
心の伊達市民 第一号
【サッカー・ワールドカップ(1)】
サッカーはやったこともないし、あまり興味が無いのでルールも良く知らない。
それでもワールドカップを新聞やテレビで大きく取り上げていたので、日本戦は見た。
初戦のドイツの戦いは、ベッドに入ってタブレットを使い「ABEMA」で見た。
前半戦では日本はドイツに全く手も足も出ないという感じで1点を取られたので、「もう負けだ!」と思って後半は見ずに寝てしまった。朝のニュースで日本が「2対1」で勝ったと知り驚いた。
【サッカー・ワールドカップ(2)】
第2戦は相手がコスタリカで、スペインに「0対7」で負けたチームなので簡単に勝つと思い安心してテレビで見た。日本はかなり有利に試合を進めていたが、最後に相手のたった1回のチャンスにゴールを決められてしまって負けた。
第3戦は強豪のスペインだった。放送時間が午前4時なので、早過ぎるので見るつもりはなかった。ところがその時間にトイレに起きたので、ベッドの中でタブレットを使いABEMAで見た。
しかし日本は1点を先取されてしまい、その後も前半は全くボールに触れない。「これは負けだ」と思い寝てしまった。
ところがである、6時に起きてテレビを付けたら、なんと「2対1」で勝っていた。
これで決勝進出である。こんなことってあるんだ! 次は最後まで見ます!
【公開講座】
東京工芸大学の公開講座に行って来た。今回のシリーズは4回で、テーマは「遊びのちから」であった。生真面目過ぎる日本人には出て来ないヨーロッパ人の発想の話を聞いて、とても面白かった。例えば歩行者の信号無視が多い交差点で、赤信号の「人のマーク」にダンスをさせたらみんな信号を守った。
制限速度30キロの場所で速度違反が多かったので、制限速度を守った人に宝くじを送付したら違反は劇的に減った。
道路わきのゴミ箱を使わない人が多いので長細いゴミ箱を設置し、ゴミを投入すると深い穴に落ちて行く「ヒューン」いう音と、しばらくしてジャボンという音を出したら、みんな面白がってゴミ箱に捨てるようになった。こんな話を動画を見せながら解説してくれた。私の学生時代にこんな授業だったら、もっと勉強したと思う。
【アドミュージアム】
汐留にある「アドミュージアム」の展示内容が11月24日から新しくなったと知ったので、早速、行ってみた。
出不精で介護も受けているFさんとIさんのボケ防止の為に、2人を誘ってあげた。
そして四国出身のFさんの為に、汐留で「讃岐うどん」のランチをしてから「アドミュージアム」に入った。(無料)
2人は初めてのようだったが、あまり熱心には見ていない。
50周年を記念してミュージアムは大幅な改造がなされて、展示数も増えたし、希望すればボタンを押すと動画でアバターが説明を行なう。私には懐かしい広告ポスターの数々で、もっとゆっくりしたかった。次回は1人で来ようと思う。
【帆船・日本丸入港】
海技教育機構の練習船の2隻ある帆船の内の1隻の「日本丸」が、11月28日の午前11時に晴海ふ頭に着岸すると知った。
私は毎月、ホームページで晴海ふ頭に着岸する日を確認しているのである。
今回は「豊洲ぐるり公園」の先端に行き、レインボーブリッジを通過する時から着岸までを見に行った。
ところが10時40分を過ぎても、日本丸の姿が見えて来ない。
帆船が着岸する時には2艘のタグボートが必要なのだが、それも見えない。
結局、時間になっても日本丸は来なかったので、用事を済ませた午後からまた見に行ったが来ていなかった。こんな時は怒りをぶつける先が無く、誠に気持ちが収まらない。
【皇居乾通り一般公開】
テレビニュースで「皇居乾通りの一般公開を知らせていた。
私は以前に2回ほど行ったことがあるが、大勢の見物人で入口に着くまでにかなり長い時間が掛かった。
今回の初日の見物客は7000人強だと知らせていたので、それなら行こうと考えた。
皇居前広場に行くと、例年のように並ぶために紅白のカラーコーンで列が仕切られていた。しかし今回はそんな必要は無く、1列で立ち止まらないでも前に進めた。
手指の消毒、体温測定、手荷物検査が終り、乾通りに進んだ。
見慣れた風景だし、紅葉もそれほどのことがないので、立ち止まらないで門の外へ出た。
【Go to eat】
