロガー
スペイン巡礼の旅
スペイン国家の国民としての「スペイン人」はありだが・・・
ここで「スペイン人」というものについて調べたので伝えたいと思う。
実は「スペイン人」というのはこの国のいくつかの民族を統合する概念なのである。
つまり、民族の観点からいうと「スペイン人」というのはおらず、「カスティーリャ人」、「ガリシア人」、「アンダルシア人」、「カタルーニャ人」、「バスク人」が存在するということで、こうした民族で構成された国を「スペイン王国」というわけだ。旧カスティーリャ王国が中心になって諸王国をまとめ、16世紀までにはほぼ現状のようになったようではあるが、消滅していったかつての王国に対する思いは民族としての自意識を強くしているためか、未だに民族によっては文化的自立意識が存在している。
したがって、民族ごとに文化を継承し、「スペイン国家の国民としてのスペイン人」は認めても「民族としてのスペイン人」は認めないという「スペイン人」は多いようだ。
そしてここ「アルスーア(Arzua)」という町は人口6千人ほどの町だが、17の自治州の中にある「ガリシア州」に属する「ア・コルーニャ県」に属する。
ガルシア州は大西洋に面したスペインの北西の端に位置し、ポルトガルと接する。「ガリシア」の語源はケルト系の「ガラエキア人」に由来する。
それでこの町の多くの人々は「ガリシア人」だ。
ガリシア人は自分達の言語「ガリシア語」を持っていて、アルスーアでは98%以上の人がガリシア語を話すという。ガリシア語はポルトガル語にも近い言語らしいし、ガリシア人の中には以前からポルトガルと一緒になるべきと考える人もおり、その運動も存在している。
日本にも昔はいろいろな民族があり、言語もそれぞれあったはず。しかし現在は、地方ごとに方言はあるにせよ、独自の言語自体がもはや存在しないのは、やはり民族という括りが消滅してひとつになってきたためだろう。日本には昔から結構いろいろな民族が入ってきては混じり合ってひとつになってきたわけだ。
一方、イベリア半島はその昔はローマ帝国やイスラムの支配下に置かれたりしてきた時代もあったのに、厳然とその土地に民族や文化が残ってきたわけである。
日本で過去に入ってきた異民族たちがその影も残していないというのは、イベリア半島と比較して、日本では長い時間があったから粛々と同化されていったということなのだろうか。つまり同化に要した時間の問題の違い?
イベリア半島という陸続きで、昔からの民族と言語の確固たる存在が残っているのをみると、我が国との違う事情が興味深い対象となる。
アルスーアからフィステーラに
団長からの情報によると、このアルスーアという町の巡礼者数が50万人(多分年間の訪問者数)になったということだった。
サリア(Saria)という町がサンティアゴから100kmということで、ぎりぎり徒歩の巡礼証明書の発行してくれる人気の町という話はしたかもしれないが、ここアルスーアはサンティアゴから30kmあまり。つまり1泊すれば歩ける距離の位置にあるわけで、ここからスタートして巡礼者気分になりたい人は実は巡礼の証明をもらった人たちよりもずっと多いだろうなと簡単に察することができる。
さて、
遅くまで飲み食いした翌日は、朝6時半に目が覚めた。
巡礼で歩く同室の人たちのスタートは早い。
飲み過ぎた朝を水の一杯から始める兄貴。
多分水を飲みながら一句浮かべているのではないか。
彼は何を隠そう俳人である。
そのうちに旅の中で彼の詠んだ句を紹介しようと思う。
この日はアルスーアから60kmほど西にあるサンタ・コンバ(Santa Comba)という町で最後の講演会がある。
そして講演会が終わったらいよいよサンティアゴ・デ・コンポステーラに移動して宿泊だ。
夜の講演会まで時間があったので、少し足を伸ばして大西洋を見に行くことにした。
ガリシア州は大西洋に面しているが、実は巡礼者がサンティアゴのあとになおも行く旅の最終目的地がそこにあるのだ。
「ここに地終わり海始まる」
ということで我々一行はアルスーアを後にし、途中40kmのサンタ・コンバで朝食をとりながら、さらに50km先のフィステーラ(Fisterra)に向かった。
巡礼者の最終目的地である。
この日到着したこの町の岬の突端には多くの人がいた。
巡礼路を歩いてきた人とただの観光者や犬までも入り混じっている。
Wikipediaによると"フィニステレの地名は、ラテン語の Finisterrae に由来しており、「陸地の終わり」を意味している"とある。
巡礼者はサンティアゴ・デ・コンポステーラで巡礼を終えた後、さらに3-4日かけて90km離れたこの地まで歩を進め、ここで旅の終わりとし、巡礼で使ったブーツや衣服を焼き払うという風習があるらしい。
巡礼の旅を完了させたという意味とともに、自分の人生はここからさらにまた続く起点になるということだろう。まさに「ここに地終わり海始まる」という感じである。
(ちなみにユーラシア大陸最西端はポルトガルの「ロカ岬」であり、この詩はポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイス(16世紀)によるもの。)
実は僕は2000年にポルトガルを鉄道で旅したことがあり、壇一雄が愛した漁港ナザレにも足を入れた。ロカ岬はその時の思い出を彷彿させる。
その壇ふみの父親は「ユーラシア大陸の最西端 ここに地終わり海始まる ポルトガルのロカ岬で! ナザレの鰯を喰わずして 死ねるか。」と言ったとか言わないとか。
関係ないが。
この岬には巡礼者のブーツが飾られている。
1足のはずなのだが片方しかない。調べてみると本来は2つあったはずが、1つは盗まれてしまったらしい。盗んだやつは記念に家にでも飾ってるのだろうか。実にけしからんやつだ。
(しかしこの辺もあとからいろいろと調べてわかったことである。)
この岬から降りて下にあるビーチ(Playa Langosteira)に出てみた。
しかしこの海で何世紀にも渡りいったい何組のブーツや衣服が焼かれたことであろうか。(2010年には環境問題や火事の問題から禁止されている)
暑いので近くのカフェでビールを飲むことにした。
ただここはろくに食べるものがない。
腹が減った中で適当なレストランが見つからず、結局はる奈さんに予約してもらって久々に素晴らしいレストランで美味しい料理にありつけた。
兄貴がここで一句。
「変なもの食べ歩く旅いわし雲」
「変なもの食べ歩く旅いわし雲」
・・・
さて、食事もゆっくりと済ませたのでサンタ・コンバ(Santa Comba)に戻ろう。
夜からはいよいよ最後の講演会である。
(次回予定11月5日)【第5日目(2)】サンタ・コンバで最後の講演
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農業もゴルフも続けるのだ! りっきー
アクセス総数:10,107
伊達の経済界を引退後、会員制農園の経営者であり、農家になる。だいぶ自由が利かなくなった体に鞭を打ち、毎日の農作業とゴルフに励む。
引用元:洞爺湖周辺地域マガジン「むしゃなび」
https://mushanavi.com/author/santiago/blog2/see/entry-18665.html
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