若い時に経験が人を育てると言われ、
それを信じて生きてきた。
21歳で国会議員の秘書になったのも
「何でも経験だ」と思ったからだったが、
それまでにもいろんな仕事を経験した。

高校時代は、放課後から夜の10時まで、
新宿で出前のアルバイトをした。
片手にオカモチ、片手でハンドルを握って自転車で配達をした。
繁華街だったので、車にぶつかりそうになって転び、料理をダメにしたこともあったが、
ラーメン8つをこぼすことなく運ぶことができるようにもなった。

配達先は高層ビルから雀荘までいろいろだった。
小指のない怖い顔をした人たちが麻雀を楽しんでいる所に中華丼を届けたこともあったし、
ノーパン喫茶にも配達した。
「おにいちゃん高校生? 初めてよね、こんなところ」「特別に見せてあげてもいいわよ」
「鼻血出したらどうすんの」「わはは」と揶揄われた。
若かったので、気の利いた返しもできなかったが、
そもそも母親と同じくらいのオバサン達に言われてもなあと戸惑ったことは覚えている。

そんな新宿の変な大人の世界を垣間みながら、
早く大人になってひとり立ちしたいと思うようにもなった。
そして何でも手に入る50代になることを夢見た。

今50代も後半となって、手に入ったものもあれば、失ったものもあったことを思い出している。
現実は思っていたようにはならないが、
若い人たちに何か伝える機会があれば、
何でも経験することが人生の醍醐味だよと言ってあげたいと思っている。


この町に思うこと こくぼ重孝

アクセス総数:10,072

25年前、東京からこの北海道伊達市に移住した。都会であくせくして生きてきた自分にとって、この街は楽園のようだった。そんな楽園も暮らしていくといろんなことがあった。徒然なる街ではなく、変化があり退屈しない街に住んで感じたことを600字に絞って綴っていこうと思う。

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