ニュースで「Go to eat」が再開したと知り、食事券を買うことにした。
スマホで申し込んだら、「申込済み」の返信があり、それを食事券の販売店に持参して画面を店員に見せるのだそうだ。早速、指定の販売店に行くと店員がスマホの画面を見て、そこに表示されているURLをクリックするように言った。
私は指示された通りにすると、画面は「「この申し込みの食事券は申込済みです」と変った。ダブルで購入できないようになっていた。
家に帰ってから購入した食事券を確認したら、有効期限が「令和3年3月31日まで」と書いてあり、私は焦った。封筒には「重要なお知らせ」という紙が入っていて、「券面記載の有効期限に関わらず、有効期限を令和5年1月25日に変更して運用を継続します」とあった。それで安心したが、これは以前に印刷した食事券をそのまま流用しているのだった。
(おまけの話)
【和太鼓の競演】
中央区報で「中央区太鼓連盟和太鼓演奏会」のお知らせを見た。
日曜日は出掛けないことに決めているのだが、和太鼓は好きなので見に行った。
会場は人形町にある区立日本橋公会堂で、立派な劇場である。
演奏会は午後3時から5時までで、帰りが暗くなってしまうので少し面倒だった。
早目に着いたので、近くの水天宮をお参りしようと思ったら、「七五三」のお参りの人達ばかりで大混雑なので入口で参拝してから公会堂に向かった。
私は中央区太鼓連盟という組織があるのを知らなかったし、今回の出演の和太鼓には7つの加盟団体が出ている。
その中には私の菩提寺の、「築地本願寺太鼓保存会」というチームも出演していた。
会長の挨拶、続いて山本区長の挨拶があり、演奏が始まった。
チームにより太鼓の編成は違うが、大きいチームは大太鼓1張、中太鼓6張、小太鼓4張であった。これを一斉に叩くと、迫力がある。
チームによっては叩くだけでなく、パフォーマンスもある。
その中で築地本願寺は中太鼓1張だけで、10人以上のジジババが盆踊りを見せていた。
太鼓の係の男性はかなりの高齢で、音楽に太鼓が合っていなかった。他のチームが素晴らしかったので、見ていてなんだか気の毒になってしまった。
中学生のチームもあり、学校のクラブ活動だそうだ。
太鼓と祭は付きものなので、中央区は祭が多いので太鼓のチームも多いのかもしれない。最後に「締め」が行われたが、これが気に入った。
会長が「三本締めを行います」と宣言し、8台の太鼓の音に合わせて「シャンシャンシャン」を3回繰り返す。
なんだかもの凄く「締まった」という感じがした。
太鼓に合わせる3本締めは初めての経験だったが、とても良い!
「多摩格差」と怒っているYさんに怒られそうだが、この和太鼓演奏会もまた無料だった。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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マニアではなく科学する人 世羅繁宇氏の“ Stage 2 “〜自家焙煎ジャズ喫茶『COSSETTE COFFEE』
過去最長の書き上げ時間を要してしまいました…。 そのくらい筆者を悩ませた人、世羅繁宇氏が今回の主人公です。 お話を伺う限り、全てにエビデンスに基づく計算があるということを察しました。 きちんと科学する人でした。 実は感覚派の筆者には一番不得手なタイプ。 言い換えれば、一番興味をそそられるタイプ。 だからこそ、理解に時間がかかったという訳です。 「起業する前は大企業のエンジニアでした」。 全てが腑に落ちたご経歴の持ち主でした。 『COSSETTE COFFEE』をオープンされたのは2022年6月のこと。 会社員時代から珈琲焙煎は趣味でなんとなく行っていたそうです。 その時使っていたのは銀杏を炒る道具。 その後、当然のごとくエンジニアスピリッツがより良い焙煎機への開発へと繋がっていきます。 「珈琲焙煎という趣味は、アウトドアの趣味とは違い金銭メリットが生まれます。 料理もそう。遊びの中でメリットがある。そんな気づきが起業に結びつきました」。 世羅さんの言葉に、単に趣味が高じたわけではないというニュアンスを感じました。 「誰かに師事したことはありません。バイブルは『田口護 珈琲大全』のみです。 焙煎、ネルドリップの淹れ方はこの本で学びを深めました」。 この本の冒頭にはこのように書かれていました。 (引用) [コーヒーの焙煎は名人上手の専売特許ではなく、職人的なカンの世界などでもない。 理詰めの数学であり論理学の世界なのである。 生豆の選定から抽出までの流れを一つのシステムとしてとらえ、 各プロセス上に存在する複数の条件によって、 さまざまな味が生み出されるメカニズムに着眼した「システム珈琲学」。 豆の種類から焙煎方法まで網羅した本格的珈琲実用書。 珈琲生産地の現状や栽培状況、味の特徴を決める焙煎、カッティング・抽出までを ていねいに解説する。焙煎技術書としてプロも活用可能]。 なるほど…。 この文章を読んだ瞬間に世羅さんに少し近づけた気がしました。 珈琲を科学する世羅さんにとって、焙煎機は最も重要な相棒。 なので、その制作にも理詰めの数学と論理的思考が働きます。 持ち前のエンジニアスピリッツも相まって、 とことんこだわるということなのでしょう。 「拘ったのは極力 “ 風 ”を入れず、温度管理を徹底させた香りの調整です」。 「え? 温度はイメージできますが、風もですか?」 「はい。現在、95%の焙煎は半熱風式で行われていると言われています。 大手さんになると熱風式となります。僕は難しいとされているほんの数%の隙間を狙った焙煎機を作りたかった。できるだけ豆本来が持つ香りをなくしたくない。 焙煎された珈琲って、3000~4000くらいの化学物質が生成されるのです。 それが、150℃位で香りの成分が気化します。できるだけその香りたちを封じ込める焙煎機を作りたい。それには風と温度の管理が最も重要です。 だから常に課題を見つけては一つ一つ改善する。ひとりPDCAをくるくる回す日々です」。 これは、機械技術者としての誇りを感じるお話でした。 弛まぬ研究から生まれた機械は、2007年に第1号機、2009年に第2号機、そして最新の第3号機が現在店舗内で稼働しています。 「現在「浅煎り」と呼ばれるものがブームですが、うちで煎り上がった豆は、一般的なカテゴライズには入らないと思います。 シティーロースト風シティーローストとでも言うのかな…。 正直、うちより香り高い珈琲は飲んだことがありません。『世界にひとつだけの珈琲』だと自負しています」。 この話しを聞いた時、筆者はこう尋ねました。 「それは、自分の舌への絶対的な自信ですか?」と。 当然。 「そういうことじゃない」。 と一蹴されました。 今思えば愚問でした。 あくまでも世羅さんの自信は科学的根拠に基づくものなのです。 「嗅覚で感じた香りは脳で増幅させられて味覚に刺激を与え、『味』を作ります」。 「なるほど…。 それをどう感じ、好みかそうではないかは味わう人次第ということになるわけですね」。 ネルドリップは筆者が一番好きな淹れ方です。 この素敵な膨らみ! 銅のポットから注がれるお湯で、 ネル袋のなかにふんわりと膨らむ豆を見るだけで興奮し、 既に口の中が美味しくなります。 マイセンの素敵なカップ&ソーサー いつまでも香りが鼻腔に残る美味しい「パナマゲイシャ」をいただきました。 常時8種類くらいを扱います。 ところで、店内を見回すとなんとなくレトロな雰囲気の調度品が目立ちます。 そこで尋ねてみました。 「レトロなものがお好きなのですか?」 「いいえ、これも計算です」。 「な…。なるほど…」。 「信頼している苫小牧の家具屋のオーナーがいらっしゃるんですが、話していると時代の変わりで生活様式も変化しているということを言っているんです。だから、その度に売るものを変化させて対応するんだそうです。その言葉を聞いて、インテリアにも気を配るようになりました。モードの時代は終わり、レトロデザインの時代が来ているんですよ。レトロなものは落ち着きますしね」。 「調度品にもデータに基づく根拠があるわけですね!」 日本のレトロとは違う、アメリカっぽい感じが若い層にも男性にも刺さりそうです。 筆者みたいなおひとり様好きな女性にも好まれそう。 「では、もしかしてオーディオも?」 「そうです。珈琲もそうですが、音についても僕はマニアじゃない。全て計算の上で選んでいます。現在置いているオーディオはアルテック605Aで、アビーロードスタジオで使用されていたものです。この環境に合うものを選びました。高音質をお楽しみいただけますよ」。 ハイクオリティーなモノへの追求は止まるところを知りません。 「もしかして焙煎機も4号機計画があったりしますか?」 少し間をおいて、世羅さんは力強く頷きました。 エンジニアスピリットを持つ珈琲焙煎士 世羅さんは、 空間コーディネーターとしても最善のトータルでお客様をお迎えする姿勢を持つ人でした。 店内にはジャズのレコードがずらりと900枚並びます。 圧巻。 最後に尋ねました。 「ジャズも計算ですか?」 「ジャズはもともと好きです。 ピアノならキースジャレット。オルガンならジミースミス」。 この答えをいただき、なぜかホッとした筆者でしたが、 正直、世羅さんをもっともっと掘り下げたい! そんな衝動を抑えながら、悶々と『COSSETTE COFFEE』を後にしました。 ん?? これももしかしてリピーターを生むための計算? ふとそんなことが頭をよぎりつつ、 今度はカレーを食べに行こう!と、決めていた筆者です。 ―COSSETTE COFFEE 情報― Web page https://cossette.theshop.jp Instagram https://www.instagram.com/cossette_coffee?igsh=MzRlODBiNWFlZA== 世羅繁宇氏FaceBook https://www.facebook.com/sera.shigetaka
Rietty
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影の主役を選んだ人 『dj_hatass=畑吉晃』にプロ魂を見た
12月28日はディスクジョッキー(DJ)の日 皆様、12月28日は「ディスクジョッキー(DJ)の日」だということをご存知でしょうか? ラジオでのDJ活動の第一人者であり、ラジオ人気長寿番組「オールナイトニッポン」の最初のパーソナリティである糸居五郎さんの命日にちなみ、日本では12月28日は「ディスクジョッキーの日」として制定されています。 日本でDJという言葉がメジャーになったのは、ラジオでMC+曲をかけるというスタイルからだと言われています。 ということで、今回の主人公はDJ歴30年、MC無しの音だけでフロアを盛り上げてきた『dj_hatass』こと畑吉晃さんです。 畑さんは1969年生まれの53歳。 DJの世界との出会いは20歳くらいの頃だそうです。 年代的にはちょうどディスコブーム後半の頃になります。 黒服の人に誘われてこの世界に 畑さんの将来を決定づける出会いでした。 その中には、今でも一緒に活動をしている先輩DJの中居さんや、室蘭唯一のクラブ『Red Hill』の竹内さんもいました。 そしてもう一つ、衝撃的な出会いとなった音楽が “ハウスミュージック”と"テクノミュージック"。 それは、これまでに感じたことのないほどの興奮と感動を与えてくれたと言います。 ところで〜 そもそもDJって?と調べてみました。 DJの歴史 第二次世界大戦中から脈々と水面下で培われていた「曲をかけて踊る」という文化。 1960年、ニューヨークにLe ClubというナイトクラブがオープンしたところからDJ文化の原型が誕生していきました。 ただその頃は、曲を繋げるのではなく、1曲が終わったら次の曲をかけるというスタイルでした。 そして1969年、アメリカのニューヨークで、2台のレコードプレーヤーを使って途切れることなく曲を流すというスタイルが生み出されます。 そして1970年代、世間ではディスコが大流行しました。 また、1980年代後半から1990年台にかけてアメリカやヨーロッパなどでレコードプレイヤーを使って音楽を提供するディスコやダンスホール(以後クラブ)が人気となりました。 その空間で選曲し、切れ目のない音楽でフロアを盛り上げていたプレイヤーがいつしかDJと呼ばれる様になります。 そしてDJの演奏スキルやテクニックの向上とともに、DJが使用するレコードプレイヤー、ミキサーなどが進化していくのでした。 現在のDJスタイルとしては、アナログDJ・CDJ・PCDJなどが一般的だそうです。 ・ アナログ(レコード)DJとは、昔からの定番スタイルで、曲の繋ぎを考えながらレコード選びをし、音の厚みで勝負するスタイルです。 ・ CDJとは、多くを持ち運べないというレコードのデメリットをCDの普及により解消し、PCやCDレコーダー、メモリースティックなどの駆使によって音源の呼び出しも容易にプレイが出来るスタイルです。 ・ PCDJとは、より効率的であることを優先した先に生まれた技術です。持ち運びの出来る楽曲量の多さと、音源入手の手軽さにより、現在は主流のスタイルになっています。 「持ち運び」の利便性がKeyで進化していったスタイルの違いですが、結果、利便性だけではないメリットとデメリットが生じたようです。 音楽のジャンルによっては、アナログに勝るスタイルはなかったり、PCDJをやるにはPCや機材の知識が必要になったりとそれぞれに高度な知識とスキルを必要とされます。 怠らぬキャリア積み上げ このような歴史を持つDJですが、畑さんはこれらどのタイプでも対応できる実力をお持ちです。 素敵! フロアに出ていなくても勉強を続けるとは、まさにプロ魂です。 この時は室蘭のチーム対苫小牧のチーム。 お隣にいらっしゃるのが先輩DJの中居さんです。 チームの入場曲や得点が決まった時の『ゴールホーン』も畑さんたち、DJチームのオリジナルMIXだそうです。 その甲斐もあり、この日は見事に勝利! 「ところで、他にはどんなところでDJをされているのですか?」 楽しそうに話す畑さんでしたが、少し神妙な面持ちにも…。 ブログの最後に畑さんのSNSアカウントを掲載しています。 「DJに関するご相談はそちらからどうぞお気軽に!」とのことです♪ 意外な本業とは さてところで。 実は畑さんの本業は、ジオパーク推進協議会の職員さんです。 そして、筆者もとてもお世話になっている『洞爺湖有珠火山マイスター制度』の担当者でもあります。 とても優しく、みんなに頼られる兄貴的存在です。 そして事務所にいらっしゃる時の畑さんはDJとは全く別のお顔です。 なんと! それは意外! 畑さんが言うには、火山マイスターの皆さんが一生懸命に勉強したり、講師活動をしたりしている姿にとても感動して触発されたのだそう。 そうか…。 共通項はそこなんだ! 正直に書けば、取材をさせていただく前、事務所にいらっしゃる畑さんとDJをされている畑さんは全くの別人だと思っていました。 どちらかが裏で、どちららかが表。 でも、裏も表もどちらも素敵だなあと。 ところが違いました。 畑さんはどちらも表でした。 舞台に立つ人たちを裏方で盛り上げることに喜びを感じる人だったのです。 なるほど…。 確かに思い当たります。 畑さんは本当に話すのが苦手でいらっしゃいます。 何かを発表される時、「原稿なしでは話せません」と恥ずかしそうにします。 そして超棒読み…^^; ところが、一旦機材の前に立つと活き活きとした表情で、機材を自由自在に操り、音で意気揚々と皆様に語りかけ、フロアを盛り上げていきます。 ジオパーク推進協議会の職員さんのときとのギャップがスゴい! 人生の終わりまで『影の主役』を 「ところで、畑さんにとってのDJの魅力ってどんなところでしょうか?」 『影の主役』に喜びを感じるところ。 言い換えると、決して出しゃばらず表現して、場を支え盛り上げるところ。 とても畑さんらしいなあと思います。 「それでは最後に。” dj_hatass “として、将来どうありたいと考えていますか?」 ” dj_hatass =畑 吉晃 ”は、人生の終わりまで『影の主役』を望み、大好きな曲で送って欲しいと願う、DJのプロでした。 ディスコ全盛期を生きながら一度もディスコのドアを開いたことがない筆者ですが、人生初のディスコは” dj_hatass “に踊らせていただこうと思います。 [Instagram] https://instagram.com/dj_hatass?igshid=YmMyMTA2M2Y= [Facebook] https://www.facebook.com/profile.php?id=100005068364809
Rietty
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